つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

ブログは立ち止まって、ツイッターはながらの思いつき

ふとね🤔。

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こんなことを考えたのよね。

 

 

 

ツイートはあくまでも呟き。

 

 

 

ツイッターで口論をするのは野暮よね。いや、口論はどんな場合も野暮か😅。私も2年前までは、ツイッターをディベートゲームような感覚でやっていたから、野暮だったのよ。

 

 

 

あと、連投ツイートもなぁ🤔。

 

 

 

自分のツイートに返信してツイートし続ける。それは長い呟き😅。それだったらブログやれば良いと思う。

 

 

 

このツイートは掘り下げようと思えばいくらでも掘り下げられる。

 

 

 

言語論

ジェンダー論

認識論

フェミ論

理性と伝統

右翼と左翼

 

 

 

いや、挙げていったらキリがない。飛躍させればいくらでも語れる。少なくとも3000字は書けるかもしれないわ🤔。

 

 

 

いや、今回のこのブログだって、このツイートを素にして書いている。ツイッターとブログ論😄。

 

 

 

このツイートをして思ったのよ。

 

 

ブログは立ち止まりの思考。

ツイッターは歩きながらの思いつき。

 

 

 

あくまでも個人的な解釈よ😅。

 

 

 

ツイート的なブログも、ブログ的なツイートも、その本来の良さが活用しきれていないのではないかと🙄。

 

 

 

例えばブログ的なツイートってよく見かけた。特に政治アカだと多い。さっき挙げた自分のツイートに延々と返信するツイートね。思い付いたらすぐに公表したいという気持ちなのかしらね🤔。

 

 

 

ツイッターはなるべくワンツイートで完結するのが望ましいように思うわ😄。

こんなやり取りも気持ちが良いわね😄。

 

 

 

思ったことをその場で端的に言葉にする。昔なら、そういう人は「子ども」と思われていたんだろうけれど、思ったことを公表することによってリアルとなる。それって歴史的にはこれまでにない新しいことよね。

 

 

 

バスがなくなってタクシー代がもったいなくて歩いて帰っていたときのツイート。

ツイートするのもバカらしいんだけれど、こんなことを会社の職員に言ったら本当にバカよね🤣

 

 

 

これがブログだと、そのごみ集積場にいたる過程から始まり、何が物悲しいのかまで言及する。

 

 

 

う~ん🙄。ツイッターにわび・さびを感じているのかもしれない。

 

 

 

(短歌)

はたらけどはたらけど猶わがくらし楽にならざりぢつと手を見る

 

(和歌)

こちふかば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ

 

 

短歌って和歌よりよ直接的な表現を好む。直接的で力強い表現を好む時代もあるが🙄。

 

 

 

和歌と短歌を比べたら、和歌の方が婉曲的よね。

 

 

それが俳句なると、無駄を削ぎ落とし、十七音で表現する。わび・さびがある。俳句は利休の茶にも通じる。

 

 

そこでツイッターとブログの比較。

 

 

 

ブログは和歌とか短歌とは言えない。だって文字数が多いもの。

 

 

 

しかしツイッターは原則140文字の文字数制限がある。半角にすると280文字になるというがそれは野暮であろう😅。

 

 

 

短い文字数でいかに共感を得るのかというのもツイッターの醍醐味だと思う。

 

そしてブログの醍醐味は、文字数の制限なく言いたいことを言いきれることが醍醐味だと思う。

 

 

 

だから、ツイッターをやるかブログをやるかって自分の好みの違いだわ😄。両方するときは、特徴の違いを理解しすると楽しめるわね。