つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

1990年🤔

ホント主観的な根拠の私見です😁

 

何だかんだ言っても、1990年代って日本のターニングポイントのような気がする🤔

 

お笑い界では「ダウンタウン」かなぁ🙄

 

ダウンタウンの前までは、ドリフターズも俺たちひょうきん族も、ある意味作り込んだ笑いだった。確かに「ごっつうええかんじ」も作り込んでいたが、何かだらっとした、それでいて当意即妙な切り返しがもてはやされた。その後の雛壇芸人に通じる流れがあるのかも🤔。

 

この、芸人というか、芸能人が大衆消費されるようになったのは、それまでの伏線がある。

 

昔は銀幕の大スターであった。吉永小百合勝新太郎小林旭石原裕次郎も。それがテレビの普及に伴って、わざわざ映画館に高いお金を払っていかず、家で娯楽を楽しめるようになった。

 

芸能界もそれに合わせて、「スター誕生」やお笑いの勝ち抜きバトル的なものが流行り出したのは1970~80年代。それでも、山口百恵中森明菜などアイドルは高嶺の花だった。面白い素人を出すようになったのはお笑い界だと思う。

 

面白い素人の代表格は、私は「とんねるず」だと思う。だって彼らはテレビに出始めはめちゃくちゃだった。オールナイトフジだったかなぁ。興奮しながら「一気」を歌っているところで、貴さん(石橋貴明)が一台1000万円くらいするテレビカメラを乱暴に扱い壊してしまうのよ。あのときののりさん(木梨憲武)の青ざめた顔が印象的だった。まぁ、素人がめちゃくちゃやれば、テレビに出られる可能性を作り、そのスターへの階段を一気にかけ上ったのがとんねるずだと思う。

 

そして、そのとんねるずが出ていた番組が「夕焼けにゃんにゃん」。とんねるずおニャン子クラブ秋元康がプロデュースした。才能がある特殊な人がいる芸能界の壁を壊し、隣のにーちゃんやねーちゃんが出られるようにしたのが彼だと思う。それでいうと欽ちゃんがプロデュースしたのも、ほぼ素人だった。代表的なのは見栄晴やわらべね。

 

その延長線上で考えると、ダウンタウンって時代の申し子で、10年早かったら、こんなに人気がでなかったと思う。時代の流れに沿った才能はあるけれど、確固たる才能はないというのが私の見方。

 

いや、才能がないというわけではない。今までは「俺にはできない」という才能がある人が芸能人となっていた。それが、この1980年代半ばから90年代は「俺にもできるかも」と思われながら、でもできないという才能がある人がテレビに出るようになった。

 

だって、やすきよやツービート(ビートたけしビートきよし)を真似た漫才師は出てこなかったが、ダウンタウンを真似たコンビは雨後の竹の子のように出てきては消えていった。

 

芸能界の大衆化が進んだのね。

 

教育もそう☝️😅。

たとえば大学進学率。1990年は25%だった。それが今や55%。4人に1人であれば、大学に進学した者は、まだ、「エリート」であった。しかし、2人に1人以上進学するようになれば、これはエリートではない。

学歴では人を測ることはできない。何をどのように学んできたかが問われる。でも、私の中では、問われるから学ぶのではなく、問うから学ぶのである。学び問い続けた結果、社会から問われるのである。「問われる」のは、目的ではなく結果である。学び問う場所は「大学」ではなくても良いのよね。専門学校、丁稚奉公、実社会の中で失敗を繰り返し、試行錯誤しながら学び問う。しかし、大学が大衆化した。大学に進学した方が、社会も保護者も生徒も楽なのだろう。簡単に人物を測れる物差しができて😅。

それで、高校が猫も杓子も大学進学を目指す学校に変わっていったのも、生徒の囲い込みを図るために私立高校が付属中学を作り出したのも、1990年以降なのよ。埼玉県の私立中学の設立年を見ると分かる。「うちのカリキュラムとシラバスに従って勉強すると、有名大学に進学できる」を謳い文句に、雨後の竹の子のように、私立中高一貫校が量産された。学力不振の子が進学する高校も名前を変えて中高一貫にし、スポーツで有名な高校も中学を作り進学に力を入れた。元洋裁学校も、元自動車学校も、元調理師免許取得の学校も、全て進学校となった。

 

こういう流れは、流通業にも言える。コンビニやドラッグストア、イオンモール、家電量販店がそうだろう。

 

個の尊重を唱いながら、テレビも学校も何もかも画一的なものになっていく。グローバル化も、言ってしまえば、地球規模の画一化。

 

昭和は「画一化、均一化、没個性が何が悪い。」というスタンスの画一化であった。それはそれで単純で清清しい。

 

1990年、平成の世は、個の尊重と言いつつ、画一化の時代だったのかも。だから問題が複雑化するのかもしれないなぁ🤔