つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

新つれづれなるままに歴史を語る「日本の近現代史」敗戦の原因を考える~その5~

前回のお話

①軍人は、明治時代憧れの職業だったのに、大正時代になると世の中から軽視されるようになった。
 
②その原因は第一次世界大戦終戦と大正デモクラシーによる協調平和路線と軍縮によるものである。

 

③軍縮は、言い換えると軍人のリストラで、当時の軍人は経済的にも精神的にもプライドを傷つけられていた。

 

【③浜口雄幸内閣のロンドン海軍軍縮条約調印をめぐる政治問題と憲政の神様】

 

(2)ロンドン海軍軍縮条約

第一次世界大戦の戦勝国が、補助艦(巡洋艦、駆逐艦、潜水艦)の保有数を制限した条約よ☝️😄。西暦1930年。満州事変の1年前の年よね。

 

日本は、保有数をイギリスやアメリカの7割を希望した。しかし、アメリカはもっと減らせと要求した。交渉の末、アメリカの要望に応じて7割から少し割合を削った。

 

補助艦保有数比

日本の希望

英:米:日=1:1:7

 

結果

英:米:日=1:1:6.975

 

日本が妥協したけれど、アメリカも妥協したのよね😄。

 

外交って国同士が妥協して成り立つものなのよ。

 

今、どこかの国は、妥協せずに自分の主張ばかりがなり立てているけれどね😣。どことは言わないわよ😎。相手が妥協しないともう一方の相手も妥協できなくなるわ。

 

日本は周りの国に迷惑をかけたのだから、自衛隊をなくし、領土問題は相手の国の言いなりにし、天皇をなくし、攻めてこられたら滅びても文句は言えないなんていう考え方の人もいたわわ😱。

 

日本は去勢するべきだって😨。

びっくり😱。

 

たまたま私が日本に生まれただけよ。そこに生まれたがゆえに、罪があり、それで滅びても良いなんて😨。それこそ差別じゃないかしら🤔。

 

今じゃ「自衛隊を早急になくせ」何て言う考えを持つ人が少なくなったけれど、戦後「自衛隊保持絶対反対」「安全保障に関する法律絶対反対」という政党もあったのよね🙄。こんな主張をする政党を支持する人が少なくなるのも頷けるわね。今じゃ、見る影もなくなった。

 

政治家の大切な役目って、その国の安全保障を考え、実行することなのよね🙄。

 

特に国会議員は

 

①社会保障

②安全保障

③教育

 

の3つが政策の大切な柱よね。

 

地元に利益を誘導する国会議員なんてとんでもない。選挙区の利益や特定の業界の意向を重視する国会議員は、無党派層は投票しちゃいけないと私は考えるのよね😌。

 

話がそれたわ🙇。

 

この補助艦保有数を英米比、6割9分7厘5毛にすることは、海軍省内部でも賛成の方針であったのよね。

 

しかし、軍令部は納得しなかった😣。

 

天皇ー(行政)ー内閣-陸軍省
                               - 海軍省                     
        ー(軍事)ー大本営ー参謀本部(陸軍)
                                   ー軍令部(海軍)

 

行政機関である海軍省は、条約の批准に賛成の方針であった。

 

しかし軍事機関である軍令部は、条約の批准に難色をしめした。

 

議会で満場一致で条約を可決した。そして、条約を批准したのだが、海軍の中で条約反対派の人たちが黙っていなかった😨。

 

また、日本の巡洋艦の希望量を達成できずに条約に調印したことや、条約を部分参加にしなかったことに対して、マスコミや野党から非難がわき起こった。

 

難癖よね~😣

 

英米比7割も、、6割9分7厘5毛もほぼ同じじゃないか。0.7と0.6975の違いを問題視した。わずか0.0025の差を問題視したのよ😱。

 

でも、これを僅かと見るか大きな差があると見るかは立場の違いで変わるのなも🤔

 

メンツもあろう。

力を誇示したいという気持ちもあろう。

 

そうよ☝️😔。

これを海軍がゴネるのならまだ理解できる。マスコミも軍部御用達の一部のマスコミと考えれば理解できる。

 

協調と軍縮が世界の路線ならば、その路線に乗ることは外交としては当然であり、当時の日本の実力からしたら英米比7割勺は妥当である。政府としての判断も議会の議決も至極妥当なものだった。

 

(3)犬養毅~憲政の常道を潰した憲政の神様~

 

しかし、この条約の批准を問題視した政治家がいたのよ。

 

それが、野党・立憲政友会の犬養毅や鳩山一郎よ。

 

枢密院顧問官が、この条約の批准に反対するのは、まだ理解できる。承諾はできないが、軍部や枢密院や一部のマスコミが条約批准に反対するのは理解はできるのよ。だってそう言う立場なんだもの。

 

しかし、「憲政の神様」であり大正デモクラシーの主役の1人である犬養毅が、「統帥権」を持ち出して、国会で追及するのは開いた口が閉まらない😨。

 

大日本帝国憲法第11条

「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」

 

この統帥権を盾に、デモクラシーの主役の1人が、政府が天皇の承諾無しに、兵量を決めたのは憲法違反だと、国会で追及した。

 

これはデモクラシーの自殺行為よ😣。

 

確かに野党は与党を目指す。

 

しかし、与党を目指すために、与党と議会の妥当な判断を軍部の暴走の原因となる「統帥権の干犯」を使って攻撃したのは、その当時の感覚でも、現代の感覚でも、非難されるべき行いだわ😣。

 

犬養毅は、その後、晴れて内閣総理大臣となった。

 

しかし、統帥権を持つ軍部の言うことを聞かない政府そのものを攻撃対象にした青年将校に暗殺された。

 

【5・15事件】

1932年5月15日

首相官邸に青年将校が乗り込んでくる。


犬養「話せばわかる」


将校「問答無用」🔫


パパ~ンと銃声が鳴る。そして将校は去っていく。


瀕死の犬養はそれでも


犬養「あの将校達を連れ戻せ。話せば分かる」


と言って息絶えた。

 


政党政治は話し合いの政治。「話せば分かる」


軍国主義は話し合いなんか無用。「問答無用」


ほら、犬養と青年将校のやり取りが、この事件の歴史的意義を象徴している。


「話し合いの政治」から「問答無用の政治」へ。入試では「政党政治が終わり、軍国主義となるきっかけとなった」ぐらい書ければ良いんじゃない👨‍🏫

 

犬養毅が亡くなった翌日、内閣が総辞職し、新たに内閣総理大臣になったのは軍人出身の齋藤實であった。総選挙で第1党となった政党の党首を総理してその党が中心となって組閣するという「憲政の常道」が破られた。

 

大正デモクラシーを牽引した「憲政の神様」犬養毅は、党利党略のために軍部の「統帥権」を利用し、自ら墓穴を掘った。そして、日本を軍国主義へと導いてしまった😣。

 

のちに、5・15事件を起こしたテロ将校たちは、国民からの嘆願で、軽い刑となり、その後、恩赦で許された。そして、国の要職に就いた😱。

 

「テロをしても許される」となれば、政治家も役人もマスコミも、軍部のテロを恐れて軍部に反対できなくなる。テロを認めるとはそういうことだ。この5・15事件のテロリストに対する国民や国の甘い対応は、後の2・26事件にも繋がってくる。

 

大久保利通は人気がない。それは、国のためにならなければ、友人に対しても非情だったからと言われる。それは西南戦争に象徴される。国民に人気のある西郷隆盛は、無用の長物となった行き場のない武士に殉じた。西郷に当時の人々も同情したが、大久保は賊として鎮圧した。そして倒幕維新の英雄西郷隆盛は自刃し、靖国神社にも祀られていない。

 

歴史という大局的見地から死後の名誉回復はあり得るが、近代国家がテロを許したら近代国家ではなくなる。

 

歴史上の人物の評価は一面的にしてはならぬ。犬養毅にも良い面があり、悪い面もある。ネットで調べれば出てくるわよね😅。

 

私の彼の端的な評価は「大正デモクラシーを盛り上げ、大正デモクラシーに終止符を打った人物」よ☝️😔。

 

もしも歴史にifがあれば、「デモクラシー側の人物は「統帥権」を武器にしてはいけない」と言いたい。

 

しかし、日本の軍国主義の流れは止められなかっただろう。

凶作

恐慌

持たざる国

軍人の不満

政党と財閥の癒着

国民の不満

 

等々、政治も経済も混乱し、抜け出せなかった。

 

「政治は局地的な視点よりも、大局的な視点が大切である」ということが教訓となるかしら🙄。「憲法解釈」というのは危険をはらんでいるとも言えるわね。

 

浜口雄幸内閣のロンドン海軍軍縮条約調印をめぐる政治問題、いわゆる統帥権の干犯問題は、日本が軍国主義となる原因となったと言える。