「いつもの風景」って歌詞も曲も私は好きよ😄~ちびまる子ちゃんのエンディングソング~
日曜日の夕食時に、チューとちびまる子ちゃんとサザエさんを見る。ちびまる子ちゃんのエンディング曲の「いつもの風景」がこちら👋😄
斉藤和義 - いつもの風景 [TV ver.] - YouTube
やはり、詩ってこうよね🤔。因果関係がないのに因果関係があるように思えるところが良いのよ。
だいたい同じような毎日だけど ひとつも同じ日なんてないんだ
ホラ あの雲もハートに見えるだろう
私はここがとても印象に残ったのよ👋😄。
歌詞って40字程度であっても、語ろうと思えば楽々1000文字は越えてしまうのよ☝️😎。
音楽の研究では、ある作曲家の1音符について、その作曲家の生い立ちから時代背景などまで調べて、その音である必然性を考える人もいるのよね。ホント楽しそうだわ😆。私の頭じゃついていけないけれどね😑
この歌詞を書いているときに、作詞者の心の中では、詩の聞き手はうつ向いているはずである。
なぜなら、「ひとつも同じ日なんてないんだよ」と諭される人は「毎日同じような日々が続いている」と思っているはずで、心は明るくはないからよ😄。
心が沈んでいる人は、空を見上げるよりもうつむきがちだ☝️😌。それに、このあと「ホラ」と言って、空の雲について語るために、空を見上げるように促していることからも、作者の心の中の詩の聞き手はうつ向いていることが分かるわ。
「毎日同じ日の繰り返しで嫌だなぁ」と思っている。
「ひとつも同じ日なんてないんだよ」とその人を諭す。
「そりゃ~、そうだけどさ」と思ってうつ向いたまま。
そんな彼女に「ほら」と言って、空を指差す。落ち込んでいる彼女も空を見上げる。「あの雲もハート型じゃないか」と言う。
色々な形のある雲の中で「ハート型」をチョイスしたことと、「~だろう」と男言葉である点から、諭されているのは女性、諭しているのは男性だと思うわ😄。
このご時世、男同士、女性同士の会話ということもあり得るわね。でも、男が男に向かって「雲がハートだろ」っていうかしら🤔。この部分を読んだだけなら、男女の設定であると考えて良さそうね。でも、歌詞全体を読むと、また違った解釈もできるんだけれどね。
視点を上に持っていったところも良いわよね😄
シチュエーションはこれぐらいにして、次からが詩の核心よ😉
雲がハート型であることは、何でひとつも同じ日はないということの理由になるのかしら🤔。
説明しようとすれば、「雲の形はいつも違うからよ」となるんだろうなぁ🙄
でもここで、
🅰️
だいたい同じような毎日だけど ひとつも同じ日なんてないんだ
ホラ あの雲も昨日と違って見えるだろう
と歌うのと
🅱️
だいたい同じような毎日だけど ひとつも同じ日なんてないんだ
ホラ あの雲もハートに見えるだろう
歌うのではどちらが良いか🙄
断然🅱️よね😄。ハートの方がよいよね。
じゃぁ、これだったらどうかしら🤔
だいたい同じような毎日だけど ひとつも同じ日なんてないんだ
ホラ あの雲もダイアに見えるだろう
う~ん🤔。
ここは好みの問題だが、ちびまる子ちゃんという小学生の女の子が主人公で、大人から見ると郷愁をさそうクラスの仲間とのやり取りが話や歌詞の背景にあるとしたら、やはりハートかしら🙄。
これが、ちびまる子ちゃんのエンディングソングではなかったらダイアもありかもしれないわ😄。でも、ハート型のチョイスがベストだと思うわ😄。
「雲がハート型に見えるから、ひとつも同じ日なんてないんだよ」と訴えているが、「雲がハート型に見える」という原因と「ひとつも同じ日なんてない」という結果の関係、つまり因果関係がないようなことに因果関係があると見せるのが情緒的で詩の面白味なのよね。
さっきも書いたけれど、「雲の形はいつも違うから、一つも同じ日なんてない」としたら、因果関係があるのよね。
「昨日の雲と今日の雲は同じではないよね。だから、昨日と今日は違うんだよ」となる。これでは情緒的ではない。詩とは言えなくなる。
それに、語順も良いのよね😄。
🅰️
だいたい同じような毎日だけど ひとつも同じ日なんてないんだ
ホラ あの雲もハートに見えるだろう
と
🅱️
あの雲もハートに見えるだろう
ホラ だいたい同じような毎日だけど ひとつも同じ日なんてないんだ
いかがかしら😄
🅰️の方が🅱️よりも詩的よね😳
🅱️の原因(理由)→結果(主張)の順は詩になりにくいのよね。
それに「ホラ」の役割も変わってくるわ。
🅰️の「ホラ」には、空に目を向けさせて元気付ける役割がある。あと、「ホラ 雲がハート型だろう」と情緒的な理由を導き出す役割もある。なんか素敵よね。
🅱️の「ホラ」は嫌よね。だってそのホラが導き出すのは「理屈」よ。雲がハート型であるという情緒の理由を理屈にするのは野暮よ、野暮😎。詩は語順が大切なのよ☝️😄
理屈じゃない因果関係に、その人のセンスが問われるんじゃないかしら🤔。
売れる曲には驚きがある。例えば「エッ❗️❓」ここでまだサビにいかないのなんてね😎。聞き手の予想を裏切るのよ。この話は機会があったらしよいかしらね😉✨
詩は着眼点のオリジナリティーと情緒的な因果律が大切なのかも。その際に語順が重要になってくるのかしら🤔
例えば、「しずかさや 岩にしみ入る 蝉の声」もそうよね。
これが
「蝉の声 しみ入るごとく しずかなり」なんてやったら、詩的じゃないわよね😌。
「蝉の声がしみ入るようにしずかだなぁ」と散文を五・七・五に分けただけで、俳句じゃなく標語に近いわ。情緒が薄まる。
今回の歌詞の解釈は、前後の歌詞を読むと、また違ったものになるわよ。
でも、その前後の文脈を踏まえずに、抜き出された文だけでその文の意味を考えるのと思考には大切で、ロジカルシンキングの訓練になるわ☝️😄
抜き出した部分だけで考えたら、男性が落ち込んでいる女性にアドバイスしている場面がシックリとするけれど、歌詞全体を読むと、全く違う解釈にもなるのよね😅。
国語の入試問題って、長い本文の一部を切り出して作るのよ。そして、切り取られた文章の前後の話は読んでいないことが前提で解くので、その本を読んだことがあると間違えてしまうことがあるという何とも不思議なことも起こりうる。入試問題に使われた文章の筆者が、その入試問題を解いたら間違えたという話もあるそうよ。
この「いつもの風景」だって、歌詞の最後が
そして大好きなあの子が 笑ってる
なのよね🤔。
2番の歌詞には
キミはキミって役で登場するんだろ
と言う。
映画みたいに
カッコ良くない
現実だけどね
というもある。
「大好きなあの子」って誰が大好きなのかしら。
「キミ」って誰を指しているのかしら。
「カッコ良くない現実」って何なのかしら🤔誰にとってカッコ良くないのかしら🙄。
この歌詞は
①男性が女性に対して歌ったもの
②男性が男性に対して歌ったもの
の2つに絞れるわね。それも年上が年下に、言い換えると「青年が男の子(女の子)に」というのがシックリとするわ😅。
話が歌詞の解釈から大きく離れてしまうが、エンディングソングで流れるアニメで「大好きなあの子が笑っている」のところでさくらももこの笑顔のアップになるので、「大好きなあの子」は、女の子であろう。とすると、前半長々と語ってきた「男性が女性に対してアドバイスをしている」というのは誤った解釈となっちゃうのよね😌。
また、雲がハートであるという点と、大好きなあの子という点から、恋の歌であろう。そして、「映画みたいにカッコ良くない現実」とは片想いのことなのかしら🤔
いや、
③片想いの自分が自分に励ましているもの
とも解釈できるかも😄
キミが恋敵なのよ、きっと😳