つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

仮面の告白🎭190329

皆さん、ブログを読んでいただき、☆も付けていただきありがとうございます🙇。お話ついでに、知り合いや身内には話せない心の内を、告白します😅。ここのところ、気持ちの波が大きいわ~😌。ウェブにログしておこうとも思ったの🎵。「病みブログ」なので閲覧注意よ😅。特に、これから前向きに頑張ろうとしている方は、ここで読むのを止めるのが良いと思う😌。

 

週に1回ペースで投稿する「チューの成長日記」と「チューパパの黄昏日記」。皆さんは読んで、どのような感想を持っているのかなぁ🤔。
チューの成長日記⑨190325② - つれづれなるままに
ノンフィクション。創作なし。だって妻にも読んでもらうことがあるし、義父も読んでいるのよ。嘘は書けないわ。
 
あれは・・・、自分の中の理想の父親、教師であり、それを演じて、酔っているとも言えるのよ😓。ただ、理想の夫とはなっていないようだけど、なるようには努力はしている😅。

 

乳児の時に通っていた水泳教室は断られ、幼稚園は中退し、医者にもこれ以上良くならないと言われたチューが、こんなに良くなったのよ~📢🤣って言う叫びでもあるの😁。

 

ママも頑張った。パパも頑張った。チューはもっと頑張っている。その頑張りを、頑張らずにやるという想いもあるの。う~ん😣。頑張らずに頑張るってよく分からないよね😌。私もうまく説明できない。でも、そこには、子育て、教育の理念があり、それもブログの中で語っているわ。
 
僕は高校以降、優秀ではなかった。皆さんと同様に色々と傷ついて生きてきた。その傷を傷のままにするのか糧にするのかの違いが、今に影響を与えると考える😔。まあ、傷と言っても、今となってはかすり傷程度だったのかなぁ🤔
今までにも、インナーチャイルドを使って、チョコチョコ僕の心の傷を語ってきた。ここでも、プチッとドロッとしたことを1つ記録しておこう。この出来事が全てじゃないわよ😅。

 

これも今まで忘れていたのだけど、インナーチャイルドに問いかけて、アリアリと情景が目の前に表れてしまった😅。私は自分自身に対して、腕利きのカウンセラーなのかもしれないわね😎

 

高校3年のときの、学校の渡り廊下での出来事。
 
近所に住む小2からの幼なじみ。高校も同じであった。彼の友達と2人で私とすれ違った。この幼なじみ、何かと僕と張り合う奴だった。高校では成績も立場も逆転していた。中学時代好きだった子を文化祭に誘ったが、その子は僕の誘いは断ったにも関わらず、この幼なじみの誘いには喜んで来ていたの😱。まあ、振られたわけだな😅。
そんな彼が、僕に「よう。」と声をかけた。僕も「やぁ」とこたえてすれ違った。そのあと、後ろから「あんな奴と知り合いなの?」という彼の友人の声が聞こえた。僕はそいつとは面識もなく、そんなことを言われる筋合いはない。ただ成績が悪く、友達付き合いも良くなかった。高校の文集を扱う委員会の委員長になったが、委員長になり損ねた同学年の子に反旗を翻されて、空中分解させていたところだった。まぁ力がないくせに、委員長になった僕が悪いのだが😅。
そんな身動きできず、悩み続けた高校時代。この悩みの原因は全て自分にある。自分の力不足と、その力不足を認めなかったことにある。だが、誰かに助けてほしかったと、いや、話を聞いてほしかったと思う自分もいる。
今の私は、そういう生徒の救いとなりたいと思い行動している。成長していく中で、悩み苦しむのは大切なこと。でも、そのときに、話を聞いてくれる存在がいかに救いとなるのか、そういう存在が私にはいなかったことで実感している。しかし、あの悩みがなければ、あの心の傷がなければ、今の私はいない。子どもが生まれても、今のような接し方が出来なかったかもしれない。チューを煙たく思ったかもしれない。だから、傷つくことも大切なんだという思いと、救いたいという思いのジレンマがあるよ😔。

 

告白する。チューを煙たく思ったことなんて、チューが生まれてからずっと思ったことなんてないよ。

 

もっと重い障害を抱えた人が沢山いるんだよ。今日もいたよ。重い障害を抱えた人たちが。たとえば、お年寄りが立っているのに、席に荷物を置いてどかさない、うら若き乙女。歩きスマホをしながら避けようともしない青年。人に迷惑をかけても気にしない。そんな迷惑をかけている人が沢山いるのに、そういう人に注意せず、盲目で白い杖をならして歩いている人を冷たい視線を送り、車イスでバスに乗ろうという人に「時間がかかる」と舌打ちする。おかしいよね。百歩譲って、後者の二人が迷惑だったとしても、その迷惑に罪はない。しかし、前者の二人は罪深い迷惑だと私は考える。いや、後者の二人は「迷惑」の範疇に入れてはいけないというのが、私の個人的な信条だ。
 
父には申し訳ないが、父を反面教師にしているところも今の自分にある。父を責めたいわけではない。敬愛している。でも、誰にでも欠点はあるのよ。それは仕方がない。まあ、亡き父の何を反面教師にしたかは記録しないでおこう😔。
 
父は、ガンが進行していることを隠し、亡くなる当日まで元気な姿を見せていた。後で思い返すと、トイレが水浸しになった形跡があり、トイレットペーパーで拭かれていることが何度か合ったとか。亡くなった後で、それは吐血を隠していたんではないかと思えた。私たちにとっては父の死は突然死と同じであった。だってその日の朝まで元気な姿を見せていたのだから。なぜ辛いことを言ってくれなかったのか責める気持ちがあったが、一方で、言わないことが父の矜持であったとも思う。自分の矜持を全うした父を、今では私は誇りに思う。

 

亡くる1週間前に「お母さんはお前がいるから大丈夫だな」と父を駅に送る車で言われたことが忘れられない。父よ、あなたとの約束を果たせているかと、墓参りに行くと自問してしまう。

 

僕には託せる人がいない。将来のことを考えると、暗くなる自分がいる。チューに「将来のこうなりたいなら、今を犠牲にしろ。勉強しろ。」なんて、彼の特性を考えると言わない。僕に残せることは、幸せだと感じた思い出だけなのだよ。だから、「今の幸せ噛み締めて、明日の幸せに繋げよう」という信念が生れた。
 
「今の自分」と「ブログに書いた自分」が「本当の自分」か分からなくなることもある😓。塾で親や生徒への熱意は、職員への対応は、妻やチューへの愛情は、本当の自分なのかと自問する。
 
教科系のブログ。

つれづれなるままに国語を語る⑩190327① - つれづれなるままに

つれづれなるままに歴史を語る⑦190325 - つれづれなるままに
 
鼻につくところがないかなぁ😅。そう、これは学力的な劣等感が発露だろうと思えるの。でもね。この劣等感って、悪いものではないのよ。秀吉は容姿が悪く多指症だった。そして、貧農の出だとも言われる。徳川綱吉は小人病だったとも。しかし、学問は誰にも負けなかった。劣等感をバネにすれば良いの。私もバネにしているよ💪😊。
 
「お前は良い父であり、良い夫であり、良い教師だよ。それを認めてもらいたくて認めてもらいたくてしょうがないのだろう。じゃあ、俺が認めてやるから、もう自由になれよ。」と心の中で言ってやる。そう、思いを口にし文字にすることで、心のバランスを保ち、処理するのは大切なことなのよ。
 
そう。人並みに欲望はある。金銭欲、食欲、性欲、睡眠欲、権力欲、承認欲・・・。今挙げたものは皆、一次的欲求。その欲求があるのも自分。しかし、今の自分は二次的欲求が大きくなった。それは、人を喜ばす、人が成長する、周りを幸せにするという欲求。そんな世界をとか日本をなんてことではない。まずは家族、そして、自分と縁があった人。そういう人たちが、僕と会えて良かったと言われたいという欲求。年をとったのだろうか。一次的欲求よりも、はるかに強い欲望となっている😊。
 
と、自分を掘り下げてみたのであるが、今の私は演じた私であろうとなかろうと、私であることにかわりはない。そして、過去に受けた沢山の心の傷は、私の今を作ったものであり、それは糧となったのだろうと、私はブラスの意味付けをした。
 
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。私のインナーチャイルド系のブログは全て病みブログの部類となると今、気がついたよ😅。