つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

私人逮捕と正義感~都立高校の教師に警視庁が感謝状~

う~ん🤔

私人逮捕というものか🙄。

女子高校生のスカートの中を盗撮していた男を取り押さえた都立高校の教師に警視庁が感謝状を贈りました。

盗撮疑いの男性、リュックつかみ取り押さえ 都立高教員に感謝状 | 毎日新聞

 

犯罪の疑いがある者を捕まえる義務がないのに、犯罪者を捕まえ警察につき出す行為は立派だ。

 

でも、疑問も沸き起こる🤔。

 

その勇敢な行動は、逮捕するという目的を達成したから良かった。

 

相手が刃物でも取り出し、彼を刺したら彼は死んでいたかもしれないわ😱。

 

この勇敢な行動は、社会にとっては素晴らしいことだが、家族にとっては素晴らしいというよりも危険な行為だと思うのよ🤔。これは危うい正義感にもなり得るもので、家族にとっては不安だ。

 

この盗撮犯は、どんな人なのだろう。人は見かけによらないというが、この盗撮犯が厳ついアンちゃんだったら、この高校教諭は捕まえただろうか?🙄。複数で盗撮している犯罪者だったら、この高校教諭は私人逮捕しただろうか🤔。

 

いや、そういう場合は逮捕をしなくても良い。私人の逮捕は義務ではないのだから、自分の出来る範囲でやれば良いのよね。

 

私だったらどうしただろう🤔。

 

現行犯をとらえる勇気はないだろう。それが弱そうな人であっても。だって凶器を隠し持っている可能性があるのよ。

 

それに自分に自信がない。誤認だってあり得る。相手が知らばくれる可能性だってある。助けた人が逃げてしまい自分の立場が弱くなることもよくある。加害者が怪我したら、私人逮捕した者の傷害罪が争われることだってある😣。

 

そんな諸々の危険を省みず、私人逮捕するのは勇敢だ。私には出来ないことをしたのだから、つべこべ考えず、賞賛するのが当然なんだろう🤔。

 

しかし、私は、こういうニュースを見ると、魚の小骨が喉に引っ掛かる気持ちになるのよね😔。私に何か心の傷か垢があると思うのよね🙄。それが何かは分からないけれど。

 

もしかりに、私が私人逮捕したとして、警察に表彰されるとしたら、それを受けるかしら🙄。

 

受けないだろう。

 

それはニコニコと表彰されたら、自分の危険を省みずに逮捕したことが偽善になるからという理由ではない👋😔。

 

いや、私は「偽善も善」という考えよ☝️😄。「やらぬ善ならやる偽善」よ。

 

だから、この高校教諭の私人逮捕がたとえ偽善であっても、全く問題がない。「表彰されたいから」「警察官に憧れて」、「私人逮捕をした」でも、彼の立派な行動の価値は下がらないと考える。

 

私が警察の表彰を受けないのは、報道されて顔をさらすことになるから。それが嫌なのよね😣。報道されなかったら、いただけるものはいただくだろう😅。

 

でも、警察も表彰したことを報道したいだろう。こういう勇敢な人が増えれば治安が良くなるしね。

 

守るべき家族がいると、正義感は鈍るのかしら🤔。いや、家族がいなくても、犯人と思われるものを現行犯逮捕なんて出来ないわ。警察官や駅員などに通報するのがやっとだわ。それだと犯人が逃げてしまうって❓️。防犯カメラで確認してくれるだろう。犯人が捕まらなくても、そういう犯罪が起こらないように警備をしてくれるかもしれない。私が出来ることってそのくらいかなぁ🙄。

 

自分の出来ることをすれば良いのよね🤔。

 

という当然のことを、彼の行動から色々と考えさせられるということは、やはり私の心に傷か垢があるのだろう。自分が出来ないことをする人への妬みかしらね😅。

 

う~ん🙄。妬みか~😅。

 

言われれば否定できないが、それもちょっと違う気がする。

 

何か気がついたことがあったわ😲。これまた高校時代の思い出。なるほど🙄。良くも悪くも、私の原点が高校時代の経験なのかもしれないわ。

 

この話しは別の機会に👋😄