「まだ死にたくないなぁ」と思えるだけ、まだ若く、そして今が幸せなのかもしれない🤔。
ホント、遠いところまで来たなぁって感じる😔。
転籍前の会社では「報奨休暇」なるものがあった。入社5年目、10年目、15年目、25年目に7日間~15日間の連休が取れる。とうとう今年の11月で私は25年目。
しかし、転籍させられたから、この25年目の報奨休暇は取れないだろう😣。
いや、今回は、その愚痴を書きたいわけではないわ👋😅。
入社したとき、入社25年後って自分はどうなっているんだろうって当時思い巡らせたのよ😅。当然、私には25年後があると思っていたのよ。そして、その25年後の世界に今来ている😌。
今から25年後は73歳。その日に思い巡らせると、今の私にはその日が来るのが同然だとは思えない。私には25年後の世界がないように思うのよ😓。
23歳の私が思い巡らせた25年後の私は当然生きていて、ある程度幸せに暮らしていることを想像していた。少なくとも暗く辛い生活を想像していない😄。
48歳の私が思い巡らせる25年後の私は生きていない可能性もあり、生きていたとしても幸せに暮らしていることを想像しづらい。年金もなく医療費も上がり、年を重ねて大人になった課題のある我が子と暮らしている。希望がないわ😨。
今が幸せなら、未来に希望がないと嘆かない。「今の幸せを積み重ねて、明日の未来に繋がる」と言うのが私の信条である。それは何度も「チューの成長日記」や「チューパパの黄昏日記」で述べてきたことである。今もその考えに変わりはないわ😅。
この「今の幸せを噛み締めて、明日の幸せに繋げていこう」という思いにいたったのは、チューが生まれたからよ。
彼は課題があり、普通の子であれば500ml缶であるところが、彼は250ml缶である。他の子と同じ様に育て教えれば、溢れてしまうのよ。溢れてしまうことが分かっているのに、500mlの努力をさせるのは辛いだけだ。250mlを満タンにする努力はさせる。500ml入るのに、努力をせずに100mlも入っていない子の多いことよ。
明日の幸せ、1年後の幸せ、10年後の幸せを掴み取るために、今を犠牲にして辛いことをさせるよりは、今を幸せに生きていこうという信条となった😄。
25年後の私は悲壮な状態しか思い浮かばない😱。しかしそんなことを思い描くのであれば、今をしっかり生きることが大切だわ😄。
それに私は2歳のときに生死をさまよったそうだ。私もおぼろげながら覚えている。2歳のときに死んでいた可能性が高かったのよ。それが、その後46年も生きられた😄。
この46年間は、私にとってはおまけの46年なのよ😅。今が悲惨極まるのなら文句も愚痴も分かるが、そこそこの幸せを掴んでおいて文句や愚痴を言うのはおかしいんじゃないかしら🤔。
ラーメン屋でおまけのサービスで出されたライスに文句を言うのと同じ。腐っていたらクレームをつけるが、そのライスの量がお米一粒足りないなんてクレームを言わないわよね😌。まぁ、これは極端な例だけれど😁。
夢を抱いたまま死ぬのも良いけれど、凡人はそこそこで満足するのも大切だわ😄。
あぁ、鳥貴族の焼き鳥がおいしいわ~💕😋