まぁ、仕方がないなぁって大切なのかも。相手は変わらないなら、自分が変わるしかない。人と人との出会いは、縁だ。それに勝ち負けにこだわれば、勝負がついたときに、その縁はなくなる。
腹が立つこともあろう。
相手に非があろう。
納得できないこともあろう。
でも、それを全て飲み込むことが必要なときはある。
飲み込めなければ吐き出すしかない。私は吐き出すことを望んでいるのだろうか。
飲み込む勇気。
吐き出す勇気。
どちらの勇気が上なのか。
飲み込めば今まで通り。しかし、心にしこりが残る。そのしこりは時間が経てばなくなるのだろうか。
吐き出せば新たな展開が待っている。しかし、新たな苦痛を伴う。そして新たな展開は本当に幸せなのだろうかと自問する。
答えは分からない。
しこりを残して今の幸せを続けるのと、新たな苦痛を伴って新たな幸せを掴もうとするのと、どちらが幸せなのだろうか。
とすると、幸せとは何なのだろうか。
窮地に立ちながら、新たな世界へとチャレンジすることに幸せを感じる者もいれば、平穏無事に暮らすことに幸せを感じる者もいる。
私の今は平穏無事ではない。
自分自身、体調は良くない。左肩は痛いし、耳鳴りは両耳でするようになってしまった。健康のことを言ったらきりがない。
妻もチューも母も、家族のことでも心配の種は尽きない。
それに会社も良くない。
それら全てのことを「仕方がない」と捉えるとこも必要なのだろう。相手が変わらないなら、自分の考えを変えるしかない。
それが「仕方がない」なのかも。