つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

読解力・論理的思考力~教えて身に付くものなのかしら🤔~

森が燃えていました


森の生きものたちは われ先にと 逃げて いきました


でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり


口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは火の上に落としていきます


動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います


クリキンディはこう答えました

「私は、私にできることをしているだけ」

出典:「ハチドリのひとしずく」 辻 信一監修 光文社刊 2005年

「この文章を読んで考えたことを600字以内で述べなさい」という問題が慶応女子高校で出題されている。

 

 

「読んで『思ったこと』を」ではないのよね🤔。「考えたこと」なのよね。

 

 

感想ではない。思考が問われているのよね。

 

 

皆さんだったら、この文章を読んで何について考えるかな🤔。

 

 

「森が燃えていました」というフレーズを切り取って「地球温暖化」について書く生徒もいる。

 

 

「森林火災」と「逃げ惑う動物」から、「自然環境」について書く生徒もいる。

 

 

さて、そのようなことを書いた生徒に、それでは論点がずれていると、どのように教えれば良いのかしら🤔。

 

 

いや、論理力って中学生以降に育まれるものなのかしらって疑問に思ってしまう。

 

 

だって、あの物語を読んで、物語のテーマが読み取れないのよね。テーマを読み取って、自分の考えを述べられない生徒に、どのように教えれば良いのかしら🙄。

 

 

物語を読んで、物語のテーマが読み取れないのは「感想絶対主義教育」が原因だと私は考える🤔。

 

 

それにもうひとつ「そういう見方もあるよね~」のような歪んだ「個性尊重教育」にも原因があるとも思うのよ🙄。

 

 

「へ~、あなたはこの文章から森林破壊について感じ取っんだ。素晴らしいじゃないか。」

 

 

「なるほど、キミは地球温暖化について書いたんだね。そういう見方もあるよね~。」

 

 

これって教育なのかしら🙄

教え育んでいるのかしら🤔。

 

 

確かに、こういうこともあってよいのよ。斬新な発想が生まれるかもしれない。

 

 

 

ブレインストーミングってあるものね。でも、ブレストだって無秩序に意見を言い合うことではない。明確な目的と具体的なルールがある。

 

 

しかし、「ハチドリのひとしずく」を読んで、環境破壊に関する意見を言うのは、題材のテーマにそぐわない。これはブレインストーミングではない。

 

 

だから、そのようにテーマから外れた意見をいう生徒は、ある資料が提示され、論点を明確にし議論する力はない。そこに斬新な発想があったとしたら、たまたま感じたことが、たまたま斬新な発想であっただけだ。

 

 

プライベートで物語を読んでいるのなら、感想読み、言い換えると主観読みでも良い。

 

 

しかし、慶応女子高校で入試問題として出された物語である。その物語が暗に示していることを読み取って、自分の意見を書かなければならない。

 

 

ある題材をもとに話し合うことになって、その題材の意図したこととちんぷんかんぷんか発言をしたら、話し合いが成立しないわよね😅。そういう話し合いをする場合は、題材の意図を論理的に理解することが大切なのよね。

 

 

小学生に、物語のテーマを読み取る方法として、まずあらすじを主人公の視点で書くように指導している。

 

 

よく5W1Hと言われるわね☝️😄。この6つの視点を中心にしてでまとめてみる。

【5W1H】

いつ(when)

どこで(where)

誰が(who)

何を(what)

なぜ(why)

どのように(how)

 

【あらすじ】

森が燃えているときに

森で

ハチドリ(クリキンディ)が

口ばしで水を運んで火を消そうとした

 

 

このハチドリの行為から、筆者は何を伝えたいのか🤔。

 

 

「周りの評価を気にせずに、自分が正しいと考えたことを、自分にできる範囲でやり通す大切さ」を伝えたかったのではないかと考えられる。

 

 

とすると、この物語を題材にして自分の考えを述べるのなら、この大切さについての言及となろう。

 

 

その大切さを強調するために、ハチドリをバカにする動物が登場するのだ。ハチドリをバカにする動物に視点を当てて論じても良いが、やはり主人公であるハチドリに視点を当てるべきであろう🤔。

 

 

それはなぜか。

次の2つを見比べよう☝️😄

 

 

(その1)

森が火事になった。

森の動物たちに「そんなことをして いったい何になるんだ」て笑われたハチドリは「私は、私にできることをする」と言って口ばしで水を運んで火を消そうとした。

 

(その2)

森が火事になった。

「私は、私にできることをする」と言って口ばしで水を運んで火を消そうとしているハチドリを、森の動物たちは「そんなことをして いったい何になるんだ」と言って笑った。

 

 

その1とその2では、同じ場面であっても、視点が全く違う。要約したら明らかだ。要約は主語、目的語、述語を抜き出すことだ。

 

 

その1の要約

ハチドリは火を消そうとした。

 

 

その2の要約

森の動物たちはハチドリを笑った。

 

 

ほら、全く違うのよ☝️😄。書き手の言いたいことが。

 

 

「ハチドリのひとしずく」の物語の主題はその1の要約であって、その2の要約は、今流行りのスピンオフよ。

 

 

だから、「『ハチドリのひとしずく』を読んで考えたことを600字以内で述べなさい」と言われたら、ハチドリの行為について言及するのが正しいとなる。

 

 

「考えたことを述べなさい」

「感じたことを述べなさい」

「自由に書きなさい」

と言われても、一定のルールがある。それはテーマに沿うってことよね。

 

 

この「テーマに沿って」という条件が書かれていないのが問題だという人もいるであろう。または、それが書かれていないのだから、何でも書いて良いだろうと考える人もいるだろう。

 

 

そういう人がこのようになるのかも👋😅

 

 

「ファミレスのテーブルで書類を広げて仕事をしてはダメだと書いていないでしょ」と店員に詰め寄るノータリンが増えているのかもしれない。

 

 

それは、この題材をもとに自分の考えを書きなさいと言われ、テーマに沿って書きなさいと言われていないから何でも書いて構わないと考えるのと似ていると思っちゃう私は飛躍のし過ぎかしら😅。

 

 

さらに飛躍すると、「自由」とは何の制限もない義務もない状態だと思い、他人に迷惑をかける人にも共通するのかもしれないなぁ🤔。

 

 

でも、こんなテーマの読み取り方とか、物語という具体的な話を抽象化させる方法なんて、私も学校で学んでないからなぁ🤔。

 

 

5W1Hとか、起承転結とか、物語のあらすじとかは学んだわよ。しかし、それがテーマの解釈にどのように繋がるのかとか、題材を与えられて意見交換するときには、その題材の意図に沿ったものにするという暗黙の了解ははっきりと学んでいない。論理的に読み解くなんて、そんな深く学んでいない。

 

 

だから、教えて学びとれるものなのか、ちょっと疑問なのよね。

 

 

論理的な思考力って、後天的には身に付かないという教授もいるしね。あの「東ロボ」プロジェクトを主導した教授は「読解力がない子にプログラミングを教えても、意味がない」と言う。身も蓋もない話だけれど、私はこの意見に同意だ。

 

 

分かりやすく楽しいことが善で、分かりにくく辛いことが悪という二元論にしたくはないなぁ😤。

 

 

この二元論を推進しているのが塾かもしれないと、塾で働く私は考えるのよ。自分でやっていることの否定になっちゃうんだけれど。

 

 

論理的思考力を身に付けるには、分かりにくく辛いことも善で楽しいことにしなくてはならないのかもしれないと思うのよね😄。