つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

元寇とコロナ禍と~800年経っても変わらないなぁ🤔~

元寇とコロナ禍の共通点なんて、思い付く人はいるかしら😎。私の頭の中は飛躍だらけ😁。歴史が好きではない人でも分かるように心がけて書くわ。

 

ときは鎌倉時代。

天皇を中心とする朝廷が支配していた平安時代から、武士の政権である幕府の時代となった。幕府とは、武士の武士による武士のための政治をする組織を、後世(江戸時代)の人が「幕府」と名付けたのよ☝️😄。ちなみに現在は「人民の人民による人民のための政治」が建前となっている。

 

その幕府を支えた武士を「御家人」と言った。源頼朝を武士の象徴の存在にして、その家人となって朝廷から政権を奪ったのが武士なのよ。

 

その後の、源さんちの番頭「北条」さんが力をつけ、源家のマネージャーのような感じで、幕府を運営するようになった。それが「執権政治」と理解する。北条氏が執権となった。

 

鎌倉時代史を書いたら、長くなるから、このへんでやめておくわ😅。

 

その8代執権、北条時宗の時に起きたのが「元寇」なのよ。

お隣の大国「元」という国が日本に攻めてきた。その皇帝は、おじいちゃんがあの「ジンギス・カン」である、エビフライ、いや、フビライ・ハンだ😁。

 

2度に渡って日本を責めた。そのときに活躍したのが、御家人達なのよ。

 

鎌倉幕府の将軍と御家人は「御恩と奉公」の関係で結ばれている。将軍は御家人の土地の所有を認めたり恩賞を与えたりする。これが御恩ね😄。そして、後家人はいざというときは将軍のために仕事をしたり、戦ったりする。これが奉公よ。この関係で繋がっていた。

 

土地って大切なのよ。土地は富を生む。田畑を作れば作物🌾🥔ができる。その作物は富となる。だって食べなくては人は生きられないから、その食べ物がたくさんあれば、豊かになる。

 

今だってそうよ。何をするにも土地が必要よね。駐車場を作っても良いし、自分で商売をしても良い。人に貸しても良い。

 

でも、土地の私有を認めるから貧富の差も生まれる😱。その貧富の差をなくそうというのが社会主義や共産主義ね。でも、そのリーダーが広い土地持ちと言うから、理想は理想のままになる。

 

いや、話がそれた🙇。

 

元軍が攻めてきたときに、御家人達は命がけで戦った。それは鎌倉幕府に対する忠誠心からではない。朱子学的な忠君思想が定着したのは江戸時代で約400年先の話だ。彼らは土地を得たい、恩賞を得たいという気持ちで戦ったのだ。

絵巻 蒙古襲来絵詞 日本の美術 (No.414)

この上の絵は、有名よね。

左側が元軍。右側は鎌倉幕府の御家人である竹崎季長。当時の日本の武士の戦い方は「一騎討」。元軍は「集団戦法」。

 

季長は元軍の前に一騎で近寄り

「我こそは肥後国竹崎郷の出身。菊池氏の一族である竹崎季長である・・・」

と名乗りを挙げたであろう。

 

しかし元軍は「❓」。

だって日本語が通じない。

「何を言っているんだ。」

「バカか。」

「では、てつはう(火薬兵器)を投げてやろう。」

と言って、てつはうを投げた。元軍と季長の間で破裂しているものが「てつはう」である。

 

この「てつはう」に驚いて馬が前のめりになった。そのときに季長は「元軍卑怯なり。」と言ったとか言わなかったとか🤣。

 

この絵は、恩賞をくれなかった幕府に「私は先駆けで、これだけ勇ましく戦った」という証拠として幕府のお偉方に見せたものなのよ。今でいうと「写真」かしら🤔。「俺はこれだけ頑張ったんだから恩賞を出せ」ということね。幕府は季長のアピールを認め、恩賞を出したということだ。

 

でも、ほとんどの御家人は恩賞をもらえなかった。なぜなら、元軍は日本に攻めてきたので、恩賞となる新たな土地を幕府は得られなかったのだから。でも、御家人にとっては死活問題。だって戦費は自腹、かつ、当時は分割相続で御家人の生活は困窮していた。

 

この相続制度史も話すと楽しいものだが、今回は省略するね😌。

 

御家人の生活は相続制度によって苦しかった上に戦費がかかったということよ。永仁の徳政令(借金帳消し令)を幕府は出して御家人の生活を助けようとしたけれど、これにより御家人の生活はかえって苦しくなった。ざっくり言えば、金貸しが金を貸さなくなったということよ。だってまた帳消しにされたらたまらないじゃない😅。

 

元寇は、海外からの侵略戦争。

その防衛に幕府は恩賞を出したくても出せない。なぜなら、恩賞の原資がないのだから。

しかし御家人は命がけで戦ったのだから恩賞を出せと言って騒ぐ。

 

そしてその御家人の不満をうまく利用したのが後醍醐天皇で、幕府は滅びることになる。幕府のマネージャーである北条氏は滅亡した。

 

と長々と鎌倉時代、特に元寇の話をしてきたが、これが今のコロナとどこが共通するのかしら😁。

 

元寇は、海外からの侵略戦争。その防衛に幕府は恩賞を出したくても出せない。なぜなら、恩賞の原資がないのだから。

しかし御家人は命がけで戦ったのだから恩賞を出せと言って騒ぐ。

⬇️

(  )は、海外からの(  )。

その(  )に(  )は(  )を出したくても出せない。なぜなら、(  )の原資がないのだから。

しかし(  )は命がけで(  )のだから(   )を出せと言って騒ぐ。

⬇️

(コロナ禍)は、海外からの( ウィルス)。

その(感染拡大防止)に(国や地方自治体)は( 補償)を出したくても出せない。なぜなら、(補償)の原資がないのだから。

しかし(国民)は命がけで(自粛要請に従った)のだから(補償)を出せと言って騒ぐ。

 

「元軍に蹂躙されたら、御家人自身が困る。恩賞のために戦ったのではない。そうなったら自分が困るから戦ったのであろう。それで幕府に恩賞を求めるなんておかしいよね。」という意見に納得する人は多いんじゃないかしら🤔。

 

その人はこの意見にも納得するかしら🙄

「コロナに蹂躙されたら、国民自身が困る。他人や国のために自粛したのではない。そうなったら自分が困るから自粛したのであろう。それで国や地方自治体に補償を求めるなんておかしいよね。」

 

こうなると納得しないだろう。

なぜかしら🤔

なぜかしら🙄

 

1つ理由を挙げるとしたら、現代人にとって元寇は他人事で、コロナ禍は自分の身に降りかかったことだからということかしら🤔。

 

いや、鎌倉時代の御家人は、命がけで戦い、元軍を撃退した。

しかし、令和時代の日本国民は、コロナを撃退していない。

御家人と現代日本人だと、御家人の方に一本技ありかしらね😅。

 

 

とここまで読み進めて、私の話に納得しちゃ~ダメダメよ~🎵😎。

 

過去の出来事を現代に当てはめて考えることは大切だけど、注意することがあるの☝️😉。

 

江戸時代の三大改革。享保の改革をした徳川吉宗は東照大権現(徳川家康)の時代を理想とした。寛政の改革をした松平定信は徳川吉宗の時代を理想とした。水野忠邦の天保の改革もそう。結果はどれも失敗よ😌。

 

鎖国は日本の祖法と幕末の攘夷派は信じていた。東照大権現がお決めになったことと信じていた。しかし家康は外国人の家臣がいたし、貿易も盛んに行っていた。

 

儒学は祖先を大切にし、昔を美化する。そしてその美化した昔、いや神話を歴史としてそれを現代に当てはめる。

 

過去に学ぶことは必要だけれど、過去を現代に当てはめて何かしたり、評価したりするのはとても危険なのよ。

 

それは過去と今では状況が違うから。その状況まで踏まえることが大切なのよね😄。

 

でも、素人オヤジの戯れ事としては秀逸でしょ。元寇とコロナ禍の類似性を挙げて、人間って勝手だなぁ~、現代人はその勝手度が昔より高まっているなぁ~って感想を持つのは😎。

 

私もその勝手な令和人の一人よ~😎🚬