あらまぁブログってそういうことだったのね😳190306②
(1)ブログとは
ブログって、「ウェブログ(Web Log)」の略なのね。ウェブサイトに記録することと、昨日知ったの😳。お恥ずかしい😅
調べもせずに、(個人的な)日記を公にするぐらいに思っていたよ。そうではないのね。というか、それも含めて、ウェブログなのね😅。
(2)日記とは
日記って色々あるよね。
後世に残すための日記
読む人を意識した日記
備忘録としての日記
等々。
私のブログも同じだが、ブログを読んでいて、情報発信が強いなぁって感じていたんだけど、ブログ自体がそういうものだと知って、何か腑に落ちた😄。
ダイアリーが日記だものね。ウェブにログするダイアリーがブログなのか、って、なんだかルー語になってきたぞ😎
日々考えていることを記すのが日記であるならば、すべて日記となるよね。だから、日記に書くことは、日々起きたことでもよいし、感じたことでも、考えたことでも、小説でも、写真でも、絵でも構わないことになる。
(3)ブログがSNSとなる。
ブログをSNSにしたのが、いいねや☆をつけあったり、コメントしあったりする機能なんだなぁって分かったよ。
(4)「ブログ考」から「常識考」へ
と考えていくと、既存の物と既存のものが結び付いて、新しい物が生まれ、それが常識となって、空気のようなものになるのかなぁ🙄。そうすると、常識ってどうやって生まれてくるんだろうって、話を飛躍させる😊。
今、日本で寺社というと平和の象徴にも見られるが、江戸時代より前までは、武装勢力だっんだよね。利権ガッチガッチ(今でも利権はあるが、ここでは触れない😅)で、自分の意に沿わない奴には、僧兵や神人を遣わせて、その相手を仏敵や神の敵とみなして叩きのめした。関所や座って彼らの利権だから、それをなくそうとした信長さんを仏敵にするのは当然か🤔。最近は再評価されている足利義教さんは信長さんの先駆者とも。彼らのお陰で、政教分離となったのかも。それに、徳川さんが檀家制度を敷き、仏教を国家の一機関として骨抜きにしたとも😅
綱吉さんも再評価されている。悪名高き「生類憐れみの令」。戦国時代の気風を一掃し、羽毛より軽い命を大切なものに意識を変えさせたとも。
う~ん。意識が先か制度が先か🤔。まあ、マルクスさんの「常識を疑え」とは、解釈の仕方次第では、新しいものを生む力となるものなのかもしれないなぁ🙄