つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

政体を考える🤔~君主制と共和制~

人を纏め、治安を良くするには何が必要か?

歴史的には、強力なリーダーシップや強い権力ではないのよね🤔。必要なのは「由緒正しい血統を受け継ぐ者が国を治めること」なのよ。

 

今の世の中、「私は公家の血筋だ」とか、「〇〇氏の子孫だ」と威張る人はほとんどいないだろうが、国の治安を良くするのは、「由緒ある血筋を受け継ぐものが国を治める」ことであることなのかなぁ🤔。

 

力がある者が国を治めるということになれば、どこの馬の骨か分からないならず者が争って国を治めようとする。中国は良い例ね。中国の王朝交代は、国の根幹からの混乱の歴史であるとも解釈できる。壮大なドラマだなぁ😅。私は中国の歴史も好きよ。でも、王朝がコロコロと変わるのは、どうもしっくりこない。私の保守的精神がそうさせるのだろう。これは良い悪いは別よ😌。あくまでも私の志向なの。

夏→殷→周→秦→前漢→新→後漢→魏蜀呉→晋→五胡十六国→南北朝→隋→唐→五代十国→宋→元→明→清→中華民国→中華人民共和国

 

□禅譲(ゼンジョウ)

血縁関係によらず有徳の人物に帝位を譲ること。中国の伝説上の帝王は禅譲で位を譲ったとされる。この伝説を理想としたものが儒教なのよね。現実にはなかったことをあったことにして、それを理想化して現実に当てはめようとしている点を見ると、儒教は宗教なのよ😅。

 

□簒奪(サンダツ)

君主になる資格がない者が、君主の地位を奪い取ることよ。力があれば国を治めることができるのだから、国の奪い合いとなる。そして、国を奪い奪われを繰り返しているから、国としての一貫性もなくなるのかも🤔。中国は漢王朝がターニングポイントだったのかなぁ🤔。

 

周王朝は創業期と春秋時代と戦国時代に分かれる。春秋時代は、周王朝は力はなくとも権威があった。その権威によって各地方の諸侯は覇者を名乗った。

王者は周王朝。王者とは「徳」で天下を治める者。

覇者は、実力や諸侯の信任で天下を治めるもの。

王者は権威、覇者は権力。その権威がなくなり、実力で天下を治めようとしたのが戦国時代。

 

そんな戦国時代の思想家が「孟子」なのよ。彼は「易姓革命」を唱えた。

易姓革命とは王者が徳を失い、天帝の意志(命)がかわり(革り)、王朝の支配者の姓がかわる(易る)ことだ。

 

あ~あ、言っちゃった😎。

国内の治安を悪くする、そして国としての統一性が保てない論理を。だって「何を以て徳を失ったとするか」という、徳の基準がないんだもの。これなら、王朝を滅ぼし新王朝を作った側が、「私たちは前の王朝が徳を失ったから滅ぼしたんだ。」とか、「私たちは徳があったから、前の王朝を滅ぼすことも新しい王朝も作ることができたんだ。」と言えちゃうじゃない😱。

 

権威を滅ぼすと、国が纏まらなくなる。権威と権力の違いとは🙄。

 

権威とは権力の根拠よ。

今、安倍晋三さんが総理大臣の地位にいて、行政のトップにいられるのは、国民が選挙で選んだ人であり、国民が選挙で選んだ人たちが選んだ人だから。「国民からの信任」を根拠にして、彼は権力を振るうことができる。

 

権力とは相手を従わせる力よ。

オウム真理教がサリンという劇毒や武力で東京を支配しても、恐怖で従うかもしれないが、心から従わないだろう。それは権力の根拠が不当であるから。武力は権力を維持するものとはなるが、権威とはならない。このオウム真理教は、実際に東京を制圧する可能性もあったのだから恐ろしい😱。226事件もそうね。陸軍の青年将校が武力で東京の中心地を制圧したが、天皇という権威を持てず、挫折した。

 

権威を滅ぼしてしまったのが秦の嬴政(エイセイ)。800年も続いた権威を無くし、諸侯を全て滅ぼし、新しい権威を作ろうとした。皇帝という新しい位を作り、始皇帝と名乗った。しかし、元諸侯であることは変わりはない。それに、秦は「野蛮な未開の地」と蔑まれていた。

 

始皇帝は、自分の権力を見せつけて、権威を築こうと巡幸した。巡幸とは、皇帝や天皇が各地を廻ることである。豪華絢爛な轀輬車(オンリョウシャ)に乗り、大行列で全国を練り歩いた。始皇帝は顔を晒して全国を回った。これがいけなかった。始皇帝は貧相な顔だったと言われる。「あれが始皇帝❓太ったオッサンだぞ。俺達と同じじゃないか。」「あんな奴が皇帝なら、俺だってチャンスがあれば皇帝になれる」「うらやましいなぁ」と思う奴も現れた。その代表が項羽と劉邦だ。項羽は秦に滅ぼされた楚の国の貴族出身。彼は「俺がとって変わってやる」と言ったとか😱。秦に最初に反乱を起こした農民の陳勝(チンショウ)はこのとき、「王侯将相寧有種也」(王や諸侯・将軍・宰相になると生まれたときから決まっている訳ではない。即ち、誰でもなることができるのだ)と言った。

 

これを民主主義と捉えるか🤔。国が混乱する実力主義と捉えるか🙄。君主制を残すか残さないかの分水嶺的、いやリトマス試験紙的思想だと私は考える。

 

この考えで、王朝が変わり続け、異民族でも皇帝となり(元・清)中国を治めたから、国としての精神的な纏まりが、中国にはないのかもしれない。今は「共産主義」というイデオロギーを精神的支柱にしているが、精神的権威となるものがない。精神的権威とは、私は理性でも理屈でもないと考える。理性や理屈を越えて従わざるを得ないものよ。だって共産主義は神を否定し、理屈だもの。

 

王は血筋で国を纏める。これを受け入れるか、受け入れないかで、民主主義の中で立憲君主制となるか、共和制となるかが分かれる。

 

秦は項羽の楚に滅ぼされ、その楚はすぐに漢に滅ぼされた。楚は中国の王朝にはならなかった。漢は前漢と後漢あわせて400年続いた。途中、王莽に政権を奪われたが、直ぐに前漢の血を引く劉秀(光武帝)に滅ぼされた。「漢の血を引く者が中国を支配する」という権威が築けた。

 

それを打ち砕いたのが曹操、曹丕親子。曹操は王となり、その子である曹丕は漢から帝位を奪った。形は禅譲だが、強制した禅譲であり、実際は簒奪である。

 

その魏王朝も、家臣である司馬氏に帝位を奪われた。

 

易姓革命を是とした国は、国の精神的な支柱となる者ができなかったと言える。だから、中国の皇帝の中には、天皇に憧れた者もいるらしい🤔

 

民衆が王を殺したのは2つある。1つはイギリスの国王チャールズ1世、もう1つはフランスのルイ16世。ロシア革命も皇帝を処刑したが、公開ではなかった。政府が闇で処刑したのだ。庶民の前で公開処刑したのは、イギリスとフランス。この2つの国は、その後混乱したが、結末は異なった。

 

イギリスは、クロムウェルの独裁を経て、名誉革命によって立憲君主制となった。

 

フランスは、フランス革命でルイ16世の首がギロチンで落ちたあと、社会は大混乱、殺戮の世の中となった。そのあと、ならず者を率いて皇帝となったのはナポレオン。その政治も長く続かず、フランス革命からナポレオン戦争の犠牲者は実に500万人、非戦闘員の割合は40%である。当時のヨーロッパの人口は約2億人。現在は約8億人とすると、500万人の犠牲者は、現在の2000万人に匹敵する😱。

 

国王が残れるかはどうかは、私のような中産階級、つまり、ブルジョワ(小ブルジョア)や貴族が、国王側につくか、労働者側につくかで決まる。

 

国王側につけば、国王の権限を抑制した憲法を作り立憲君主制となる。労働者側につけば国王を廃し共和制となる。

 

力があれば誰でも皇帝や王になれる世界。血筋があれば皇帝や王になれる世界。どちらが治安が良いか。選挙という平和な戦争がない近代以前の世界では、断然前者よ。いや、選挙だって血なまぐさいことも多い。

 

どんなに国内が混乱しても、国としての統一性を保つのは、王がいる世界なのかもしれないなぁ🤔。

 

日本は天皇のもと、貴族や武士が争った。天皇家が分裂して、国内が大混乱したこともあった。しかし、日本という国としての統一性は保ってきた。その伝統に価値を見いだすか、見いださないかも王制が存続するかしないかの原因かもしれない🙄。

 

しかし、王制が残るということは、王の周りにいる者たちの既得権も残るということだ。

 

その1番手は貴族だ。貴族とは、特権のたる名誉や称号を持ち、他の社会階級の人々と明確に区別された社会階層に属する集団を指す。

 

今の政治家も貴族化している。二世議員、三世議員と、いわゆるサンバン(地盤・看板・鞄)を引き継ぐ世襲議員となる。

 

貴族は国に寄生する。

寄生虫は人の栄養を奪うが、人にはならない。そして、栄養を奪われた人は健康を損ない、人は死ぬ。

貴族は国の税を不正な方法でかすめとるが、王にはならない。そして、税をかすめ取られた国は弱まり、国が滅びる。

 

さて、これは今日の日本の世の中に当てはまらないか🤔。権力者の権力や税の使い方に目を光らせ、不正は断固許してはいけないのは、このためよ。

例えば中国であれば、貴族は寄生虫にならぬ。自分が王となるのだ。西洋も同じだ。

しかし、日本の貴族はどんなに権力を持とうとも天皇にはならぬ。不正をおかして税を抜き取る。

 

荘園制なんて脱税システムよ。宇治平等院鳳凰堂は、その脱税した富で作ったものなのよ😱。

 

でも、歴史のマクロの目で見れば、必要なことよ。不労所得層ができると、文化の花が咲く。それは洋の東西を問わず同じである。哲学も数学も絵画と音楽も建築も何もかも、不労所得の賜物。

 

でも、社会階層の底辺で生活している者にとってはそんな文化よりも、今日の生活が大事。その階層が王を討ち、革命を起こす。

 

私は、既得権はあるが、その権利は弱い。不労所得はない。だから、ブルジョワよりもプロレタリアートに近いか🙄。しかし、サラリーマンで生活は安定している方だ。でも、その安定もちょっした躓きで不安定となり、社会の底辺に落ち込む可能性も大きい。小ブルジョアかな🤔。

 

では、共和制につくか、立憲君主制につくか。私は立憲君主制に賛成する立場。しかし、その君主に寄生虫のように集る貴族擬きには嫌悪する。これは理性ではなく感情の問題だ。税金の不正流用、行政の私物化、利権化、司法や立法の無力化というのは、立憲君主制には付き物なのかもしれない。

 

だが、共和制でも同様のことが起こる。共和制のあとに独裁制になったり、王制にもどったりするという歴史が証明している。

 

特に、今は、コロナ禍の有事である。国のリーダーに求められているのは、私利私欲ではなく、公平無私の方針を示し、果断な決断をすることだ。そして、その決断には今まで積み上げられてきた権力者と国民の信頼関係が問われる。

 

さて、安倍晋三さん。世襲議員であり、色々と不正を取りざたされているけれど、現在、立法府の、いや、 間違い😜、行政府のトップである。

 

「コロナ感染の拡大を国のせいにするな」というツイートをした自民の政務次官が叩かれている。政府の自粛要請に国民が従わないのは国民が政府に信頼も信用もしていないからだという自責の思いで国民と向かい合い、果断な政策を実行してほしいと願うばかりである。

 

安倍晋三さん、藤原道長にはならないでくださいね。私の藤原道長評はこちら👋😊