つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

「菅首相の就任後初の休養」を知って、今更ながら気づいたこと🙄

菅義偉首相は17日、東京・赤坂の衆院議員宿舎で終日過ごし、外出しなかった。就任後初めてのことで、18日の通常国会召集を前につかの間の休養に充てたとみられる。最近、手元の原稿の読み間違いなどが相次ぎ、周囲から休むよう勧める声が上がっていた。

菅首相、就任後初の休養=… (時事通信社) - auヘッドライン - auサービスTOP https://news.headlines.auone.jp/stories/domestic/politics/14114564?genreid=4&subgenreid=113&articleid=14114564&cpid=10130009&rf=passtop_%E5%9B%BD%E5%86%85

「権力者に同情してはならない」、「ようは結果だよ」なんて思ってしまうのだが、やはり大変な仕事なんだろうなぁって頭が下がる思いもする。

 

仕事をし続けていることに感謝することは大切なことと思うが、それと支持するかしないかは別問題なのよね🤔。

 

いや~😨。約4ヶ月働きづめってことよね。70歳を越えたおじいちゃんが。彼と比べる必要もないのだけど、そこまで大変でもない仕事で私が弱音を吐き、気鬱になるのは何故かしら🤔。

 

やはり「使命感」や「やりがい」なのだろうか。能動的に仕事をしているかいないかなのだろうか🙄。

 

たしかに、若い頃、休みなく仕事ばかりしていた。家に帰っても自主的に教材や掲示物を作った。データや過去問の分析を会社に泊まってやったこともあった。しかし、今、そこまでの気力がなく、口先だけになっている。これじゃ、うだつが上がらないのも当然だろう😌。

 

総理大臣って、ホント大変ね。特にこのコロナ禍の中で国を背負うのは火中の栗を拾うのに等しい。いや、火中の栗なら、大火傷をして拾い上げても価値のない栗だが、コロナの場合はコロナを押さえれば大英雄になれる。でも、正解がない。どうコロナを押さえるか、その方法がない。

 

でも、彼は自分の意思でその困難な中に飛び込んだ。私は自らの判断で今の困難に飛び込んだわけではない。そこが大きな違いか🙄。

 

とすると、独立すれば良いのかしら🤔。

いや、その勇気は今はない😔。

 

困難に自ら立ち向かおうとするその姿勢はリスペクトするべきだと思う。それは政治家であっても、社内であっても。私にはその困難に立ち向かおうとする姿勢に乏しいんだよ。それは反省しないといけない。

 

「サボっていたわけではない。」

これは、いいわけであろう。こういう発想になったら、なぜ「~していたわけではない」という表現になるのか考えよう。言い換えると「~していた」、いや、「一生懸命仕事をしていた」と言えないのか考えよう😔。

 

なかなかうまく行かないのも人生であり、仕事でもある。今後うまく行かないままかもしれない。しかし、うまく行かなくても、その日まで収入があり家を持ち家族も共に暮らせていることがラッキーなのだと思おう😄。

 

辛くなったら、それは「甘え」だとは思わない。それを「甘え」だと思うとさらに辛くなるものだから。

 

辛くなったら、今日と明日のことを考えよう。

 

3日後、1週間後、1年後を考えるから辛くなるんだよ。

 

永遠に続くことなんてないことは分かっているじゃないか。それでも、いつまでもいつまでも辛さが続くと思ってしまうんだね。

 

だったら今日のことだけを考えよう。人と比較するな。目の前のことと自分を見て、絶対評価をしよう。

 

今日が辛いなら今日と明日のことだけを考えよう。今日乗り越えれば、明日が来る。明日乗りきれば、明後日が来る。生きている限り、次の日が来る。その次の日を積み重ねていけば、その辛さが薄まるかもしれない。

 

でも、上の立場の人は、10年先、100年先の未来を見据えなければならない。大変なことなんだろうなぁ🤔

 

だから、国民のために働き続けている人に感謝する。働きづめなのだろう。しかし、それと支持するか否かは別の問題と割りきらなければならない。働き続けることとその結果は別である。

 

これは正しい考え方であろう🙄。

 

それならば、会社のために働き続けたとしても、それを評価するか否かは別である。働き続けることとその結果は別であるからだ。

 

当たり前のことよね😌。