つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

繊細な奴はこの世に向いているのだろうか🤔~宝泉薫さんの金子みすゞ評を分析する~

面白いなぁと思って読んだ記事がこちら👋😄。

 

でも、最後に冷や水を浴びせられた気持ちになった😨。「興ざめる」とか「鼻白む」という表現がしっくりとくる😓。

 

最後が金子みすゞ(もう歴史上の人物だから「~さん」はいらないわよね😅)の話なのだが、その結びがこうだったのよ。

 

皆さん、どう思うかなぁ🙄。私と似た気持ちになるかなぁ。

 

しかし、3年後に周囲の勧めで結婚した相手とは折り合いが悪く、創作と文通を禁じられてしまう。また、この男は遊郭通いが趣味で、性病を伝染されたりもした。結局、彼女がひとり娘を引き取ることを条件に離婚したものの、夫が心変わりをして連れ戻されそうになり、死の抗議を行なうのである。

「どうしてもというのなら、それはしかたないけれど、あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって、心の糧ではありません」

 と、遺書に記し、娘と入浴して一緒に童謡を歌い、母や叔父を含めた家族4人で桜餅を食べたあと、カルモチンを飲んで自殺。26年の短い命と引き換えに、娘はみすゞの母が育てることになった。

 その死をもたらしたのは、理解の欠如した結婚だが、そもそも、大漁の日に鰯の弔いを心配するような魂がこの世に向いているだろうか。彼女の「みんなちがって、みんないい」が儚い理想でしかないことを示す最期でもあった。

 

いや~チョービックリ😱。いえね、歴史上の人物の評価するときに、現代の常識を当てはめて考えてはいけないことは分かっているわ。一面的に評価もしてはいけない。

 

豊臣秀吉が侵略者で悪というのなら、アレキサンダー大王も、ジンギスカンも、悪でなくてはならない。「侵略は悪」という思想は、第一次世界大戦以降、国際的な思想となった。だから、少なくともその思想が共通認識になる前の行為を、「侵略だから悪」と評価するのは誤った評価だと私は考えるのよ🙄。

 

そう考えても、この金子みすゞの評価はないなぁ😓。現代の常識から考えて・・・。この記事の作者は作家・芸能評論家の宝泉薫さんなのよね。

 

その死をもたらしたのは、理解の欠如した結婚だが、そもそも、大漁の日に鰯の弔いを心配するような魂がこの世に向いているだろうか。

これを読んで、私は何か苦さを感じた。その苦さは、嫌~な感じに変わっていった。

 

いえね、こういうフレーズが文学作品の中であれば、この嫌な感じはなかっただろう。

 

このフレーズが歴史上の人物の評価として使われ、そして現代に生きる私たちにも当てはまる内容だから、嫌な感じがしたのかもしれない🤔。

 

この主張に共感する人は何人いるのだろうか❓🙄。共感を得るために主張するものでもない。自分の考えを述べたまでであろう。

 

でも、こういった考えが、私は怖い😨。

 

幽霊よりも怖い😱。

 

「そもそも」をどう解釈するかよね🙄。いや、どちらで解釈しても、大意は変わらないか😌。

 

そもそもは「最初」「発端」という意味で、接続詞で副詞的に用いることもある。または、「いったい」とか「さて」という意味でも使われる。

 

今回、「最初」とか「発端」、「元来」という意味であったら、この主張の怖さが増すわ😨。

 

それに魂って何だろう❓🙄。

 

魂とは生物の体に宿り、心を司るものよ。言い換えると、人ならば人が人であるための支えとなるものじゃないかしら🙄。

 

そもそも、大漁の日に鰯の弔いを心配するような魂がこの世に向いているだろうか。

 

→大漁の日に鰯の弔いを心配するような奴が、元来、この世に向いているだろうか。

 

この疑問は反語よね🙄。だから、こうなる👋😨

 

→大漁の日に鰯の弔いを心配するような奴は、この世に生きることに向いていない。

 

「この世に生きることに向いていない」ということは死んで当然ということよね🤔。

 

→大漁の日に鰯の弔いを心配するような奴は、そもそもこの世に生きることに向いていないのだから、自殺して当然だ😱。

 

「大漁の日に鰯の弔いを心配するような奴」を抽象化してみようかしら🤔。

 

「大漁」は素晴らしい詩よ。「大漁」を素晴らしいと感じるか否かは人それぞれだけれどね😅。

 

詩を引用して良いみたいだけれど、金子みすゞの保存会があって、複雑な事情があるようなので引用をやめたわ😌

 

なるほど🤔。

 

鰯がたくさんとれて漁師もその周囲の人も大喜びしているが、鰯の立場に立つと、鰯の仲間は悲しんでいるということか🙄。

 

鰯に悲しみの心を持つかどうかは関係ない。だって詩なんだもの。詩には科学も因果関係も似合わない。

 

生きていく上では、他の命をもらわなくてはならぬ。大豊作や大漁は動物である人として喜ぶのは自然な感情。

 

しかし人間は理性を持ったため、その動物的な感情に歯止めがかかる。人は食べられる鰯の気持ちを推し量ることもできるようになった。それも人であるがゆえの繊細な感情だ。

 

「大漁の日に鰯の弔いを心配するような奴」を抽象化すると、「獲物が沢山とれてみんなで喜びあっているときに、水を差すように獲物の気持ちを考える人」となるわよね。それを端的に表すと「繊細な人」となるだろう。

 

とすると、この「大漁の日に鰯の弔いを心配するような魂がこの世に向いているだろうか」という宝泉薫さんの主張は、次のように言い換えられないかしら🤔

 

「繊細な奴はそもそもはこの世に生きることに向いていないのだから自殺して当然だ」

😱😨😵

 

私の解釈が飛躍しすぎかしら😨。

 

その死をもたらしたのは、理解の欠如した結婚だが、そもそも、大漁の日に鰯の弔いを心配するような魂がこの世に向いているだろうか。

「その死」とは「金子みすゞの自殺」を指している。これは間違いないわよね。

自殺の原因は~だが、

そもそもこんな詩を書く奴がこの世に向いているだろうか(いや、向いていない)。

 

ほら、やはり「繊細な奴はそもそもはこの世に生きることに向いていないのだから自殺して当然だ」になるじゃない😱。

 

いや~、これは私の解釈だから、宝泉さんに真意を伺いたいわ。炎上しないのが不思議。

 

 

宝泉さんがこの結論にいたるまでの流れも、ビックリ😨

しかし、3年後に周囲の勧めで結婚した相手とは折り合いが悪く、創作と文通を禁じられてしまう。

→今で言えばハラスメントよね。当時だって、女性にとって苦しいものだったと思うのよ😣。

 

また、この男は遊郭通いが趣味で、性病を伝染されたりもした。

→夫に風俗遊びをされて、性病をうつされたのよ😱。妻にとっては耐えがたいわよ。離婚して当然よ。

 

結局、彼女がひとり娘を引き取ることを条件に離婚したものの、夫が心変わりをして連れ戻されそうになり、死の抗議を行なうのである。

→こんなに夫の方に非があるのに、大切な子どもを取られてしまう。夫は、金子みすゞの才能を表現することも奪い、最愛の子も奪う。

 

「どうしてもというのなら、それはしかたないけれど、あなたがふうちゃんに与えられるのはお金であって、心の糧ではありません」
 と、遺書に記し、娘と入浴して一緒に童謡を歌い、母や叔父を含めた家族4人で桜餅を食べたあと、カルモチンを飲んで自殺。26年の短い命と引き換えに、娘はみすゞの母が育てることになった。

という自殺への経緯を述べたのにも関わらず、「繊細な奴はそもそもはこの世に生きることに向いていないのだから自殺して当然だ」と解釈できる結論になる理由を知りたい。

 

それに自殺の原因は彼女しか分からないし🤔。こどもの親権争いが定説らしいわね🙄。

 

それに「そんな詩を書く魂がこの世に向いているだろうか」なんていう疑問(いや、これは反語だろう)が出るなんて、ビックリ仰天😱。

 

それにベジタリアンには様々な種類があるそうだが、肉や魚を食べることを禁じるベジタリアンもいる。その人たちに対しても、「あなたの魂はこの世に向いているだろうか。」と主張するのかしら❓。

 

ベジタリアンと金子みすゞでは話が違うと言うかしら。

 

金子みすゞは、鰯を食べないとは言っていない。鰯が弔いをするのだろうと言ったまでである。鰯の立場を想像したのである。

 

こういう相手の気持ちを推し量る力は大切である。

 

そして、これは詩よ。詩って変化球なのよ。直球は論説文。

 

変化球は詩。比喩を使って自分の主張を婉曲にする。

 

彼女は1903年から1930年の短い生涯だったと。詳細は省くわ。ざっくりと言えば、大正末期から昭和初期は、軍部が台頭し、世の中が重苦しくなってきた時代だわ。その中で、「大漁」や「私と小鳥と鈴と」という詩を作った。

 

ウィキペディアには

「自然とともに生き、小さないのちを慈しむ思い、いのちなきものへの優しいまなざしが、金子みすゞの詩集の原点とも言われ[要出典]、「お魚」「大漁」などに繋がっている。」

と載っているが、素人の私には疑問なのよね。いや、こういった眼差しがあったことは肯定するが、彼女の生きた時代を考えるとね。また、ちがった見方があるんじゃないかしら🤔。

 

朝鮮半島を日本のものにし、第一次世界大戦の戦勝国となり、中国への進出に盛り上がるなかで、「大漁」や「私と小鳥と鈴と」を世に出したことに意義があると思うのよ。芥川龍之介が昭和初期に自殺したことも何か繋がりがありそうな気がする🤔。

 

みんなが喜んでいる中で、一人悲しんだって良いんだよ。

 

みんなちがって、みんないいんだよ。

 

最後の宝泉さんのこの結論は全く分からなかったわ🤷‍♂️。何かすごいことをいっている風の結論🤣。

 

彼女の「みんなちがって、みんないい」が儚い理想でしかないことを示す最期でもあった。

 

そうそう。雲上人の宝泉さんに、地下人ゆうが訂正するのは、非礼の極みであるが、訂正させてもらおう☝️😎。

 

その死をもたらしたのは、理解の欠如した結婚だが、そもそも、大漁の日に鰯の弔いを心配するような魂が、あの時代に向いていただろうか。彼女の「みんなちがって、みんないい」があの当時においては儚い理想でしかなかったことを示す最期でもあった。

 

どう、しっくりくるでしょ😉。

 

それとも、綺麗事かしら❓😣

 

みんなが喜んでいる中で、一人悲しんだって良いんだよ。

 

みんなちがって、みんないいんだよ。そして、違いを乗り越えるのが大切なんだ。