生徒の問題行動と体罰190119(ブログセレクション)
町田総合高校の体罰
生徒のは暴言で、体に危害を加える暴力ではない。
「心の暴力<体の暴力」という図式が成り立つのかなぁと思った🤔。まあ、責任の重さは当然「子ども<大人」だが😔
「言葉の暴力」に「体の暴力」で対抗したら、「体の暴力」を振るった方が負けだよね。たとえ、はめられたとしても。
こういう事件が起こると、大人の不甲斐なさを感じるの😣。
前々回のブログ(ブログを書いた2019年1月19日時点)に書いたが、大人が範を示していないことも大きな原因の1つではないかなと考えるの🤔
子どもの問題行動の背景
背景には家庭環境、保護者、本人の資質、友人関係など多岐にわたる。ここでは、その多岐に渡る背景の中の1つだと思う私の考えを語りたい。話が大きく逸れるところもあるのでご注意を🙇
連日のようにテレビには大人の不祥事が流れている。
不祥事例①
サービス残業や過労死の問題にも繋がるよ。従業員が会社のお金を少額といえども横領したら、懲戒解雇となるだろう。しかし会社が従業員の時間を横領(❓)しても、問題にしないところが多い。たとえば時給3,000円の正社員に1時間のサービス残業を強いれば、3,000円の横領に等しいと私は考える🤔。会社は規則(法)を守らず、従業員には規則を守ることを強いるということだ。規則を守り、規則を犯されても文句を言わない、真面目な従業員は過労死に到る😣。
不祥事例②
状況証拠だけの疑惑であれば、居直ることも可能であることは、立法・行政・司法・教育界・スポーツ界・芸能界・マスコミなど、あらゆる分野で示している。政治の世界では言行不一致が当たり前になっている。具体的な内容に踏み込むのは避ける。なぜなら、あくまでも『疑惑』もあるからだ。でも、司法が法を犯したことは、ホント末期的状況😱。その自覚が日本人にあるのかなぁ😖。それに法相が「裁判官なんて俺たちの言いなり」と発言したことがあるとか。また首相が何度も国会答弁で「私は立法府の長」と言う。
奈良時代は「班田収授の崩れ」というタイトルが教科書でつくが、百年後には平成時代は「三権分立の崩れ」とか「モラルハザードの時代」というタイトルがつくかもしれないな。その象徴的な人物が○○○○だったりして😱。
話を元に戻さないと😅。
私の考え
範を示すべき大人がルールを守っていないのに、子どもにルールを守らせるのは、子どもにとっては納得の出来ないんじゃないのかなぁ🤔。あと、おとしめたりおとしめられたり、蹴落としたり、連日のように大人の醜い姿がテレビやネット、週刊誌などから垂れ流されている環境で育てば、悪人が生まれるのも当然かも。まあ、どんな環境でも、一定の割合でそこからはみ出すのだそうだが😅
暴言を吐かれても、暴力をふるってはいけないのは社会のルールで、そのルールを破った時点で、その教師はアウトということ。
生徒:この落とし前はどうつけるんだ
教師:このってどのこと?落とし前って何❓
生徒:小さい脳みそで考えろ
教師:何と比べて小さいの❓量ってみたの❓
生徒:ツイッターで炎上させるぞ
教師:貴方を大人として扱おう。それは脅し。録音するからもう一度言ってくれるかな。
う~ん😣。