書くこと、読んでもらうこと、その2つが私のブロガーとしての原点であると考えるようになった。
今の私にとってはブログは日記だ。日々私が考えたり感じたりしたことをブログにつづっている。
ブログを書くことは、無限の可能性を秘めている。
書き留めれば、私がそのときに考えたことや感じたことが文字で残る。
書き留めなければ、私がそのときに考えたことや感じたことが私の脳の中で消えていく。
全く同じ考えや感想は、2度と私の頭の中に浮かんでは来ないだろう。
ブログに私の思考や感情が言葉として残った上に、ブログを読んだ他者に影響を与える。
私は、自分の思考や感情に共感をや同意を得たくてブログを始めた。
しかし、ブログを書いていくうちに、共感や同意以外の目的が生まれてきた。
はてなブログ始めた頃は、私のブログに付けてくれる星の数を気にしていた。
いや、今も気にしているが、ブログを始めた頃ほど、星の数を気にしなくなった。
星を1つ付けてくれた方が、次は3つになったり、その次の日は2つになったりする。
はまらなくて星1つだったのかもしれない。
しかし、それで良い。
ブロガーとしては自分のブログを読んでくれたことに意義があると私は考えるからだ。
プログの内容の評価よりも、読んでくれたことの方が価値が高いと思うようになった。
評価はあくまでもブロガーを続けていくモチベーションの1つであるが、目的ではない。
その人の評価を気にするのなら、その人に評価されるブログを書けば良いだけだ。
いや、それも良いだろう。
しかし、私は違う。
それでは私のブログではなくなってしまう。
それに全員から高い評価を受けるブログはあり得ない。
私がブログに無限の可能性を感じるところは
自分の考えや感情が文字として残ること
他人に読まれること
この2点である。
「ブログはオワコンだ」という人がいる。
映画はオワコンか。
ラジオはオワコンか。
テレビはオワコンか。
本はオワコンか。
どれもオワコンであると言われ続けているが、しぶとく残っているじゃないか。
ブログもオワコンと言われ続け、結局は残るよ、きっと。
それはなぜか。
YouTubeは、映像だから、作り手にとって文字を書くよりもハードルが高い。
画像編集もあれば、話し方の研究もしなくてはならない。
ブログよりも多くの器材が必要である。
しかし、ブログは、スマホ1つあり、文字を知っていれば誰でも書ける。
参入障壁が低いのだ。
それでいて、自分の考えや思い、感情を文字や写真、画像で公表できる。
ブログを読んでいる人は、YouTubeとは違う良さをブログに感じている。
YouTubeのように、画像や音声と言った五感に対する刺激がブログには少ない分、想像力を刺激される。
また、ブログは読んでいる途中で読み飛ばすことも出きるし、自分のペースで読むこともできる。
YouTubeの視聴のペースは、作成側が主導権を握っている。