つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

つれづれなるままに国語を語る第2部①

【1】つれ国

私のライフワークだった「つれづれなるままに国語を語る(つれ国)」。下にリンクした14回目のブログで2ヶ月半も遠のいていた😅。第1回目から読むと、国語のエッセンスが分かるわよ😉。ここをクリックしていくと逆から読むことになる。今度、時間をとって、第1回から順番に読めるようにしようかしら🤔


埼玉県立浦和高校に受かる国語 - つれづれなるままに

 

第二部として、気持ちを新たに始めるわね😉✨。第一部で語ったことも織り混ぜながら、より実践的なものを心がけよう💪😆

 

【2】論説文

(1)問題

(本文抜粋)
    ところが、もう少し大きくなってからの記憶は、ずいぶん様相が変わってきます。たとえば、私が「うちやまたかし」という七つのひらがなを練習している記憶があります。この記憶になると、家の中のどんな所に机があり、その机の上で誰に教わりながら練習したのかとか、なぜ私が自分の名前を書けるようにしなければならなかったのかも、記憶のなかに含まれているのです。つまり、その場面が全体のなかのどこにあり、どのような関係のなかでそのような場面が生じなければならなかったのかが、その場面とともに記憶されているのです。
    その頃以降の記憶になると、すべて全体との関係や①因果関係と一緒にその場面が出てきます。そして私は、この記憶の変化のなかに、幼年期から少年期への転換を感じるのです。
子どもたちの時間 (内山節著作集)

子どもたちの時間 (内山節著作集)

 
(問い)
傍線①に「因果関係」とありますが、これは前段落で述べられた具体的な記憶の中のどの部分で考えられていますか。その部分を三十字以内で探し、初めと終わりの五字ずつを書き抜きなさい。(スマホでは傍線が引けないの🙇)

 

さて、この問いを読んでから、1分で答えが分かったら、ロジカルシンキングの力があるかも。答えが分かった方は、解法も考えてみてね😉

 

では、始めてね👋😄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~1分経過~

(2)解説

みなさんは、いかがでしたか?👨‍🏫。この問題は中3生用なのよ。本当は問題文は10段落もあるの。それの問5なのよ。
 
さて、問題を解く時は設問読解をする。
問いを短くすると
これ(因果関係)は前段落で述べられた具体的な記憶の中のどの部分で考えられていますか。

 

①主語と述語

「因果関係=どの部分か」
なるほど🤔。
因果関係に当たる部分を探せばよい。因果関係の言い換え問題なのよ。

 

②修飾語

「前段落に述べられた」
前段落に解答がある。チョーヒントよ😎

 

「具体的な記憶の中の」
あらまぁ、前段落とこの段落の関係は具体と抽象の関係ね。
 
①と②から、「因果関係」について具体的に述べたところを前段落から探せということね😊
 
次に問題文の読解をする。
まずは傍線が引かれているところがある一文を読解する。

 

その頃以降の記憶になると、
すべて全体との関係や
因果関係と
一緒にその場面が出てきます。

 

この言い換えを前段落の中から探す。言い換えって、文の構造を似させるの。
 
たとえば、
Aスポーツは、B体によい。たとえば、C水泳をすることは、D肺や全身の筋肉が鍛えられると言える。
という文があったとする。
どちらの文も「□は○だ」同じ構造の文になっており

    抽象      ⇔      具体

      A         ≒        C

      B         ≒        D

という関係になっていることが分かる。
 
問題に戻ろう👨‍🏫。

 

(後の段落)
Aその頃以降の記憶になると、
Bすべて全体との関係や
C因果関係
Dと一緒に
Eその場面が出てきます。

 

(前の段落)

Fこの記憶になると、
G家の中のどんな所に机があり、その机の上で誰に教わりながら練習したのかとか、
Hなぜ私が自分の名前を書けるようにしなければならなかったのか
Iも、
J記憶のなかに含まれているのです。

 

ほら☝️😄

 

A≒F

B≒G

C≒H

D≒I 

E≒J

となっているでしょ😉✨。
今回の問題は、Cの「因果関係」に対応するものを探すのだから、Hの「なぜ私が自分の名前を書けるようにしなければならなかったのか」が正解となるのよ。

 

(3)生徒のノート

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【3】まとめ

論説文は言い替え文。だって読者を説得するんでしょ。そして、具体から抽象に変えるときに飛躍が入るの。この飛躍を飛躍に見せない方法が、論理なの。
今回の文だって
ところがA。
たとえばB。
つまりC。
Dなのです。
くどいよ~😅。A≒B≒C≒Dと繰り返しているの。みなさん気づいたかな。
私が、論理の力を使って、危ない主張をしてみるわ😁。納得しちゃダメダメよ😎

 

(例文)
私は命よりもお金が大切だと考える。なぜなら、世の中には命と引き換えにお金を得るという事件が多いからだ。
確かに、愛しい人の命はお金に変えられないということもわかる。しかし、赤の他人の命ならお金の方が大切だ。たとえば、保険金殺人事件がよい例だ。自分の親や子に保険をかけて殺すこともある。過労死もよい例だ。企業が労働者をこき使い、過労で死んだり自死したりしても、会社の非を認めようとしないことが多いだろう。今、目の前で苦しんでいる人がいるにも関わらず、それを自己責任に転嫁し、税金を桁外れに高い戦闘機の購入に使う政治からして、個人の命よりも大切なものがあることが分かるだろう。つまり、個人の命より優先されるものが世界にはあるというのは事実なのだ。だから、私は命よりもお金の方が大切だと考えるのだ。

 

これを読んで、納得しちゃった方は、詐欺にご注意を。かつ、今は参議院選挙。政治家の演説にはさらにご注意ください。甘い言葉に飛躍があるのよ😅

 

国語を学ぶのは、とても大切なことなのに、国語は感覚という人が多いのよね。感覚じゃない❗️論理が必要。これは小説文を読むのにも必要だし、コミュニケーションの土台でもあるのよ。子どもに英語やプログラミング、理科実験をやらせるよりも必要なことがあるでしょ。世のパパさんとママさん😎