2年半ほぼ毎日続けてきたブログを昨年末にやめた。何の告知もせずにやめた。毎日私のブログを読んでくださっていた読者は、もう私のことは過去の人になっているだろう。
「ブログをやめます」というブログを見ると、なんて自意識過剰な人なのだろうと私は思っていた。私はどちらかというとSNSは交流型というよりも発信型である。だから私の発信を受けている人の気持ちに疎かった。
交流という点ではブログよりもツイッターの方が私には合っていた。
今年の6月頃から頻繁にリプし合っていたツイッタラーのツイートが途切れた。私のフォロワーとも仲がよく、そのフォロワーとのリプのし合いが私のTLを賑わせていた。
それがプッツリと途絶えた。
私の信条は「SNSとは人と人との薄い繋がり」であった。だからブログを始めてまもなころから交流があった久留米じいじというブロガーさんの更新がピタリと止まったときも心配したがブログにコメントを書き入れなかった。彼は呼吸器をつけたお年寄りでブログの更新が止まる直前に「肩が痛い」と書き込んでいた。ブログの更新がなくなってたくさんのコメントが書き込まれていた。
今回ツイートが途切れたツイッタラーも年輩の方で、知り合いのツイッタラーからの情報では入院したそうだ。
かなりショックだった。
ツイートの行き違いで少し辛く当たったこともあり、その後関係は修復した仲だった。
私のブログの読者は、私のことは忘れているだろう。そして投稿すれば「あぁ、ゆうっていたな」と思い出す程度だろう。
それでいい。
私が心の端に引っ掛かったのは、私のブログの更新が途絶えた時に、今の私のように心配した人がいたんだろうということだ。
実際1人いた。ツイッターのフォロワーになってくださった。
ブログやツイッターを休んだり辞めたりするときに告知するのは自意識過剰ではない。いや、それを自意識過剰と思うのは自意識低過ぎなんじゃないだろうか。
SNSも人と人との繋がり。病気などで告知できずに休止するのはやむを得ないが、そうでなければ休止宣言するべきだと思った出来事だった。
特に私のようなツイ廃は、暇さえあれば四六時中TLを見ている。リアルな付き合いよりも濃いかもしれない。