つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

SNSはオタク探し😎

多くの人は「言いたがり」だと思うの🤔。自分のことや自分が考えや自分が学んできたことを、周りに聞いてもらいたいと思っている。そんなのことを思っていないと思っている人も、深層心理では、「自分のことを言いたい欲求」があるんだと思う🙄。少なくとも私が今までに接してきた方には、そういう心理があった😄。

 

しがらみが沢山あるのだろう。しがらみ以上に、「相手が自分の話に興味を持ってくれるか」という問題がある😅。

 

部下が嫌う上司の三大話

①武勇伝

②子ども(孫)自慢

③お説教(持論の主張)

他にも、自分の趣味や特技の話をしても、「私は興味がないし~」と上の空で聞く部下もいる😑。

 

えっ❗️❓

私は❓って😅

 

私は人の話を聞くのは嫌いじゃないの。好きだと言えないところが微妙よね😁。話を聞きことをはっきりと「好きだ」と言えないのは、「自分の話をすることの方が好きだから」😳。

 

もう、10年近く前になるかしらね。たまたま電車に1時間以上乗り合わせた、私とあまり接点のなかった会社の年輩大幹部。電車の中で色々とお話を聞いたの。そしたら、翌日、その大幹部の方と仲の良い当時の私の上司に、「○○さんと飲みに行くのだが、『あなたも連れてきてほしい』と言っている。何か話しやすいんだって。」と言われたの😄。人の話を聞くのも楽しいのよ😉✨。

 

さっきの部下が嫌う上司の三大話や趣味・特技の話って、「承認欲求」の表れなのよ😊。これって人間には大切なことなの。

 

同じカテゴリーの者同士なら

「そうだよね~。」

「分かる。分かる。」

と承認し合えるじゃない😅。

そうそう、「オタク」という言葉は、これが由来だとも。「あら、『お宅』もですか。私もです。」ということだとか🙃。こういう、同じカテゴリー、言い換えれば、自分と共通した「オタク」を見つけることって、難しいのよね。それに見つかったとしても、お互いに言いたい者同士だから、なかなかバランスが取れなかったりする😣。

 

私も基本は聞き役で、自分のことを話すのは苦手なのよ。え~、そういうように見えないだって~❓ホントよ、ホント🤣。だから、「ブロ廃」「ツイ廃」なのよ😎。

 

ブログやツイッターなら、一方的に自分のことを話せる。特にブログは、言いたいことを出しきれる。出しきった後で、ブログを読んだ方からの反応がある。私は、私の意見に対する反論も、まずは善意と受け止める😊。その理由は、無償で私に何かを教えてくれるということだから。これは、上司が嫌われる三大話も同じ。たしかに私の時間は費やされるだろう。でも、その費やした時間を「浪費」とするのも有効にするのも、その人次第なのよ😎。

 

たとえば上司が武勇伝を自慢したとする。その武勇伝は自分では今まで経験できなかったことである。つまり、経験できなかったことを聞いたことで経験できたと考える。

聞いただけで経験していないと思う方もいるかなぁ🤔。それは間違いよ😊。経験は五感を通したもの全てを言うよ。「聞く」「見る」「触る」「嗅ぐ」「味わう」。そして体を動かす。少なくとも、耳の鼓膜を動かして、神経細胞を通って脳に行き、考え、そのあと話したり、さらに聞いたりしたわよね。立派な経験よ。私だっら、その武勇伝、エピソードトークに使わせてもらいますになるわ😎。それに、県公立高校の作文問題を見てね。作文の条件が「経験をもとに書く」なのだが、その注意書に「見たり聞いたりしたことも含む」ってあるのよ😁。

 

話が脱線するけれど、これが論理の1つ「引用」なの。「引用」を使って根拠付けるのは、自分の主張の権威付けなのよ。詳しくは、ブログの中の私の国語の持論をお探しください🙇。また書こうかしら🤔

 

話を戻すわ😅。私は余談も多いのよ🙇。ご了解ください😉✨

 

だから私に話しかけてくれるのは、まずは全て善意と受け止める。そして、それがいわれのない誹謗中傷であれば、その人から離れる。私はけっこうドライで、そういう人に自分のことを説得しない。誹謗中傷、小バカにしたり、レッテルを貼ったりする人に私について理解を求める時間がもったいないのよ。身内や周りの人なら別だけどね😅。

「あなたはこう考えるのですね、私はこう考えます。」「たしかにあなたがそう考えたことは承認します。しかし、私はこう考えます。」というスタンスじゃない人は、避けるか煽てておくのがベターよ。私は承認はよくするけれど、承諾はしないの。

 

私は勝手に発信している。興味がなければ、読まれなくても構わない。興味があって応答してくれた方は大切にしなくてはならないと考えるの😄。

 

私はSNSを使って、オタク探しをしているのかもしれない。「オタクもですか?私もです。」