大学の説明会に行ってきたよ😄
先日、東京のとある場所で、教育産業に携わる者に対しての、大学説明会があった。関東圏、関西圏、九州にある、有名な大学の入試担当や経営に携わる教授が、自大学の良さをアピールしたり、入試について解説したりする会だった。あまり詳しく書けないわ😁。だって、このあとの話の展開は、この会の主催者にご迷惑をかけるかもしれないから😅。
英語教育に力をいれていることは分かった。また、入試でも英語の比重が大きいことも分かった。当然、民間外部試験(検定試験)を導入していることも分かった。いや、それぞれ分かったというよりか、元々知っていたことなので、各大学の先生から聞くことにより、より実感できたといことかしら🤔。
ある大学は、外国人留学生が多く、英語で授業していることを売りとして話していた。ある大学は「これからの時代は英語である。」と言い切っていた。
写真に撮った色々な資料を載せたいところだが、これまた色々と問題が生じそうなので、このくらいにしておこう😅。こんな感じのパワポを見ながら説明を聞いた。
これらは生徒のためでもあるが、それぞれ大学側の事情もあろう🤔。外国人留学生を多数受け入れなければ経営が成り立たないのかもしれない。また、世界の人と話すには、英語が共通言語に近いものになっているという事情もある。
今後、私の塾は国語に力をいれていく方針だ。一方、当然英語も無視できない。この大学の先生方は生徒が「母国語で論理的に考えることができること」を前提にしているのであろうか🤔。当然そうであろう。しかし、けっこう優秀な大学に進学した生徒も、論理的思考力が低い生徒も多いのよ😣。東大や早稲田、上智に進学した生徒の指導もしたことがあるけれど、どの子も国語の問題を解いたり文章を書いたりするのが弱かった。だから、私は思った。なぜそんなに母国語で考えることを軽視するのであろうかと🙄。
いえね。日本の共通語が英語だったら問題はないのよ👋😅。でも、まだ、日本の中で生活するには日本語という母国語で考え、話しているのよ。大学は専門機関といえども、その点の言及はない。時代の流れと、お国の事情に合わせているだけだと言われても仕方がないわよね😑。国立大学も私立大学も、「助成金」という首根っこをおさえられて、ニャーニャー鳴いている子猫にすぎないんだなぁって感じたの😎。大学がこれじゃ、曲学阿世の徒が巷に溢れるなぁって思って聞いていた。
かなり言い過ぎ🤐。
実学を学ぶ専門学校なら、時流に合わせても、ニーズに沿おうとしても問題ないわよ。実学を学ぶって、そういうことだから。今、生きていく上で必要なものを学ぶ。そういう教育機関も大切だわ。猫も杓子も大学に行くようになって、大学は専門学校化した。いや、そういう大学があってもよい。でも、大学で学ぶことって実学だけではないだろう。
シェークスピアの一節を、歴史的背景からシェークスピアの生い立ち、性格まで分析して、思索するのもよい。
なぜベートーベンは、ここでドを使ったのか。レでもよいだろう。なぜドなのかということだけを研究するのも面白いだろう。
数学の世界で遊ぶもよし、機械工学を学んでロボットを作るのもよし。世界は直接関係がなくても、間接的に色々なものが絡まって成り立っている。
疑問を持ちながらも「国の意向だから」と言って思考停止して、入試に民間試験を導入するのは、私から見たら「曲学阿世」である可能性が高い。
そうそう☝️😅。
私たちの教育サービス業は時流もとても大切よ。だって「サービス」だから。語源はサーバント。でも、サーバントではない、お金を「払う」のと「いただく」の支配関係も主従関係もないという気概は大切よ😎
英語の民間試験導入に、延期以前から、この試験を導入しないと宣言していた気骨のある大学は
岩手県立大・東北大・東大・慶応義塾大・津田塾大・愛知県立大・京都工芸繊維大
である。
これらの大学は、先見の明があったわけではない。もともと公平性・公正性に疑問があるものは導入しないのは当然だ。
余談であるが、政治もそうなのである。公平性と公正性に疑問が生じた時点で、有権者はその政権を変えなくてはならない。
えっ、公平性と公正性の点では野党も同じ❓😅。
同じでも、今、政権を担当しているものを変えなくてはならないのよ。いつでも変えられてしまうという緊張感が、不正をなくすことにもなるの。こういう発想が日本に乏しいのは、この大学入試制度改革の経緯を見てもよく分かる。教育自体が、権力に逆らえないものになっている。そういう教育者にそういう教育をされたら、そういう人がたくさん誕生するのよ🙃。何を言っているかわからないね😁。
いや、何がなんでもお国に逆らえということでは
ないのよ。
余談が長くなるが、私たち塾もその手先となっている。定期試験対策がその1つ。実力がなくても、対策1つである程度点数を取らせてしまう。私が考える定期試験対策は、過去問をくばったり、予想問題を解かせたりするものではない。教科書を読んで、ノートにまとめて、その後で問題を解く。
そんな中で「リベラルアーツ」を売りにしている大学の説明となった。その大学のお偉い教授で、最初、ドローンで写した大学の動画を流した。教授は説明しているのだが、BGMが大きい。もう少し音量を小さくした方が良いんじゃないかなぁと思ったが、今までくそ真面目な説明ばかりで飽きていたところだったので、とても良かったわ👏😆。
そして、授業形式で説明し出した。図を見せて「これは何に見えますか」という、よくあるパターン。参加した講師を指名していくんだけど、こんなの一発でこの教授のやりたいことを言い当てて、鼻をへし折ってやれよ~😎。何か、参加者の質を疑いたくなった。みんな答えられない。それとも、この教授に忖度しているのかしら🙄。この教授、言っていることは良いんだけど、かなり横柄で上から目線よ。私は何も背景がない不遜な男だが、この人は権威があって不遜な方だ。な~んだ、彼って私と同類ね😎。と言ったら、彼は「お前と同じじゃねえよ」と突っ込むだろう(゜o゜)\(-_-)。
そりゃ、私たちはリベラルアーツなんてやっていないわよ。純粋なベルトコンベア式規格人大量生産型工場で教育を受けてきたんだから。でも情けない。この教授の言いようにされて。この図はこうだと、言ってやれば良いじゃない。そのとき走り書きした図がこちら👋😅
「アルファベットの欠片が規則的に並んでいるようにも見えるし、亀の甲にも見えるし、区画された道路にも見えるけれど、ある図の上に棒が載せてある図なんでしょ。立体的にものを見ることができないと言いたいんですよね。」
ってね。こんなのリベラルアーツではなく心理の問題よ。と、私は説明会に参加している塾関係者にもイラついた😅。
でも、リベラルアーツという取り組みはとてもよい。来年のうち塾で国語力を強化するという理念に使えそうだわ。って、もともと知っていたけれど、こうやって授業形式で聞いていると、新たな視点を持てて良いわ😄。
そう☝️😊
英国数理社など、教科を別々に捉えるのではなく、横断型に捉えるのは大切だわ。英語も国語も大切で、宗教や歴史、数学も知る必要があるというのもごもっとも。世界の人と付き合う上で、そういった様々なものを学ぶことは重要だ。「リベラルアーツは他者理解を育むというのもよい」とこの教授が言った。私も同意見だ。
でも、この教授、ホント私たち塾の講師を見下していることが言葉の端々に見てとれる😒。
「先生方のことでしょうから、もうすでにご指導されているでしょうが。」