つれづれなるままに国語を語る④190306
前回までのお話
①国語力の土台は語彙力である。
②語彙力には言葉の数だけではなく、言い換える力も入る。
③語彙力をつける方法は、覚えた言葉を使ってみることである。
詳しくは下のブログをお読みください😄
つれづれなるままに国語を語る③190304 - つれづれなるままに
(1)論理を学ぶ
私はユダヤ教徒でもキリスト教徒ではないけれど、聖書の物語はとても好き。だって人間臭いから😁。特にヘブライ語聖書(旧約聖書)が面白い😆。
論理を語る上で私が外すことができないお話がアダムの言い訳。
イブは蛇に騙され、善悪を知る木の実を食べ、イブに勧められてアダムも食べてしまった。それを知った神(造物主)はアダムに質問をした。
「お前は食べるなと私が命じた木の実を食べたか?」
アダムは答えた。
「あなたが私と共にいるようにした女が取って渡したので食べました。」
これを読んだときの私の感想は
「アダム、スゲー❗️❗️」😱
造物主に言い訳しているよ~。造物主だよ。造物主。
人って一神教の神(造物主)にとっては物なのよ。だって土をこねてアダムを作ったんだから。まぁ、焼き物の職人と信楽焼のタヌキの関係なのよ。あの、大きな○○○○を出した、大きな焼き物のタヌキ。職人が、「くそ~気に入らない。」と言って壊しても、このタヌキは文句を言えないよね。そのタヌキが職人に向かって、「お前が作った俺の相棒の信楽焼のタヌキは気に入らねー」ってほざいたのよ。私だったら、ふざけるなぁって言って壊すかも😅。
あっ❗️
怖くて壊せないかも。
壊すじゃなくて、その時点で殺すだから。造物主も息を吹き掛け、命を宿した責任もあり、壊せ(殺せ)なかったのかも😅
アダムの言ったことは、責任のすり替えの論理なのよ。イブに唆されただけでも、妻に責任を押し付けるのかよ(゜o゜)\(-_-)と、突っ込みたくなるが、まだよしとしよう。
でも、こんな男を好きにならないでね。彼はダメンズ(懐かしい響き)だから。でも、こういう人に限って、女性にモテるのよねぇ😅。オイラはチーともモテやしない(-ε- )。
読者「いや~、ゆうさん、今日は話が脱線しすぎですよ。」
ゆう「だって夜中の2時半に、飲んで書いているんだもの😁」
ここには書けない嫌なことがあって、ブログを書いて憂さ晴らししているの。
読者さんごめんなさい😭
憂さ晴らしに付き合わせて😅
おっと、アダムのすり替えの論理の話だよね。
「あなたが私といるようにした」ってスゴいよね😱。だって事実を述べているに過ぎないのよ。神はアダムのためにイブを作ったのは神の慈悲なのよ。それをここで言うとは🤷♂️。
1.「食べました。」
2.「『イブに勧められて』食べました。」
3.「『あなたが私といるようにした』イブに勧められて食べました。」
『 』の中をわざわざ言うのには意図があるのよ。でも、こういう言い訳をする人って結構いるの😣。そして、それを言い訳だと指摘すると、「だってただ事実を言っただけだもん」と言うんだよ。よく分かる。
と、不謹慎にも聖書を引用して、脱線しながら、論理について語ったの😅。
論理とは、考えを進めていく筋道のこと。論証の組み立ての仕方であり、思考の妥当性が保証されるものなのよ。この論理を使って、人は神と戦い続けた。でも、言葉という記号で論理を組み立てると、どうしても飛躍が入るものなのよ。その飛躍が入らない論理の手段が数学なの。
あっ❗️❗️😅
ここは国語力を語るだから、別の機会にしよう😎
(2)まとめ
論理とは論証の組み立てであり、思考の妥当性が保証されるもの。論理は人とのコミュニケーションで、欠くことができないもの。
ふう。夜中の3時5分。寝ます🎵😪💤💤