平成が今日で終わる。そう思ったときに、ふと思い出した場面がある🙄。
まだ、昭和から平成に変わって間もない頃。私は高校生であった。バスの中で、もう80をゆうに越えたお年寄り達の会話である。
👴「私は4人の天皇陛下にお仕えしたことになるなぁ。」
👵「そうですね。ありがたいことですね。」
そう。当時、80を越えていれば、明治生まれなんだよなぁ🤔。そして、このお爺さんの考えでいくと、私も4人の天皇陛下にお仕え❓できるかもしれない😅
私は「天皇」も「君が代」も「日の丸」も肯定派だ。その理由を問われると、答えがない。ただ単に感情的に「肯定する」というものだ😅。
そういう心情であるが、とことん理性で考え、それらを反対する立場を擁護することもできる😊。
「『日の丸』も『君が代』もそもそもの意味は、軍国主義も天皇崇拝も意味しない。だから、それらを否定するのは誤りだ」という主張がある。私も、それらを肯定する立場なので、この主張に理解を示すが、この主張を理屈で否定することもできるのよ😎。頭の中でディベートをするの。これは自分の思想を左右に片寄らせず、かつ深めることになる。思考訓練と私は名付けている😊
そもそも「悪」を意味しなければ、「悪」に利用されたものは「免罪」されるという根拠は何か。言い換えれば、そもそもが善意なら、結果悪意で使われたものは許されるのか🤔。
第二次世界対戦を引き起こしたドイツが、今、ヨーロッパの中で確固たる地位があるのは、戦前のドイツを否定したから。ドイツは「鉤十字」も「手をまっすぐに挙げる挙手の仕方🙋♂️」も、ナチスやヒトラーを連想させるので法律上禁止している。そもそもこの二つは、ナチスもヒトラーも意味しない。でも、違法なのである。だから、「鉤十字」を使ったり、「手をまっすに上に挙げること」をしたりすると警察に捕まる。また、ナチスに関係したものを根絶やしにした。
翻って日本。日本的心情で、ここまで冷徹になれるのか。私たちは、天皇や戦前の指導者達に騙されていたかわいそうな小国民だと言えるのだろうか🤔。
レッドパージで戦前の日本を背負った者や戦犯が復権した。復権した者で、政治の世界で力を持つ者もいた。A級戦犯で死刑となった子孫が戦犯であった祖父を擁護する発言をテレビですることもできる。ある意味、自由。戦前と戦後が切れていない。また、戦勝者達の裁きである東京裁判の正当性も議論の余地はあるが。
「天皇」「日の丸」「君が代」。全て、そもそもは「軍国主義」を意味しない。神道を「国家神道」とし、それに天皇を利用したり、「軍国主義」に利用されたりしたに過ぎない。という理屈が、世界のスタンダードではないということを、もっと理解した方が良い。「理解」は「承認」という意味よ😔。すぐに「承諾」に結びつける方がいるのよ。「承認」と「承諾」は別物よ。私はたくさんのものやことを「承認」するけれど、「承諾」はなかなかしないのよ😎。
「過去を水に流す」とは禊に繋がる。神道である。「死ねば皆仏」。これも日本的な仏教である。
この思想を私は否定しない。これは赦しに繋がると考えるから。でも、これを身内に対して行うと甘えにもなるということは心に刻もう。だって、被害者が「過去を水に流すよ」と言えば聞こえは良いが、加害者が「過去を水に流してよ」と言ってきたら、あなたが被害者だったら許してやるかなぁ🙄。「許してやる」と言う方がいたら、私がお金を盗みに行こうかなぁ😎。そして、「ごめん。許して。過去を水に流して」って言ってやるよ。だって、許してくれるのだから😁。
でもね。いつまでたっても過去を蒸し返し、たかってくる奴もいる。そして、謝罪が足りない、賠償しろって言ってくる者もいる。暴力団員のシノギがそうだよ。そういうときにどう対応すれば良いのか。それは、毅然とした対応をすること。それ以外ないの😔。
日本独自の世界観や宗教観を世界に発信しないといけない。日本人ってすぐに海外から入ってきた思想にかぶれ、海外のものは素晴らしいって思っちゃうの。島国コンプレックスね🤣。
キリスト教を中心にした一神教が、グローバルスタンダードになっているけれど、キリスト教の歴史をひもとけば、かなり酷いことをやっているのよ😒💢。地域の民族宗教を野蛮な宗教として、国王を騙し討ちにし殺したり、属国にしたり奴隷にしたり。でも、それに関して謝罪したなんて聞いたことがない🤷♂️。
グローバリズムって、私は地球規模の「全体主義」って理解しているの。元号は不便だとか、天皇制の産物だとか言って、西暦に統一しようと言う方々がいる。そういう方に限って、平和と多様性を主張する。大いなる矛盾よ😱。多様性って、全体的な不便を甘受するものでもあり、非効率なものでもあると私は考える🤔。例えば、教育を例にすると、多様な子どもに合わせた教育をしたら、不便だし、非効率でしょ。だから、ベルトコンベア式規格品大量生産工場型集団教育を、日本の普通科教育は採用しているのよ。
このことについて言及したのはこちらのブログ👋😄
西暦は西洋の暦。キリスト教をもとにしている。そのキリスト教に【も】、負の歴史がある。
元号は、今や日本独自の文化。世界から見れば多様な文化の1つ。それに、西洋の時間の支配からの独立の象徴とも言える。だって、陸も海も空も米軍の意向が大きく影響しているんでしょ。時間も西洋に支配されても良いの?。空間の支配は拒絶して、時間の支配を受け入れるなんて、私は理解できない🤷♂️。矛盾しているのよ。時間の支配は心の支配にも繋がる。それじゃぁ、心は西洋の支配を受け入れるってことね。元号廃止、西暦統一論者は😔。
ただね。
改元で
疑惑も全て
チャラになり(ゆうの心の川柳)
にはしてほしくないなぁ😅。
元号・西暦併用って、多様性の実践なのよ。不便で非効率。でも、多様性を尊重する私にとっては、心地の良い不便さであり、非効率なのである。
「つれづれなるままに歴史を語る」で、「慰霊で君が代を流すそもそもの意味は」をテーマに続き物で書いたことがある。でも、そちらを引用するとまた長くなるので、私の「天皇」や「元号」についての端的な持論はこちら。👋😄
「つれづれなるままに歴史を語る」では、ホントつれづれに歴史を語っています。あまり真剣に反論はしないでね😅。だって「つれづれ」なんだもの😎
これまでの「つれ歴」はこちら👋😄
つれづれなるままに歴史を語る(昔話④)戦国運命の出会い③ - つれづれなるままに