つれづれなるままに国語を語る~作文と論理~
「つれ国(つれづれなるままに国語を語る)」って久しぶりね😅。私のブログでシリーズ化したものだけど、約8ヶ月ぶりに書いたわ😌。
(生徒の作文)
私は伝統的な料理を残した方が良いと思う。なぜなら家庭科の授業を受けたからだ。
これは、中学3年生の作文の出だしなのよ。この文のおかしな点は分かるかしら🤔。この子は分からないとのこと。説明してもピンと来ていない。
これね。この2文を1文にまとめると、この論理のおかしさが際立つ。
私は、家庭科の授業を受けたので、伝統料理を残した方が良いと思う。
「家庭科の授業を受けると、伝統料理を(食べ)残した方が良い。」ってことかしら🙄。
まず、一文目。
私は伝統的な料理を残した方が良いと思う。
これだけだと「食べ残す」という解釈もできる🤔。
言いがかりかも😎。
まぁ、作文のテーマにそって書いているのだから、意味が通じなくはないが、説明不足なのよ。日常会話なら良いのだが、自分の主張を正確に伝えるとなると、これでは困る。
私は、日本の食文化として、日本の伝統料理を残した方が良いと思う。
とした方が良いだろう。
論理で考えると、次の文が、相手にはよく分からない🤷♂️
なぜなら家庭科の授業を受けたからだ。
「家庭科の授業」が「日本の文化として伝統料理を残す」理由となるのよね。
テクニックとしては、「えっ❗️どんな家庭科の授業」と読者に思わせるのもありだけれど、それでも、この文では読み手に言いたいことが伝わらないなぁ🙄。
「理由は~」って、そんなせっかちになる必要はないのよ👋😄。
それでも先に理由を言い切りたいのなら、
「私がこのように思うきっかけとなったのは、中学1年生のときに受けた家庭科の授業である。」
とするかなぁ🙄。
①「なぜなら家庭科の授業を受けたからだ。」
②「私がこのように思うきっかけとなったのは、中学1年生のときに受けた家庭科の授業である。」
①と②の大きな違いは、「家庭科の授業」の具体化なのよ☝️😄。
①の場合、書き手にとっては「日本の文化に伝統料理を残すように考える原因となった『家庭科』の授業は、当然中1のときに受けた授業だ。」ということだ。だから、当然相手も分かるだろうという思い込みがあるはずなのよね。
しかし、読み手はそんなことは分からない。いきなり「家庭科の授業」と言われても、「家庭科の授業を受けて伝統料理を残す考えに到る」なんて飛躍しすぎ。
だから添削後の文では、ここで書かれている「家庭科の授業」が、自分の経験した「家庭科の授業」と分かるように、具体的にしたというとよ。
この2つを比べてみてね😉✨。
(添削前)
私は伝統的な料理を残した方が良いと思う。なぜなら家庭科の授業を受けたからだ。
(添削後)
私は、日本の食文化として、日本の伝統料理を残した方が良いと思う。私がこのように思うきっかけとなったのは、中学1年生のときに受けた家庭科の授業である。
こういう指導って、中3じゃぁ、遅いのよね。なぜかというと、すでに脳の思考回路が出来上がっているから。記憶力で力業で偏差値を上げることは可能だが、論理力をつけるのは並大抵ではない。
だってこれまで培ってきた語彙力があるでしょ。そこに論理力使って、しっかりとした筋道をつけて相手に説明する。
(問)
次の諺の中から、1つ選んで、その諺について自分の具体的な体験をもとに作文を書きなさい。
(生徒の作文)
私は「急いてはことを仕損じる」という言葉に共感した。なぜなら急いでまちがえたことがある。
私は試験のときに、急いで解いて間違えてることが多い。後で悔しい思いをした。
なので、私は「急いてはことを仕損じる」という言葉に共感した。
かなり省いたが、いくら指導しても、このような作文を書いてしまうの😣。
①基本の「なぜなら~だからだ」の副詞の呼応関係ができていない。
②「なので」という接続詞はない。「したがって」とか「つまり」とか「たがら」を使う。
③「試験で間違えることが多い」とは、経験というよりも、この作文を書いた生徒の傾向よね。「具体的な体験を書きなさい」と指導しているにも関わらず、こうなってしまう。この指導は、もっとより具体的で「先日~した(見た・聞いた・読んだ・触った・味わった・行ったなど)」と書きなさいと言っているのよ。作文の型も大切なのよ。
(生徒用模範解答例)
私は「急いてはことを仕損じる」という諺に共感した。
先日、数学のテストで、簡単な大問1の小問を急いで解き、そのあとの文章題に時間をかけた。試験の結果は、正解できるはずの大問1の小問でたくさんのケアレスミスをしてしまい、散々なものであった。私は悔しい思いをした。
だから、私はこの諺を戒めにしている。今後は、時間配分に注意して、焦らずに数学の問題を解いて、良い点数をだしたい。