つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

新つれづれなるままに歴史を語る「日本の近現代史」敗戦の原因を考える~その4~

これまでのお話👋😄

【第1話】

1945年の日本の敗戦の原因の原因を考えるには10年~20年の短いスパンの直接的原因と、その原因が発生した原因となる背景も追究するのが大切である。

 

【第2話】

日本が軍国主義に傾いた原因の1つが「統帥権の干犯問題」である。
統帥権とは軍隊を動かす、神聖にして侵すことができない天皇の大権のこと。
事実上統帥権を行使する軍部が、内閣のしたことに対して「統帥権の干犯である」と難癖をつけたのが「統帥権の干犯問題」だ。

 

【第3話】

大正時代は、デモクラシーの花が満開に咲いた。そのデモクラシーの花を咲かせた中心人物は、憲政の神様である尾崎行雄と犬養毅である。
 しかし、その「デモクラシー」という花の木に、「統帥権の干犯」という毒を注ぎ込み枯らしたのも犬養毅である。彼の暗殺は悲劇でもあったが、皮肉でもあり自業自得でもある。
明治政府はテロ集団が作った国家であるとも言える。政府の遺伝子の中に、テロを否定できないものがあった。

 

いや~、もっと簡単に書こうと思ったが、このシリーズは長編になるぞ😎。

 

それは、当然よね🤔。

 

日本の敗戦の原因を考えるなんて、大それたテーマなんだから😅。そんなの原稿用紙100枚じゃ足りないわよね。

 

素人が、参考文献も出さずにつれづれに親指一本で書いているブログなので、説明が足りなかったり、理解が乏しかったりするところも多々あるので、こ理解のほどを🙇。なるべく事実に基づいて書いているが、おかしなところがあったら教えていただけると助かるわ😄。

 

 

(2)ロンドン海軍軍縮条約調印をめぐる政治問題と犬養毅

 

①第一次世界大戦後の世界的な協調・軍縮の動き

 

第一次世界大戦は、未曾有の大惨事だった。国家と国家の総力戦に戦車や毒ガスと言った最新兵器、大量破壊兵器も投入された。

 

第一次世界大戦に関するブログはこちら👋

 

人類史上最悪の戦争を経験して、みんな懲りたのよ。世界大戦何て言うけれど、要はヨーロッパ中心なのよね。だから、第一次世界大戦って、何かヨーロッパ中心主義の呼び方よね🤔。

 

だって日本のことを「極東」と呼んだり、四大文明なんていって文明をくくったりするのは、ヨーロッパ中心史観よ。

 

話がそれたわ🙇。

 

第一次世界大戦後は、ヨーロッパを中心とする世界中の国々が平和を求め、軍縮に舵を切った時代なのよ。

それが1920年代。

 

1918年

第一次世界大戦終結

 

1919年

パリ講和会議

→ヴェルサイユ条約

・敗戦国ドイツを追い詰める条約

 

1920年

国際連盟成立

 

1921年

ワシントン会議

□四カ国条約

・米・英・仏・日が締結。

・太平洋の島々の領土保全と安全保障。

・日英同盟の廃棄が決定。

 

1922年

□九カ国条約

・米・英・仏・日・中・伊・白・蘭・葡

・中国の主権・独立と領土保全の尊重

・中国に対する経済的な機会均等と門戸開放

 

□ワシントン海軍軍縮条約

・米・英・日・仏・伊

・主力艦の保有比率を米5、英5、日本3、仏1.67・伊1.67とする。

・今後10年間の建艦を禁止

以上、細かく書いたけれど、ざっくりと「みんな仲良く」「海軍の軍備削減」と理解すれば良いも思うわ😄。

 

当時の戦争の中心兵器は「軍艦」だったのよ。だって飛行機は第一次世界大戦の約10年前にやっと世界初の有人動力飛行に成功したのよ。まだまだ主力兵器にはなっていないわ。

 

世界で軍艦の保有数を制限するようになった。今で言えば核兵器の保有を制限するようなものかしらね🤔。

 

このワシントン海軍軍縮条約の内容に関しては、海軍は対米英比7割を主張していたが、6割となったことに不満だった。

 

軍縮は海軍だけではない。陸軍も同じだった。

1922年

山梨陸相が兵力を約6万人削減

 

1925年

宇垣陸相が4個師団廃止

 

この時期の陸軍のは、約10万人人員を削減し、大量の将校のクビも切ったと言われているのよ。

 

干された将校の失業対策は、国防意識の向上を目的として軍事教練を正課とした。これがなぜ干された将校の失業対策になったのかというと、軍事教練の教官として中高に彼らを配属したのよ😓。これも日本が軍国主義に染まる原因となった。

 

この頃から昭和初期の青年将校の年齢って、20代~30代前半のエリート軍人よ。

この宇垣陸相の軍縮でとばっちりをもろに受けたのが、日露戦争の頃、陸軍大学校や海軍大学校を卒業した士官なのよね🤔。

 

この時代の軍人の心情も考慮に入れて、時代を見ないといけないと思うのよ。世界的な軍縮平和路線の時代から昭和初期に青年将校だった人の年齢を踏まえて考えなくてはならない。

 

宇垣軍縮(1925年)が行われた頃の青年将校を30代前半と考えると、やはり日露戦争(1904年)の頃に陸軍大学校や士官学校を卒業していることになる。そして、彼らが10才前後の多感なときに日清戦争を経験している。大国清を倒して、息巻いたことだろう。「よし、自分もお国のために戦おう」と思ったかもしれない。英雄になろうと功名心に燃えたかもしれない。

 

1つ言えることは、憧れて軍人になったのよ。それで猛勉強して猛鍛練した。青春を勉強と鍛練に費やした。遊びも恋もしていない。まぁ、当時は自由恋愛は厳しかったが、他の若者よりも、ずっと自分を律した生活をしていたはずだ。

 

だって、陸軍大学校って東大に入るよりも難しいんじゃないかしら🤔。

 

しかし、軍人になったら、第一次世界大戦が終わり、世の中は反戦軍縮モードとなった。大正デモクラシーの世の中でもあり、軍人軽視の風潮であった。リストラされて、「軍人じゃ嫁の来てもない」と周りから揶揄されたそうだ😥。

 

国のために戦う人を軽視する。これは現代のいわゆるリベラルさんに多いんじゃないかしら🤔。

 

私は自衛隊員に敬意を払うのは当然という考えよ。だからといって、崇拝せよというわけではないわ😌。

 

当時の軍人たちは屈折した心を持っていたんじゃないかしら🙄。

 

昭和初期の青年将校が陸軍大学校を卒業したのは日露戦争の頃よね。使命感に燃えて軍人になったのに、世の中からは軽視される。そうなれば、「我々は天皇陛下直属の軍人である」ということにプライドを持つのは当然であると思うのよ😔。

 

ここでおさえてほしいことは、次の3つよ☝️😄

 

①軍人は、明治時代憧れの職業だったのに、大正時代になると世の中から軽視されるようになった。

 

②その原因は第一次世界大戦終戦と大正デモクラシーによる協調平和路線と軍縮によるものである。

 

③軍縮は、言い換えると軍人のリストラで、当時の軍人は経済的にも精神的にもプライドを傷つけられていた。

 

いや~、中々、本題の「ロンドン海軍軍縮条約調印をめぐる政治問題と犬養毅」の話にならないわ😅。背景ばかり語って、本題の内容があっさりとなってしまいそう。

 

歴史って背景とか、原因って大切なのよね🤔。そして、そこから何を学ぶか。伝え手は、歴史から学ぶことを押し付けがましくなく、相手に考える材料を渡すことも大切よね🙄。

 

押し付けがましいところもあるのは許してね😉✨