つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

「人間の仕事は生きることである」という言葉を受けて😔

大阪の淀川河川敷で20年前から暮らしているホームレスの「さどヤン」。廃材の掘立て小屋で寝起きし、空き缶集めや清掃の仕事で日銭を稼ぐさどヤンのシンプルな日常をユーモラスに描いたドキュメンタリー映画「淀川アジール〜さどヤンの生活と意見〜」が11月28日から、関西で先行公開される。社会の小さな声をすくい上げ、作品を通して人間の多様性を提示し続ける田中幸夫監督に、本作に込めた思いを聞いた。

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この映画を見たいと思った😔。

 

さどヤンは北海道出身。父は不明で、幼少期はキャバレーの2階で母と暮らしていたという。母の死後は孤児院や親戚の家で育ち、中学卒業後、新聞配達や大学の職員を経て関西へ。土木、建築、港湾荷役の仕事に従事し、2001年頃、今の場所に落ち着いた。

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「さどヤンの生き方が決して“正解”だとは思いません。でも、生きることに窮屈さや息苦しさを感じている人には、何らかの示唆、啓示にはなるはずです。『人間の仕事は生きることや』と語るさどヤンの力強い言葉が、新型コロナウイルス禍の今、多くの人の心に響くことを願っています」

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長く引用してしまった。本当は記事を全て引用したかったが、著作権の問題も起きそうなのでやめた。

 

この記事を読んで、「幸せって何だろう」と思った🤔。そして「人は誰も業を背負って生きている」と改めて感じた😔。

 

父は不明。

母親とキャバレーの2階で生活。

幼いときに母親と死別。

孤児院での生活

親戚の家での居候

職を転々として、ホームレス。

 

そして行き着いた考えが、「人間の仕事は生きることや」である。

 

私が言ったら薄っぺらい言葉になる。彼が言うと含蓄のある言葉となる。

 

幸福や不幸は人それぞれ。人の生活を上下で見るのは良くない。価値観は多様だ。そうよ、多様性で捉えたら、この人の人生を下だとか不幸だとか言ってはいけない。

 

という考えに納得するかな❓🤔。

 

これが言えるのは、ある一定の基準よりも上の生活をしている人に対してではないかなぁ🙄。

 

彼のようなホームレスに、「幸せは人それぞれ」という考えを当てはめるのは「多様性や個人主義の濫用」だと私は考える😔。

 

世の中には、不幸な人がいる。幸せになれなかった人もいる。社会のシステムから落ちてしまい、自分の努力では幸せになれない人もいる。

 

ここで私が思い起こしてしまったのが、眞子さまのご結婚問題。

 

佳子さまは「お姉ちゃんが幸せになれないのはおかしい」と眞子さまを擁護したとされる。

 

「幸せ」のレベルが違うなぁと思ったよ🙄。

 

お立場上、経済的にも防犯上もご不安がなく、教養も身に付けてもらえている。何もかも裕福に生活しているのに、「幸せになれないのはおかしい」と思える思考。

 

いや、これは佳子さまが公表した言葉ではないから、確かではない。

 

しかし、「幸せ」っていうものはその人の常識を越えられないものなのかもしれないと感じた🤔。

 

だから、もしも、皇室の方々がご自身の境遇が「幸せでない」と感じておられるのなら、それはそれで仕方がないことかもしれないなぁ🙄。

 

そこは想像力も必要なわけで。

 

「自由がない」「精神的に満たされない」と思うのなら、多くの国民や、社会の底辺でもがき苦しむ人々のことを想像する力に欠けているとも言わざるを得ない。もしも「お姉ちゃんが幸せになれないのはおかしい」と佳子さまが思っておられるならば。

 

フランスの王妃マリー・アントワネットが貧しくて食うに食えない国民に対して「パンがないのなら、ケーキを食べれば良いじゃない。」と言ったと言われる。実際は彼女が言った言葉ではないそうだが、この言葉は常識や幸せは階層ごとに異なることを象徴していると私は考える🤔。

 

「飢え」と言うものを知らなくて想像力に欠けている人の言葉だと考えれば、このように言うのも頷ける。私も「飢え」を知らないが、想像力はある。

 

経済的な不幸を知っていれば、経済的に裕福な者に対して「幸せになれないなんておかしい。」なんて言えないだろう🤔。

 

さて、この私の考えを皆さんはどう思うかしら❓🙄。

 

納得するかしら❓🤔。

 

私は書いていて自分の考えに納得していない😅。

 

源氏物語という物語がある。

その主人公は光源氏。

彼は天皇の息子で、二枚目で、一時期左遷させられたこともあるけれど、順調に出世し、準太上天皇という天皇に次ぐ位になった。経済的にはとても裕福で名声もある。しかし、彼は自分は幸せではないと出家願望があり、最愛の妻が亡くなった後で出家するのよ。

 

幼き日、母を亡くした。その母の面影を追い、その母と瓜二つの父帝の後妻(藤壺)を慕った。年齢も光源氏と近い。そして密通して、子どもをもうけてしまった。藤壺とは今後会えない。藤壺の面影を追い、あまたの女性と浮き名を流した。そして、最愛の妻がいるにも関わらず、藤壺の家系の娘と結婚し、最愛の妻との関係に亀裂を作ってしまった。

 

ざっとあらすじを書いても、私の文章力では中々伝わらないかもしれない😅。

 

光源氏については以前ブログにしたわ👋😄

 

言いたいことは、どんなに経済的に豊かであっても、精神的な幸せはつかみづらいということよ。

 

自分の足りないところを見つけ、それを求めるのも人間だ。だから自分が幸せであるとなかなか実感できないのだろう。

 

考えがまとまらない😌。

 

絶対的な幸せはあるのか、それとも幸せは相対的なものなのか🤔。

 

そこで物理学による光の定義を思い出す。

 

光は波であり粒でもある。

 

どちらの性質も持つという。二者択一だったものが、二者ともあるとするなんて、柔軟性があり、そちらの方が真実に近いとも思う。

 

「幸せ」も、絶対的なものがあり、相対的なものでもあるとも考える。

 

そうか❗️☝️

 

物理的な幸せ、例えば平和だとか経済的なものであるとかは、「絶対的なもの」があるんじゃないかな🤔。生存権も「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」と規定されている。

 

いや、その最低限度の暮らしを上回れば幸せとは言い切れない。

 

精神的な幸せは主観的なものであり、相対的なものなのかもしれない🤔

 

自分が不幸であると感じたら、「もっと他に不幸な人がいるぞ。だから自分は恵まれているのだ」と考えるのは、精神衛生上良いことかもしれないが、これって為政者の常套手段でもあるんだよなぁ🙄。

 

新聞の三面記事に載る記事は、不幸な内容が多いのも、考えすぎ親父には何か裏があるって考えてしまう😌。

 

でも、端から見て恵まれた生活をしている方は、公の発言には気を付けないといけないなぁ🙄

 

課題のあるうちの子チューが、親亡き後で幸せに暮らしていけるかと、不安になることがしばしばある。この不安だけは、死ぬまで、いや、死んでもなくなることはないだろう。一人っ子だしなぁ😔。しかし、兄弟姉妹がいても、諍いがあることもある。

 

人は業を背負って生きている。

自分だけが不安なのではない。

 

みんな何か不安や不満、もどかしさやいたらなさを持って生きているんだろう。

 

「人間の仕事は生きること」という言葉は、自分の気持ちが沈んだときに思い出そう😔。

 

人間の仕事は生きることである。