つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

人の目

駅の階段の下で、おじさんが血を流し倒れていた😱。階段から落ちたのであろう。駅員が介抱している。そういう場面に遭遇したら、みなさんどうしますか❓。

私は立ち去る😔。

 

このとき、私は階段を降りていた。降りる先に人集りがあり、その中心に血を流したおじさんと駅員さんがいたの。私は、それを遠巻きに見ているたくさんの野次馬の目が嫌い。ゾッとするの😣

 

何のために見ているの❓🤔。「心配だから」と返ってくるだろう。心配してどうなるの?というより、本当に心配しているのなら行動を起こしなさい。いや、それは親切心の逆効果、ありがた迷惑だろう。助けている人がいるのであれば、立ち去るのが親切じゃないかなぁ🤔

 

この原風景をたどっていく…。

 

大学を卒業したてのころ、青山通りを車で通っていた。左の歩道に人集り。みんな道路を見ている。私は赤信号でとまり、野次馬の視線の先を見てみると…、

 

 

 

 

 

 

大きなバイクが壊れて倒れていた。壊れた車もあった。そして、歩道のサツキツヅジから、Yの字になっている黒い足があった。頭は低木の並木の中。つまり、バイクの運転手が低木に逆立ちするように突っ込んでいて、ピクリとも動かない状態になっていたの。警察官がそこに駆け寄っていた。

 

そのときの野次馬の目が忘れられない。私の車からは、野次馬の目まで見えなかったのかもしれない。でも、私には見えたの。瞬きもせずに、亡くなっているかもしれないライダーの足をじっと見ているたくさんの目。怖くなった。隣の友人もじっと見ている。さすがに私はドン引きした。でも、そのことを友人には指摘しなかった。良心は人それぞれ。

 

さらに原風景をたどると、小学校低学年の時に遡る。鬱蒼と雑草が繁った野原とどぶ川。たくさんの友達とザリガニを釣りに言ったとき、私はどぶに落ちた…。ってこの話はよそう😅

 

私は駅の構内で倒れている人がいたら、原則は介抱せずに、駅員を呼びに行く。駅の外であれば、派出所に駆け込む。私は、人を助ける知識がない。知識がないのに助けるのは迷惑と考えるようにしている。だから、助けを呼ぶ。それも、助けることを仕事としている人に。緊急の時は別だが。

 

申し訳ないのだが、特に女性の介抱はしないようにしているの🙇。お酒に酔いつぶれて、ホームの地べたにうずくまっている女性をたまに見かけるよ。親切心で介抱して、痴漢扱いされて冤罪となったら大変よ😞💦。自分の人生を台無しにすることにもなり得るわ😱。まぁ、男性だって、因縁を吹っ掛けられるかもしれない。だから、こういう場合は、助ける職務があると考えられる人を呼ぶことにしている。

アルコールの限界を知らず、飲みすぎる人であること自体、その人のトラブル危険率は高いと私は判断する。だから、人を呼ぶという情けはかけるが、余計な情けはかけないのよ。

 

野次馬根性は大切よ😉✨。好奇心旺盛ということだからね。

しかし、人が困っていたり、怪我などをしている様子を野次馬根性で見るだけなのは、私は生理的に嫌悪しちゃうの😣。見るくらいだったら、自分のできることをしろ。できることがないのなら、立ち去れ。

 

というけれど、そんな私もワイドショーを見てしまうのよね😅。人間は矛盾した生き物😌。

それとこれとは別物として考えよっと😎