つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

中森明菜の「セカンド・ラブ」を分析する

最近ブログの更新がホント減ったわ。今年5作目のブログ。合計すると1096記事目。せめてあと2年ほどで1111記事にはしようと思っているの😅。

 

 

この5記事のうち3つが歌詞解釈がテーマ。ツイッターではそこそこ人気のシリーズよ😉

 

 

今回は中森明菜の「セカンド・ラブ」について話していくわ😄

 

 

 


中森明菜 セカンド・ラブ - YouTube

恋も二度目なら 少しは上手に 愛のメッセージ 伝えたい

と言うことは、初恋じゃないってことだわ🤔

 

 

 

そして、初恋のときは上手に愛のメッセージを相手に伝えられなかったことよね。

 

 

「少しは」の「は」の字に注目してみる。

 

 

①少し上手に愛のメッセージを伝えたい

 

②少しは上手に愛のメッセージを伝えたい

 

 

こう比べてみると「少し」を副助詞の「は」で強調している方が、前の恋では自分の気持ちを上手く相手に伝えられなかった無念さというかもどかしさが伝わってくる。

 

 

ここは異論が人もいるだろうが、私はこの初恋は実らなかったんじゃないかと解釈する🤔。

 

 

この後の歌詞で

あなたのセーター 袖口つまんで

うつむくだけなんて

帰りたくない そばにいたいの

そのひとことが言えない

とある。

 

 

これが二度目の恋でも言えないのなら、初恋でも言えなかったのだろう。

 

 

身体を許した大人の関係にはなっていないと推測する。

 

 

それにね。愛のメッセージというけれど、ここで歌われているのは「愛」じゃないわ。「恋」よ。

 

 

恋は感情。主観なの。だから相手の気持ちよりも自分がどう思い、感じるかを重視する。

 

 

自分がどう思うかのか、どう感じるのかを優先する感情が恋なのよ。

 

 

簡単に言うと、好きな人のことばかり考えてしまうのが恋ということ。それに、この歌詞に出てくる女の子は「好きだ」という感情も相手と分かちあえていないのだから、両想いの恋の前段階であるとも言える。

 

 

愛は相手の負の感情も理解し、相手の幸せを優先するものだと私は考える。つまり相手の嫌な面も包み込むことができる感情が愛だわ。

 

 

だから「帰りたくない そばにいたいの」というメッセージは愛のメッセージではないと思う。このメッセージは「恋のメッセージ」か「好きのメッセージは」よね。

 

 

まぁ、こんなに厳密に考えるのは野暮で「愛のメッセージ」で良いのだが😅

 

 

まだまだ「初さ」が多くあるので、初恋も大人の関係には至っていないだろう。

 

 

これで「初さ」を演じていたら、相当な手練れだわ😎。

 

 

帰りたくない そばにいたいの

そのひとことが言えない

抱き上げて つれてって 時間ごと

どこかへ運んでほしい

 

恋の切なさがジンジンと伝わってくるわ😳

 

 

「帰りたくない」と言うからには、彼と一緒に家に帰っているのよね🤔。どこから帰っているのかしら。デートかしら。それとも学校から帰宅途中かしら。そうしたら、時間は夕方よね。黄昏時かしらね。

 

 

「抱き上げて つれてって 時間ごと」よ。「時間ごと」とは「時間とまとめて」という意味だわ。すると時間とまとめて抱き上げるものは「ワタシ」よね😳。それも「どこかへ運んでほしい」って。

 

 

「私を私の時間と一緒にどこかへ運んでほしい」なんて、アホなスケベオヤジは「○○ホテル」なんてエッチな想像もしてしまうが、そんなことじゃないわよ🙂🙃🙂🙃。

 

 

この子が彼に身体を許しても良いと思っているかどうかは分からない。しかし、身体を許す以上に想いを寄せていることは分かるわ。

 

 

だって私と私の時間を抱き上げてって「私の全てを」ってことよ。そして「どこかへ」とは特定の場所ではないわよ。二人っきりの世界ってこと。彼氏が学生で、こんなことを彼女から言われたら、重く感じて引いてしまうことに1票を私は入れる。

 

 

せつなさの スピードは高まって

とまどうばかりの私

 

ここは分かるかしら🤔

 

 

せつない気持ちなのは彼女。せつない気持ちの原因は何か。

 

 

今、彼と帰宅しているのよね。家に着くと彼と別れてしまうことになる。彼との別れが近づくほど、せつなさが増してくる。それをせつなさのスピードが高まると表現していると思う。

 

 

今、彼と一緒に歩いていて、彼と一緒の時間を共有している楽しい時間なのに、せつなさが増せばどんな気持ちになるか。その気持ちが「戸惑い」なのよ。

 

 

恋も二度目なら 少しは器用に

甘いささやきに 応えたい

 

この二番の歌詞を聴いたとき、あれっ❗️❓️て私は思ったのよ。

 

 

「セカンドラブ」がリリースされたときのゆうちゃんじゃないわよ👋😁。当時はまだ10才だから。大学生のときのカラオケで女の子が歌ったときに。「セカンドラブ」をなんで選曲したのかは謎だが😅。

 

 

この歌詞に出てくる彼は好青年だと思っていたのよ。でも、彼女が「甘いささやきに応えたい」と思うということは、彼は彼女に甘いささやきをしているということよね🙄。

 

 

「どんな甘いささやきなんだろう。女の子に甘いささやきをするほど、結構イケている兄ちゃんなのかしら」って思ったの。口には出さなかったけれど😁。

 

 

その甘いささやきに対して

前髪を直すふりをして

うつむくだけなんて

という彼女の反応。

 

 

私には前髪がないけれど、前髪を直すふりをしてうつむいてみた。

 

 

う~ん🤔

 

 

彼女にこんな反応をさせる甘い言葉とはどんな言葉だろうか🙄。その謎を解く鍵は次の歌詞にあると私は考える。

 

 

舗道に伸びた あなたの影を

動かぬように とめたい

ここで時間は夕方で確定ね。明け方も影は伸びるが、それだと朝帰りになって、この純情でプラトニックなセカンドラブの設定としておかしくなる。

 

 

彼の彼女への想いと彼女の彼への想いの差から、デートまでいっていないんじゃないかしらって思うのよ🙄。

 

 

セカンドラブのリリース当時の中森明菜は17歳だから、学校帰りね。それに令和の女子中高生はこの歌詞は共感するかしらね🤔。

ちょっと疑問。

まぁ、男の子は基本ロマンチストだからこんな女の子に共感するかもしれないが😅

 

 

学校帰りの高校生の彼の甘い言葉は、「家まで送るよ」よ、きっと☝️😄。それに対して前髪を直すふりをしてうつむいたのよ。せつなくて。それで次の「舗道に伸びた あなたの影を動かぬようにとめたい」に続く。舗道に伸びた影を彼女が見ているということは彼のあとをついて歩いているのだろう。

 

 

👦「家まで送るよ」

👧「…。」うつむく

西に向かって歩いている。長い一本道の先には夕日がり、彼は自転車を引いている。その後ろを彼女が歩いている。彼の影を見つめる彼女は

👧(舗道に伸びた影をとめたいわ…。)

と思う。

 

 

そして1番の歌詞よりも過激になる

抱き上げて 時間ごと 体ごと

私をさらってほしい

 

 

「時間ごと体ごと私をさらってほしい」よ。

くぅ~😆。異性からここまで思われる男はどんな男だろう。

せつなさがクロスするさよならに

追いかけられるのイヤよ

 

抱き上げて つれてって時間ごと

どこかへ運んでほしい

 

せつなさはモノローグの 胸の中

とまどうばかりの私

 

 

家に間もなく到着するのね。その別れがせつない。

 

 

しかし、ここで「モノローグ」の胸の中という点に注目したい。

 

 

モノローグとは映画や演劇の登場人物の心の呟きのことである。心の呟きなので他の登場人物には聞こえない。しかし舞台とは別世界にいる観客にはその呟きは届く。

 

 

ここまで歌詞全体がモノローグだと言える。なぜなら彼には彼女の声が聞こえていないから。そして彼女は自分のこれまで呟いてきたことを「モノローグ」だといっていると言うことは、自分自身が映画や演劇の登場人物、いやヒロインになぞらえているのよ☝️😄。

 

 

だって自分の呟きをモノローグと言っているのだから。今の彼への想いを彼に伝えたい気持ちは当然あるが、観客となる誰かに聴いてもらいたいと言う気持ちも強く持っているものだとおもう。

 

 

だから、彼女が令和の世にいたら、ツイッターで自分の気持ちを吐露して「いいね」をもらっているんだろうなぁって思ってしまう私は意地が悪いかも😎。

 

 

さて、この「セカンドラブ」は中森明菜の3枚目のシングルレコード。デビュー曲の「スローモーション」、2枚目の「少女A」とセカンドラブの3曲の歌詞を順に解釈しないと、本当の解釈にはならないのだが、趣味で書いているブログで私にはそこまでの気力はない😅。

 

 

特に「スローモーション」と「セカンド・ラブ」は来生えつこ・来生たかお姉弟作詞・作曲である。この2つは連続していると私は考える。プロデュースは「少女A」と同じ人が「セカンド・ラブ」を担当している。

 

 

中森明菜は「セカンド・ラブ」にとても感動し、思い入れがあったらしい。

 

 

この「セカンド・ラブ」に出てくる女性は、恋愛にとても思い詰めるタイプだと私は思う。特に相手への一方通行の強い想いが思い込みに変わる危険性をはらむ。

 

 

恋愛、特に恋の段階では勘違いも大事。のぼせ上がることも大切。それが恋だから。しかし、どこかで「愛」に変えないと破綻することになる。

 

 

愛とは相手の負の感情も理解し、相手の幸せを優先するものだ。相手を好きであることと相手を思うことが別のものになって「愛」が生まれる。

 

 

好きで好きで真夜中に相手の家に行きなり行ってしまうとか、相手の帰宅を玄関前で待ち続けることをしてしまうと、どんなに相手を思っていても、相手は引いてしまう。

 

 

この「セカンド・ラブ」の歌詞で出てくる女性は中高生であろう。自分が相手を恋い焦がれていることが優先順位1位なのよ。これは幼い。

 

 

中森明菜の近藤真彦との恋愛の破綻は、どちらに非があったと安易には言えない。いや、どちらかと言うと私は中森明菜擁護派だ。

 

 

しかし、この歌詞に感銘を受け共感し、この歌詞に出てくる女性と同じようなことを思い続け行動に移していたならば、相手が重く感じ引くのも分かる気がする。

 

 

軽い男マッチでは彼女の破綻は必然だったのかもしれない。


(動画) 金屏風記者会見 近藤真彦 中森明菜 - YouTube

 

 

これまで松田聖子の「赤いスイートピー」とか👋😄

 

あみんの「待つわ」👋😁

を分析したわ。

 

 

ツイッターでも「#歌詞解釈講座」というハッシュタグをつけて、歌詞分析をしている。

 

 

この「赤いスイートピー」「待つわ」、そして「セカンド・ラブ」のブログを読んで、ゆうさんって恋愛の手練れなんて思わないでね😅。私は妄想家よ😎