つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

幸せを守る者190410

遠い遠い日の思い出
家族四人で旅行をした。1年に1度、千葉の九十九里浜の父の保養施設に遊びに行った。海に行く前日は、胸が高鳴り、眠れなかった。あの写真は、今、どこにあるのだろう。
電車の中で母が笑う。
坊主頭の僕が笑う。
姉も笑う。
この写真は父の目線。私の記憶の中では、セピア色になっている光景だ。
 
父は休みの日は勉強をしていた。昇進試験のためだ。僕はそんな父の背中を見て育った。勉強をしろと言われたことがない。なぜなら、勉強をするのが当たり前だったから。先生や友達の親に「お父さんは休みの日に何をしているの?」と聞かれ、僕は「家で勉強しているよ。」と答え、驚かれたことがある。でも、よく自転車で色々なところに連れていってくれて、遊んでくれた父だった。
 
僕は幼い頃、幸せになるために努力をしなかった。努力をしなくても幸せだった。
 
僕は今、幸せになるために努力をしている。努力をしないと幸せにならない。
 
父は幸せになるために努力をしていたのだろうか。努力し続けることは、とても疲れることだ。あの日に戻りたいと思う気持ちがある。とても情けないが。
 
昔から、強いということにあまり魅力を感じなかった。強い奴って、無理していて、結局脆いと思う。
 
でもね。こういう弱さが、甘えたいという気持ちになり、魔が差すということも知っている。年を取るということは、甘えることができる人がいなくなるということでもある。そこに甘えさせてくれる人が出てきたら、ホロッと理性が外れるのだろう。
 
郷愁って、郷愁におさめておこう。それが理性というものだ。

 

【セピア色の思い出】

(作詞)ゆう
過ぎ去りし日々
遠い思い出
セピアの記憶
 
町並み抜ける
夏色の空
海原遥か

 

ボックス席では
母が微笑む
姉も微笑む
坊主頭は
満面の笑み
 
あの瞬間の
父の顔
カメラがふさぐ
父の顔

 

どんな笑みを浮かべていたのだろうか
思い出せない
覚えていない
思い出したい

 

永遠に続くと思っていた光景
今は父亡く
母は年老い
姉は嫁いだ

 

空気のような
幸せがあった

 

父の努力が
僕には見えなかった
 
でも
分かることがある
今となってはセピア色の日々は
確かに幸せであったということだ

 

そして
幸せを作る男の表情は
思い出せないということだ

 

そして
彼は最期まで強かったということだ