教育を語る190221
最近、どちらかというと情緒系やライト系のブログが多かったので、今日は教育系の固い話をしようとして思う😄
中小塾のワンオペ雇われ塾長だが、教育に関しては一家言ある😎。国を動かそうという大逸れたことは考えていないが、自分の子どもや塾で預かった生徒には、自分の信念をもとに育て、指導しているの。読んで、相容れぬ考えが出てくるところは。ご容赦ください🙇。
あと、かなり長いブログなの😅。お急ぎの方は、後回ししてね😉。以前、私が書いたブログを含めて読んでいただけると、とてもうれしい😆
(1)自分の信じる道を指し示す
①嬉しさと身の引き締まる思いと
月曜日のブログで妻と二人で昼食を食べに行ったことを書いたが、そのときにこんな会話をした。
👩「○○さんって知っている❓」
👨「うん。去年まで私が所属していた教室の生徒だよ(私は自宅の最寄りの駅の前の教室で5年間、教室責任者をしていた)。生徒の下の名前は○○○さんだったなぁ。でも、何で❓」
👩「この前、勉強会に行ったとき、その子のお母さんが、たまたま隣の席に座ったの。」
私の妻は、市内の発達に課題のある子の親の勉強会に積極的に参加している。
👩「そのときに、『今まで子どもを育ててきた中で、最も救われた言葉は何か』と言う質問があって、彼女が『娘が通っていた塾の先生に、自立への道は一本道ではないと言われたことだ』と答えていたの。そのとき、ふとあなたのことだと思ったの。このフレーズ、あなたから聞いたことがあったから。」
それを聞いたとき、嬉しさと同時に、身の引き締まる思いがした。私の言葉が、人の救いとなった。昨日の保護者面談でも、同様の気持ちになった出来事があったのだが、それは別の機会にしておくね😊
②人に教えるという立場
私の教育上の信念の1つが、この1月16日のブログに書いた内容だ。まだ、ブログをやり始めて2日後で、ほとんどアクセス数がなかったブログ😌
人の考えは人それぞれ。というとは、人はそれぞれの信念を基として動くものだよね🤔。従って、教師も、教師それぞれの信念の基として、教えたりアドバイスしたりするものなのだろう🙄。反社会的な信念による行動は別の話よ😔
こう考えていくと、私の考えに共鳴してくれた方は入塾するとなる。私は個人経営の塾ではないので、会社の考えと私の考えを、自分で擦り合わせなくてはならないが。
(2)教育とは何のため
教育は何のためにあるのか。人が一人一人幸せになるためにあると考える🤔。それが、結果としてその国の力を増すことに繋がる。逆の考え方も当然あるのは知っているよ😔。教育とは国力を増すためにあり、その結果として国民が幸せになる。大学で教育法を専攻した私は、前者の考えである。
どちらの考えにせよ、今の国は若者への教育投資額が少ないなぁ😖。議員は利権の代表者でもあるので、投票率が高い年代優先の政策を行うものだということを有権者はもっと理解した方が良い。逃げ切ったあとは、ぺんぺん草も生えない荒野となるかもよ~😱
でも、若年層で与党の支持者も多いという調査結果もあるからなぁ😌。今の与党って改憲勢力となっているから、革新となるのか🤔
話が逸れた🙇
国策で大学入試改革が行われる。それに伴い、高校、中学校、小学校の教育内容が変わっていった。やれ「AI」だ、「英語4技能」だ、「プログラミング」だ、「科学実験」だ、「能力開発」だと時流に乗り遅れまいと、公教育も私教育もこぞって取り入れるようになった。私に言わせると、これらは全て道具であって、教育の本質ではない。
ちょっと言い過ぎかな🤐。
道具なら、その道具を使って、本質に迫る教育をすれば良いんだよね😊。でも、ホント、目新しい上辺でしかないのかも🙄。「遊ばせて、楽しんで終わり」というような・・・。帰国子女や才能がある方なら別だが、私を含めた多数の凡人には、
「落ち着いて母国語で考え、そして、表現し、行動する。」ことが自立の土台だ
と思うの。
英語脳を鍛えるとかと算数脳を鍛えるということに目を向けがちだけれど、母国語脳を育てるのは軽く考える☺️
「教育とは自立への道である」
(3)ニーズは常に正しいか
商売はニーズがあって成立することが多い。ニーズを作り出すのって大変なのよ。
塾の商品を並べれば、保護者のニーズが浮かび上がる。すると、特に小学生では、プログラミング、算数、パズル、速読、受験、国語的算数・・・。国語とか作文教室もあることはあるが、売れないのよね。高校1年から大学入試に向けて勉強する子は、数学と英語がメインで、国語を習う子はほとんどいない。
塾に商品(授業や教材等のことね)が沢山あるのは否定しない。私もそれを生業にしている。私が憂うことは、保護者がそれに翻弄されることだと考える。
えっ❗️❓売る側が悪い❓😅
だって法を犯しているわけでもなく、こちらは良いものだと思って売っているんだもの。悪徳塾は、また別の話ね😎
ネットリテラシーならぬ、保護者に教育リテラシーをつける必要があるのかも。
(4)勉強オンチ
いわゆる歌のオンチや運動オンチって、すぐに認めがちだけれど、勉強オンチはみんな認めたがらない。というか、勉強にはオンチがないと考えているのかもしれないね😅
歌が抜群に上手い人がいる。運動神経が抜群によい人もいる。そういう人に誰でもなれるとは思っていないのに、勉強に関しては、やれば誰もが抜群になれると考える人が多い。どれも頭を使い、体を動かすことでは変わりがないのに何故だろう🤔
いえね。オンチはオンチのままと言いたいわけではないのよ。運動オンチな子が、一生懸命練習をして、1秒でもタイムが上がったら「すごいねぇ」👏と誉めるじゃない😄。タイムが上がらなくても、努力したことを承認するよ👍。しかし、勉強の試験だと、努力より結果が重視されるのよね。運動オンチな子に結果ばかり求めたら、その子は運動が嫌いになるのは目に見えている😓。
勉強に関しては、努力しても結果が悪いと「結果が全て」なんて、子どもに向かって、当然のごとく言う保護者の多いこと😱。極論だけど、それを突き詰めていくと、「過程なんて問わない。結果が全て」となるのよ。それは、「不正してでもよい結果を出せ」ということになる。
あれ❗️❓🤔
これって、日本社会の病巣になっているよね。ニュースでは、不正に関する不祥事が毎日報道されているよ。この日本社会の病気は、教育、そして、保護者の意識を変えないと治らないのかもしれない😔
教育は努力の過程も大切である。
私は、特に教育においては、
結果≦過程
というスタンス。
でもね。教育を生業にしているものにとっては、結果の方が大切になってしまう。結果にコミットするサービス業だから。サービスの語源はサーバントだからなぁ😣
(5)指導スタンス
私は進学塾で働いているが、生徒を見て、専門学校への進学も勧めている。今年は2名に提案した。今までにも、自動車学校や調理師学校、看護学校に進学した生徒もいれば、今年はスポーツビジネスの学校に進学した生徒がいる。
保護者や本人と何度も面談し、本人とはさらに面談し、進路を提示する。
専門学校を勧めると聞いて「子どもの可能性を摘むな」って思う方もいるかもしれない😔。
普通科教育を受けてきて、大学進学率が6割近い現状を踏まえると、世間的には専門学校を選ぶのはドロップアウトと捉えるのだろう。しかし、私は大学進学だけが可能性なのって心から思うの📢😄。
確かに安易には勧めないよ。受験から逃げるのか、専門学校に進むのが自分の道なのかで意味合いは大きく変わる。
キチンとケアはしているよ。やはり専門学校に対する世間の評価は高くないから。
「そこに進んだ貴方の決断は正しかった。」
「実践的な専門教育の方があなたにとってはモチベーションがあがるよね」
というように😊
融通の利かぬ学歴信仰に侵されていたり、社内の評価を気にしたりしていたらこんなことしない。いや、そもそも大学受験の予備校で、そういう生徒を預かることがシステム外か。そこにも問題があるな🤔
「ひとつの価値観に囚われず、子ども達と真剣に向き合いたいなぁ。」
と、今、私が「~したいなぁ」と思うということは…😅
こんなことを思うけど、「金八先生」にはなりたくない😔。私はあの番組が教師という仕事をブラック化させたと考えるが、これは別の時に😁
(6)まとめ
なんか話がまとまらなくなってきたね😅
最後に強調したいことを伝えて終わりにさそよう。
①教育の目的は自立である
②自立の道は一本道ではない
③教育=「結果≦過程」
どう実践しているのかは、普段のブログの中で、ライトに主張しているつもり😁