つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

野分前の清清しい天気には

台風が来る前の秋晴れの空。少し強めの風が心地よい。これから起こる暴風雨を感じさせない、清清しい天気である。

 

眩しいところは夏と変わりがない太陽だが、それでも秋の陽射しは穏やかに感じる。

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木々の葉の陰影が気持ち良い。陽射しが強いほど、影が濃くなり、葉の緑色が際立つ。モダンな言い方をすると「ライトグリーン」というところか。「モダン」という言葉を使うところに、作者である私の年齢層がわかるだろうなぁ😅

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嗚呼野分前

透き通った空と風

 

そうなのよ😄。台風前のこの光景は「嗚呼」なのよ😔。

 

「嗚呼」には「物事に感じて、喜怒哀楽、驚き、疑問」などたくさんの意味がある。私は、台風前のこの秋晴れに、この人の感情全てを感じとる。

 

秋晴れの喜びや楽しみは多くの人が共感してくれるだろう。

でも、この喜びや楽しみを感じさせてくれる天気が自然の猛威の前触れだとしたら…。

悲しみでもあり、怒りでもあり、驚きでもある。台風は1週間も1ヶ月も停滞しない。長くて1日である。いや、平均寿命からしたら一瞬よ。その一瞬が、人をどん底の突き落とし、そのどん底から這い上がるには、なんと長い時間がかかるのだろうか。這い上がれずに終わる人だっている。命を落とす者もいる。

 

名古屋市の前田恵美子議員が、市議会で「伊勢湾台風のせいで、すごく街がきれいになった」と発言した。伊勢湾台風は、1959年に死者5000人近く、負傷者3万人以上を出した自然災害だ。

 

ホント、被災者、もっと大きくとらえると弱者に厳しい、このような発言をする人が目立つようになったのも、平成から令和にかけてのことのように思う😣。国会議員しかり、著名人しかり、教育者しかり😔。

 

言葉の検証だから、文節に分けて考えてみる🙄。

 

伊勢湾台風の/せいで/、すごく/街が/きれいに/なった

 

ここで、私がポイントにしたいのは「せい」である☝️😔。「せい」と似た意味の言葉に「おかげ」もある。

所為(せい)

ある(悪い)結果を生じた原因・理由。(大辞林

 

御陰(おかげ)

神仏のたすけ。加護。また、人から受けた恩恵・力添え。 (広辞苑

 

今回、彼女は「せい」を使っているのだが、「町がきれいなった」は望ましくない結果ではないだろう。誤用である。

正しくは、

伊勢湾台風のおかげで、すごく街がきれいになった」

と言うべきところを、伊勢湾台風を神仏の助けや加護とはできないと、直感的に考えて「せいで」としたのかもしれない🙄。ここで、私が彼女の心を分析すると、「伊勢湾台風の被害を肯定しているわけではない。」となる。そこで、彼女の発言を言い直してみる。

 

伊勢湾台風のために(が原因で)、すごく街がきれいになった。

少し印象が変わったかな🤔。彼女の発言とその背景を調べると

前田議員らによると、防災対策に古地図を利用することを提案する際、「私の住んでいる学区におきましては、やはりあの伊勢湾台風のせいで、すごく街がきれいになったということを聞いている」と発言した。前田議員は、毎日新聞の取材に「地名には歴史があるため、伊勢湾台風で一変してしまった地域は古地図を防災に役立ててほしいという趣旨だった」と釈明し、「言葉足らずで申し訳なかった」と話した。(毎日新聞

なのよね🤔

伊勢湾台風」と「町が綺麗になった」の因果関係は事実だろう。また、「地名には歴史があるため、伊勢湾台風で一変してしまった地域は古地図を防災に役立ててほしい」という趣旨は私は理解できるし、一定の支持は得られる考えだ😔。

ということは、その趣旨が伝わらなかった彼女の言い方に問題があると考える🤔。

 

う~ん🤔。

変だ😣。

なぜその趣旨の方を言わないのか。趣旨の方を言えば、こんな問題にならないのだ。やはり被害者への配慮に欠いた言葉であろう。言葉の分析は、今日はこのくらいにしておこう😅。

 

伊勢湾台風から昭和64年までの約30年間に発生した自然災害で最多の死者は、昭和57年に起きた長崎豪雨であろう。350人くらいであった。だから高度経済成長は、大きな自然災害が少なかったと言える。

 

それが平成の30年間は自然災害が多い印象だ。詳しく調べたわけではないが。

阪神淡路大震災が平成7年。東日本大震災が平成23年。都市壊滅型の地震が2度もあったのよ。

 

天候も不安定。ゲリラ豪雨が多発し、台風や集中豪雨も多い。世界的な異常気象。朱子学で考えれば、為政者の責任になるのよね。徳がないからこのようなことが起きるのだと。儒学儒学ではなく儒教という宗教よね😅

 

国連での少女の演説が胸を打つ。批判もあろう。しかし、彼女は地球の未来を憂い、行動した。背後に操る大人がいるかもしれないが、彼女の発言した内容は、耳に痛い。

「大絶滅を前にしているというのに、あなたたちはお金のことと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり」「私はあなたたちを絶対に許さない」

なんか、私の中で繋がるれいわ新選組の政策🤔。消費税をなくすのは、非現実的、責任がないから言えるという年配者。私も年齢的には年配者の仲間だろう😅

 

環境問題も消費税の問題も少子化問題も、弱者に厳しく、今生きている人、中でも今、その利益を享受している既得権者優先から起きる問題なのかもしれないなぁ🤔。次の世代のことよりも、今生きている者が謳歌できれば良しとする。

実は、私もそう😌。

究極的には、うちの家族が今、幸せであれば、それで良い🙇。

だって、猛暑の夏、エコのためにとクーラーを消せるか🤔。

とっても寒い冬、エコのために暖房を消せるか🤔。

今、訳あって小学生のチューを6年間、学校まで車で送っている。それをエコのために歩いて行けるか。毎日、往復8㎞。

 

目の前のことで精一杯の器なのよ。私は😅。行動を起こした16歳の少女は大したものよ。その是非はここでは問わないが。

 

台風がなければ、水不足になる。台風がくれば大きな災害をもたらす。

地震大国日本は、たくさんの噴火や地震の被害にあったけれど、温泉という恵みもある。

周りを産みに囲まれた日本は、海の幸に恵まれているが、津波の被害に遇うこともある。

 

自然が神なのかもしれない。神が作ったものではなく、自然が神なのかもしれない。恵みをもたらし、しかし、災いももたらす。

 

聖書ではバベルの塔を作り、神の世界に近づこうとして、人は神の怒りをかったという。ならば、今は、永遠に経済成長するという人の驕った行いに、神は怒っているのかもしれない。そして、神から見たらどんな権力者も弱者も同じ人。だから、神の怒りをまともに食らってしまうのは、弱者になってしまうのだろうか🤔。

 

神よ。

神から見たら差のない人であっても、人から見たら善良な者と邪悪な者がいる。もっと善良な一市民を守り、邪悪な者に怒りを与えてほしい。

と考える私が驕っていると捉えられるのであろう😣。

もっとライトな内容にしようとしたのに、重たくなってしまった😅。