つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

「心と行動の一致信仰」は生きづらい😣~良い行動したのならその心は問わない😄~

心と行動は一致しないといけないのかしら🤔。

 

何かね、「心と行動一致信仰」みたいなものがあるように思えて、嫌なのよね😅。

 

生徒がボランティアに参加したり生徒会活動で役職(生徒会会長や書記など)に就いたりすると、「あ~、内申点のためだろう」なんて揶揄する子どもがいる。

良いじゃん、内申点のためにボランティアをやったって😤。そんなの見た目じゃ分からないし、人のためになることをやっているんだから、何が問題なわけなのだろう?。私にゃ、サッパリ分からない🤷‍♂️。

 

お年寄りがバスに乗ってきた。周りの目を気にして席を譲った。

良いじゃん、周りの目を気にしたから席を譲ったって。そのお年寄りを気遣ったわけじゃなくたって😄。だってそんな心なんて分からないし、行動が良いんだから。

 

芸能人が募金したことを公表して、それを「売名行為」と揶揄する意味も分からない🤷‍♂️。募金したことを黙っていることも募金したことを公表することもどちらも価値は同じよね🤔。揶揄するのなら、あなたどうぞ黙って募金をしてください。

 

良いことをしているのに、何で心を問題視するのだろう。心と行動が一致することってとても難しいことよ。ホント、「心と行動一致信仰」はどこで生まれたのかしら🙄。

 

ユダヤ教って、行動が重視されているのよね🤔。内面的な信仰よりも行動・生活を重視する。律法を守ることが大切で、律法が守られれば信仰があるとされる。律法偏重主義に異を唱え神の愛を説いたのがキリスト教か🙄。

 

神は人の心に宿る。その心を重視したのがキリスト教ということかしら🙄。心も行動も大切なことよね。

 

浅学な私には言いきれない😅。どうして「心と行動一致信仰」が出来たのか。でも、こう思うことがある。昔で言えば修身、今で言えば道徳教育が、「心と行動一致信仰」の原因の1つじゃないかと。

 

労りの心を持ちましょう。

みんな仲良くしましょう。

優しい心を持ちましょう。

 

と心を重視するあまり、「心」があって「行動」があるという考えが浸透してしまった。

 

これは国語の入試問題にも言えるわね🤔。

 

例えば

「ゆうはなぜ泣いたのですか」

と問われ、

「入試に合格したので、嬉しかったから。」

と答える。

 

この解答を抽象化すると「『原因』ので『心情』から。」となる。

 

行動の理由を、原因と心情に求めるのよね🙄。確かにそうなんだけれど、心情と行動を結びつけるのか常識となると、こんな歪んだことも起こりうる。

 

「ゆうはなぜボランティア活動をしたのですか。」

「『入試に内申点が影響する』ので、『内申点を上げたいと思った』から」となる。

 

行動の理由を問い過ぎると、行動よりも、その行動に到る原因や心情を重視するようになるのよね😥。

 

良いじゃないか。どんな心情であっても、行動が良ければ。偽善でも良いのよ。偽善でも😄。

 

それに行動によって心が変わることだってある。心が暗くても、口角を上げて表情をニコニコとさせていれば嬉しい気持ちになることもあるのよ。だから良い行いをしていれば、良い心になることもあるわ。

 

でもなぁ🙄。

偽善は注意しなくてはならないときも多いのよね。名曲、ピンクレディーの「SOS」を聴くと分かるわよ~😁。


ピンクレディ SOS - YouTube

男は狼なのよ 気をつけなさい
年頃になったなら つつしみなさい
羊の顔していても 心の中は
狼が牙をむく そういうものよ
このひとだけは 大丈夫だなんて
うっかり 信じたら
駄目 駄目 ああ駄目駄目よ

 

分かりやすい!

偽善の怖さを歌上げている🤣。

 

いや~、アラフィフ親父には、平成令和の歌よりも、昭和歌謡の歌の方が歌詞もメロディーも分かりやすくてとても良い😄。

 

変な裏声もないし、1音符に言葉を詰め込んでいない。

 

ピンクレディーの「SOS」以外にも、中森明菜の「少女A」、細川たかしの「北酒場」など、聴いてみると際どい歌詞なんだけれど、メロディーが良くて小学生でも歌っていたなぉ。そういえば、チェッカーズの歌詞はくさかったなぁ😅。

 

話がそれたわ🙇‍♂️。

 

結果良い行動なら、心ではどう思っていても構わないのよ。そして、豹変しなければ😏。

 

だって私の仕事だって、結局のところ教育サービスというお金もうけでしょ。

 

講座を勧めるときには当然頭の中でそろばんを弾く。しかし、その子に勉強をさせて可能性を広げたいという気持ちもある。いや、その勉強させて学力をつけ合格させるのも、良い評判を広げたくさんの生徒を集めたいという気持ちもあるわ。

 

そろばんを弾かなければ、倒産よね😱。ボランティアじゃないをだもの。

 

生徒が集まらなければ、倒産よね😵。収入がなくなるんだもの。

 

そこで、企業が悪徳になるかどうかは企業理念とその理念の職員への浸透度にかかっているのよ🤔。

 

偽善が偽りに傾くか、それとも善に傾くか。それは企業ことよね。

 

個人のことであれば、心が偽りの方に大きく傾いていても、表に出ているの(行動や結果)が善であれば全く問題がないんじゃないかしら🙄。

 

邪な心かあっても、行動がしっかりしていたら良いんだよという考えも常識になれば、もっと生きやすくなるかもしれないなぁ。

 

そうなると「内申に響くからやる」と言うことは「内申に響かなければやらない」ともなるか😰。日本の教育は、評価をエサにし過ぎな感じもするわね😥。

 

心の教育って難しいわね😣。だから心の教育ではなく、行動の教育が大切なのかもなぁ🤔