卑怯な❓🤔正義感
夜の寒い駅のホームで、うつ伏せで倒れている男性がいた。その男性の周りには、電車を待つ人がたくさんいる。「どうしたんだろう」とその男性を見る人は大勢いるが、その男性に声をかける者も助ける者もいない。周りの人やその男性の様子からすると、少なくとも数十分はうつ伏せで倒れている状態であったのであろう。
私もその男性には声をかけないし、私自身が助けようともしない。鉄道警察を呼びに行った。そして、男性のところまで案内して、私は雑踏の中に消えた。
そんな人助けをしない群衆について書いたブログはこちら👋😔
目の前に倒れている人がいるのに、誰も助けを呼ぼうとしない。ホント、しないのよ。おかしくないか🤔。
いや、その人を直接助けろとは言わない。でも、第一発見者が、いや、第一発見者じゃなくてもよい。明らかに異常な様子である人がいることに気付いた人は、100名はいたはずである。その気づいた人たちが、誰一人、助けを呼ぶという行動をしないのは異常だろう。いや、助けを呼ぶ私が異常者なのか🙄。
助けを呼ばないマジョリティ。
助けを呼ぶマイノリティ。
あぁ、これでは、いじめもなくならない。不正もなくならない。いや、いじめも不正もなくならないものだ。減らすものである。減らすように努力するものである😣。
非力な私には、いじめも不正もなくせないし、減らせない。でも、自分にできることはやる。
いじめの加害者はいじめた者である。しかし、それを傍観した者も罪深い。
不正は不正を行った者が悪い。しかし、それを見て見ぬ振りをした者も罪深い。
私やあなたがいじめと対峙しなくてもよい。
私やあなたが不正と対峙しなくてもよい。
私やあなたが人を直接助けなくてもよい。
しかし、私たちにできることはあるんじゃないかな🤔。
いじめがあると、告げることもできる。不正があると訴えることもできる。助けを呼びに行くこともできる。
できるはずだ。しないだけなのだ。匿名だって良いんだよ。
思い出すのは中学時代の出来事。
中2のとき、小柄で優しい男の子がいた。小学生のときにも同じクラスになったことがあった。クラスの中では影の薄い生徒だった。その子を、小柄ながら喧嘩の強い問題児が教室で、いじめていたのよね。その影の薄い子の髪の毛に赤や黄色のチョークを塗りたくって、そのいじめっ子が大笑いしているのよ。いじめられている子も苦笑いをしている。
私はいじめられている子と仲が良かったから、明らかに嫌がっているのが分かった。当然、先生にチクったわ。
後日
問題児「お前、先生にチクっただろう」
私「何を?」
問題児「○○(いじめられた生徒名)のことを。」
私「知らないよ。」
問題児「だってお前、見ただろう。」
私「何を見たというのさ。難癖つけるなや。」
この問題児とは同じ部活であったこともあり、また、私が、部長をしていたこともあり、彼はそれ以上私を問い詰めなかった。
ついて良い嘘もある。ついちゃいけない嘘もある。
私は卑怯❓🤔。
卑怯で結構毛だらけ、猫灰だらけよ~😎。
私はたまたま、そのいじめの現場を通りがかっただけで、私以外にたくさんの生徒がその場面を見ているのよ。はっきり言って、その場でそのいじめを止める勇気もないし、喧嘩が強いわけでもない。それでも、自分が出来ることをしただけよ😁。腕っぷしが強ければ、止めに入っていたかもしれないし。
でも、私は、次のことまで考える、理屈屋だったの。止めに入ったとしても、「遊んでいるだけだよなぁ」と問題児が言い、いじめられている子もそれに同意するだけだろうなぁとも思っていたのよ😅。
「卑怯な人助け」をする人が増えれば、いじめも不正もなくなるのかもしれないわね🤔。
いや、チクったり、助けを呼びに行ったりすることは卑怯ではないわ。助けるべき人が助ければ良い。社会の中では、警察官であったり、駅員であったり、先生であったり…。個人は、自分に出来る範囲で人助けをすれば良いと私は思うわ😄。
まぁ、トラブルに巻き込まれたくないという気持ちも分かるのだけれど…😔。私もトラブルに巻き込まれたくないから、私が出来る範囲にしているのよ😊。