2・26事件~現代にも通じる危険な思想・ほら、私にも貴方にもあるのよ😱~
〈法要の後、河野司氏のご挨拶があった。
「私は、弟はじめ彼らがふびんでなりません。陛下のためを思って事を起したのであり、処刑に当たっても、天皇陛下萬歳と唱えて銃殺されています。私は叫びたい。陛下、なぜおわかりにならないのですかと」
切々と訴えるその言葉は、殺された側の遺族である私には、別の意味で聞くに辛いものだった〉(渡辺和子『心に愛がなければ』PHP研究所)「二・二六事件」85年目の… (NEWS ポストセブン) - auヘッドライン - auサービスTOP https://news.headlines.auone.jp/stories/domestic/social/13535324?genreid=4&subgenreid=12&articleid=13535324&cpid=10130014&rf=passtop_%E5%9B%BD%E5%86%85
2・26事件から50周年の式典で、事件を起こした遺族の挨拶なのよ。
「どっひゃ~」と思ったわ。そして、やっぱりとね😅
「陛下、なぜお分かりにならないのですか」これは、2・26事件を起こした青年将校の共通した気持ちだと私は考える。
「天皇万歳」と叫びつつ、「天皇絶対」ではないのよ。天皇のためを思ってしたことならば、天皇の御心に反していてもかまわないという恐ろしい思考回路😱。自分の心の中に勝手に天皇を作っているのね。
いや、私は天皇好きだが天皇崇拝者ではない。でも、こう考えてみると危険性がよく分かる😔。
「あなたのためにしたことならば、あなたの気持ちに反することでもかまわない」となったら、恐ろしいことだよね。
もっと具体的に言ってみよう☝️😔
あなたに心を寄せる男性がいたとしよう。でも、告白せずにいる。なぜなら、結果が怖いから。そしたら私があなたの意思を確認せずにその男性に、「○○さんがあなたのことを好きなんだって」と伝えたとしよう。その男性は、「え~、俺、彼女に興味がないんだ」と言った。それを私があなたに伝えた。あなたは喜ぶかしら🤔。あぁ、よく言ってくれたと言う人なんてほとんどいないんじゃないかしら😣。
でも、この2・26事件はもっとひどくて、天皇が信頼している股肱之臣を、君側の奸と言って殺したのよ。
君側の奸とは、君主に侍る君主を惑わす佞臣という意味である。君主がその家臣を信頼しているとしたら、その信頼も君側の奸がいるからだと考える思考である。「君主が君側の奸に惑わされている。これではいけない。」と考えるのよ😱。
「あなたは、あの男に惑わされている。だからあなたのためを思ってあの男を殺した。」
あの男は、あなたにとって誠実な人だった。あなたから見たら殺されるいわれはない。
私が死刑になった。私の父母が「私たちはあの子が不憫でなりません。死ぬ間際まで、貴女の身を案じていたんですよ。何で貴女はあの子の気持ちが分からないのですか。」と貴女に言ったとしたら😱。
50年経って、「私は、弟はじめ彼らがふびんでなりません。陛下のためを思って事を起したのであり、処刑に当たっても、天皇陛下萬歳と唱えて銃殺されています。私は叫びたい。陛下、なぜおわかりにならないのですかと」と公に言った人の思考の危うさがよく分かる。ホント怖い😱。
「その人のためにした」ということは、免罪符とはならない。そして、「あなたは私と同じ考えである。なぜなら、私の考えは正しいから。」という非論理的な思考を非論理であると分からないことが怖い。そして2・26事件から50年もたち、戦後40年近くたち、昭和から平成になろうとしている時代に、こんな思考をする人がいたなんて😱。
幕末の尊皇の志士は、孝明天皇が倒幕望んでいると『信じていた』。倒幕は天皇の御心にそうものだと信じていた。しかし、孝明天皇は、外国人を国内から一掃するという「攘夷」は望んでいたが、倒幕は望んでいない。佐幕である。
だから、孝明天皇は倒幕を志す者(岩倉具視)に暗殺されたという説もある。その後、幼い天皇に継がせて、思いのままに操り、偽の討幕の密勅(天皇の密かな命令)を出し、錦の御旗を作り、幕府を倒したのよ。
いや、倒幕は歴史の必然である。それが言い過ぎならば、明治維新の歴史的な意義は私は否定しない。また、プロセスが不味くても、結果がよければそれで良いことも歴史の中にはあることを知っている。
しかし、この幕末維新の日本人の成功体験は、昭和の破滅を招くことになる。特に長州藩が取った行動を真似るのは、良くなかった。
幕府を困らせるため攘夷を決行し、外国船に大砲をぶっ放す。
京都から追い出されると、京都を武力で制圧しようと進軍する(蛤御門の変)。
それで朝敵になっても、自分達の志は曲げず、かえって京都を火の海にしようとする計画をたてる。
知っているかな🤔
天皇を誘拐し、京都を火の海にするという計画が長州藩の志士にあったのよ。そうそう。長州って今の山口県ね。それを阻止したのが、新撰組。それを阻止した事件が「池田屋事件」だ。
志士って聞こえが良いけれど、現代風にいうと「テロリスト」なのよね。そう考えると、明治政府って「テロリストの政府」ともなる。
しかし、幕末のいわゆるテロ行為を、その後の歴史を見ると批判ばかりすることはおかしい。それで作られた政府は、幕末に結ばれた日本に不平等な条約を、世界のルールにしたがって改正した。
「これは、不当な条約だ。」と訴えるのではない。前政権が結んだものでも、結んだ以上はその条約を守り、正規のプロセスで改正したことは、正しいことだと考える。
前政権が結んだ条約を不当だと言って相手国の承認を得ずに破棄する国もあるからなぁ😒。不当なら不当であると交渉し、改正したり無効にしたりすればよい。いや、どこの国とは言わない🤐。その国は近くにあるかもしれないし、遠くにあるかもしれない。漫画の中の空想上の国かもしれない。
そう☝️😄。
こういって、みなさんの心に浮かんだ国よ😎。
幕末の出来事は、「尊王」を唱えながら、日本の尊王対象である孝明天皇の意思に反することを行っていたということね。
なぜこんなことが起きるのか。それは国学や陽明学を知れば分かるのだが、今回はそこには踏み込まない😅。
私は別の視点で考えたい。
神は人の心である。もしくは人の心に宿ると言える。
日本の尊王思想はここにあると考える☝️😄。
当時の志士の心は、
尊王の対象は天皇。
そして信仰の対象も天皇。
であれば、天皇は神だ。
そうだ、天皇は神の子孫だ。
神が人の心だとすれば、私の心が天皇である。私が天皇のために考えたことは、天皇が考えたことでもあるはずだ。
いや~ん。怖い😱
でも、心当たりがある人が多いんじゃないかしら🤔。