ソメイヨシノと亡き父と190417②
サクラが風邪に吹かれて散る様子は、桜の木が生を謳歌してちると私は述べた。
そう思いたい自分がいる。そうなんだ。父の命日は4月19日だ。
その1週間前、まだ生まれて半年のチューを連れて、花○○公園に父と妻と遊びに行った。沢山の花が咲き誇り、桜が散る中、チューを抱く父の微笑みは儚かった。
かなり怖い父だった。その父が、癌を境にして丸くなった。手術後、5年生きられなかった。4年と数ヶ月。最後は苦しかったろう。しかし、弱音を吐かなかった。家族は、癌がそんなに進行していたとは思わなかった。
あの夜
ドタン。
母の不安なか弱い声。
私は家計のやりくりをするための表をパソコンで作っている最中だった。
1階に行くと・・・。
救急車を呼び・・・。
う~ん。
あの1日を鮮明に覚えているが、これ以上、書き残したくない気持ちが沸き起こった。
実は、サクラの花が散る様子を見ると、あの公園でチューを抱いた父がアリアリと目に浮かぶんだ。最後まで気丈に生きた父を思い出すんだ。何でこんなに印象に残っているのか。この写真。父の遺影になったからだ。
サクラが散る様子は、生を謳歌しているんだと自分に言い聞かせている。
【ソメイヨシノが散る頃に】
(作詞)ゆう
ソメイヨシノの花吹雪
アスファルトには
ハート型の花びらが
埋め尽くす
キミとの出会いは夏のこと
永遠の別れは
サクラが舞い散っている
春であった
会うは別れの始まりと
悲しみ込めて人は言う
出会いは別れだからこそ
今を行きよと僕は思う
過去があるから今がある
今を積もう未来へと
キミがいたからボクがいる
キミと歩む心の中で
生きるとは未来へと歩むこと
今が不幸ならばこそ生きるんだ
夏が来るじゃないか
今をあきらめないで
今を諦めたら
その今は永遠に続く
諦めそうになってる人がいたら
ボクは
気丈な最期を遂げた男がいることを伝えるだろう
伝えるだろう
僕は、あんなに好きだった花○○公園に今も行けていないことを記録しておく。行ったら、ブログしよう。母は、このブログを読みたくないだろうなぁ。