つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

書店にて🤔190129再投稿(ブログセレクション④)

私は本屋が好きである。大きな本屋になると、午前中にお店に入って、店を出るときは薄暗くなることもしばしばある。

 

本屋の中を巡り、どんな本があるかを見るのが好きで、気になる本があると、目次と前書き、後書き、筆者のプロフィール、初版の年月日などをチェックする。そう、購入を前提に本を物色している😄。

 

(1)座り読み

近年、本屋に椅子が置いてあることが多くなった。そこで、長々と座り読みをする人が多くなっている。ひどいと、本を数冊床に置いて読んでる人もいる😱。

「おい、ここは図書館じゃないぞ。それは売り物なんだよ💢」

と心の中で呟いている😅

 

そうそう。こういった事象を見て、主観的な「怒り」や「苛立ち」に留めず、客観視することが、私の心の対処法。どう客観視するのか。それは、双方の理由を考え、一般化する。

 

(2)客側の思考

①読みたい本があるけれど、お金は出したくない。

②立って読むより、座って読んだ方が楽だ。

③おっ❗️店側が本棚の隣に椅子を用意してくれている。

④店が座って読むのを勧めてくれているのだから、座ってゆっくり読もう。

⑤えっ❓何が悪いの😎

かなぁ🤔。この思考に納得した方。途中、論理の飛躍があると私は思うの😊

 

①と②は客の心情を読んだもの。自分のことだから、どう思おうと構わない。

 

③「用意してくれている」が少し飛躍の可能性がある。「どうぞ。座ってゆっくりとお読みください」というような貼り紙が店にあれば別だが。「置いている」であれば、目の前の事実を言っているだけだから、飛躍はない。しかし、その事実を「お客のために、用意してくれている」という解釈にしている点は正しいとも言えそうなので、間違えではない。店側が何かの意図があって置いたのだから、正しいとしよう😔。

 

④が論理の飛躍😌。店は座り読みのために、椅子を置いたのかどうかは、ここでは分からない。「本を選び疲れたお客のため」とか「足腰の悪い人のため」かもしれない。これは客側の都合の良い解釈だと考える🤔。椅子を置いた趣旨説明の貼り紙もないし、座り読みをしている人に注意もしない。座り読みを暗黙のうちに了解している。客に論理の飛躍やマナー違反があったとしても、店の管理責任が問われるかなぁ🤔

 

ちなみに、こういう思考法を訓練するには、入試の国語がもってこいだよ😁

 

(3)私の考え

度を越した試し読みは「試し」ではなく、「盗み」なの😔。だって、本来お金を払って読むものだから。

有料の映画館に、無料で不正に入り、映画を鑑賞しているようなものに見えてならないの😣。

何をもって「度を越す」のか、基準が曖昧なんだけど🙇。

 

(4)書店の意図

書店が、本を選ぶお客に椅子を用意する。そこまで、お客に迎合しなくてはならないのかなぁ🤔。椅子に座って長々と売り物の本に読みふける人が、その本を買う確率ってどのくらいなのかなぁ🙄。自分の常識は他人の非常識なのは分かるけれど、私の常識外。だって、本を隣に積み上げて読んでいる人もいるのよ。それも、私と同年齢か、年上の人が多いの。

 

スマホの普及で本屋が廃れているとも聞く。書店にとっては、閑古鳥を鳴かせるよりは、枯れ木も山の賑わいということなのかもしれないね。でも、そんな客のいる書店の本は売れないよ。だってある意味古本だよね😅

 

(5)いたるところに学びあり

この事象から、自分の仕事に当てはめてみる。知識や事象に思考をつけるて、我が身に当てはめると知恵になる。今回の書店での出来事は、マーケティングとなる。

 

私は塾で働いている。ここは書くのはやめておこう。私の会社の関係者も、複数読んでくださっているので😎

 

いたるところに学びあり。事象や知識に思考を与えると知恵となり、その知恵を行動に移すには勇気がいる。やはり私に欠けたところは勇気かなぁ😅

 

(追記)ブログセレクションは、私の過去のブログで、アクセス数が少なかったものを再投稿したものです😄


夫婦円満の秘訣❓😅190122再投稿(ブログセレクション③) - つれづれなるままに