つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

妻よ、ごめんなチャイ😅

子どもが母親に「かまって」とせがむ。

「洗濯物があるからあとでね」

「掃除があるからあとでね」

「仕事があるからあとでね」

母親と子どもの日常的な会話だ。

しかし、この母親は、子どもが大きくなったら、このように思うだろう。

「あぁ、あのとき家事や仕事をあとにして、子どもをかまってやれば良かった」と。

 

私が夜中、0時過ぎに仕事から帰ってきて、洗濯物が干されていなかった。畳んでいなかった。私の食事がなかった。私はイラついた。私は風呂場で洗濯物を干した。そして、リビングに持って行った。リビングで干すと妻が起きてしまうからだ。乾いた洗濯物をシワを伸ばしながら畳んでいると、妻が起きてきた。そして「ごめん」と謝った。私は詰ってしまった。

しかし、よくよく話を聞いてみると、朝からフィギアスケートに連れていき、午後は障害者交流センターのプールで泳いできたとのこと。18時に帰宅したとのこと。

 

妻はそういう事情を言わずに、まず、ただ「ごめん」と謝った。私が聞き出したから事情を言った。

 

「あぁ、妻は今日はパートは休みで、チューと1日何か楽しい思いをしたんだなぁ」と、まず私が思わなくてはならなかった。怒ってはいけないのだ。いや、喜ばなくてはいけないのだ。

妻は「チューをかまうから、家事はあとで」というスタンスなのであろう。私はこのスタンスを喜ばなくてはいけないのだ。

 

なんと私は狭量で、他者意識がないのであろう。論理的に客観的に考えれば、たどり着く結論である。

①今日は妻はパートの仕事がなく休みである。

②チューは学校が休みである。

③朝の8時に妻とチューがどこかに行ったことは知っていた。

この3つがあり、家事がおろそかになっていたら「あぁ、妻はチューとの時間を大切にしたんだ。」という結論を直ぐに導き出さなくてはならない。いや、そうでない可能性もあるが、であるなら、そうである可能性を選ばなくてはならない。

 

チューが、課題を抱えながらもこんなによく成長した大きな理由は、この「チュー優先」の妻のスタンスでろう。素晴らしい妻なんだよ。チューへの愛情が行き過ぎなところも否めないが、この人でなかったら、今のチューはないであろう。

 

そりゃぁ欠けたところもあるよ。私にだってあるんだから。その欠けたところを覆うような良いところがあるのに、その良いところを見ずに欠けたところを見てしまったよ。

これは私が悪い。

ごめんなチャイ😅。