名前と存在~名前をつけるのはなぜかしら~
団地街の芝生に生えている沢山の草🌿。色々な種類の草が生えているのに、ひと括りにして「雑草」と呼ぶ。それぞれ名前がついているのだろうが、僕にはその違いが分からない🤷♂️。
砂利道の石ころもそう。一つ一つ大きさも色も違うのに、ひと括りにして石ころだ。その一つ一つに名前なんてついていないだろう。
しかし、田んぼに行けば、すぐに「これは稲だ」と分かる。畑の葉を見ただけで、これは大根の葉だと分かる。
考えすぎかしら🤔。
私は不思議に思う🙄。
だって蝶々は綺麗だけれど、蛾は汚いじゃない。でも、蝶々と蛾を区別しない国もある。
赤ちゃん👶が生まれた。
この子は僕の子どもだ。
この世に沢山の赤ちゃんがいるが、そのたくさんの赤ちゃんと僕の赤ちゃんは違う。僕だけの赤ちゃんに「チュー」と名付けよう。
う~ん🤔
チューがいるからチューと名付けたのか。
チューと名付けたからチューがいるのか。
だってチューと名付けなければ、他の赤ちゃんとの区別がつかない。
名前をつけるって大切なことなのね。
名前をつけることによって、他の何かとそれを区別ができる。
チューの存在が先なのか。
名前をつけたからチューが私の前に存在しているのか🤔。
でも、1つ言えることは、大切な存在であるものに名前をつけるということだ😄。食用の牛や豚に名前をつけてはいけないというのも、これが理由であろう。名前をつければ、愛情がわく。愛情がわいたものを殺してお肉になんてできやしない。
小難しく考え過ぎかな😌。これって男性の特性かもね😅。男女論になっちゃうかしら。
だってこんなことを考えたって、実益はないんだもの。女性にとっては、そんなことを考えるよりも、自分が生んだ目の前の子どもを育み、守ることが最優先なのだろう。
男性は抽象化された世界を好み、女性は具体化された世界を好むのかもしれない。
草木を見て、つれづれなるままに思索をしてみたよ😄。
哲学者や宗教家って、ほとんどが男性よね🤔。