つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

月がとても綺麗だよ🌙👩👨190219

妻よ。月がきれいだよ😳。

 

月は満月よりも、欠けた月の方が美しいと僕は思うの。貴女も共感してくれるかな。

 

人は満月にはなれない。欠けたところが人間味なの。僕が欠けた人間であることの言い訳に過ぎないのかもしれないけれど、それを言い訳であると責めないで😅。

 

人も人の世も、全て欠けたところがあるものだから。

 

満月は1ヶ月のうち、1日だけ姿を見せる。そう、28分の1しかないのよ。28分の1の天才。その天才であることを、全ての人に求めれば、自分が苦しくなるだけ。だって、完璧な人ではないのだから。欠けているからこそ美しい。貴女にも、そんなに私の感性に共感して欲しいなぁ😄。

 

かの藤原道長

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

と吟った。

 

でもね、道長は本当に満月が見えていたのか。彼は糖尿病だったとも。当時のお酒は糖分が多く、アルコール度数は低かったそうだ。だから、ガバガバお酒を飲んだのよ。そんなお酒、酔わないから。

 

当時の実力者が日記(小右記)の中で、道長のことを「飲水病(糖尿病)」と書いている。糖尿病になると喉が異常に乾くの。『御堂関白記』には道長は目を悪くしていたという記述がある。「二、三尺相去る人の顔も見えず」とある。糖尿病の症状。だから、道長は、望月(満月)が見えなかったとも。だってこの和歌の下の句を読めば、見えていなかったのよ。「欠けたることもなしと『思えば』」なんだから。彼は望月を見ているのではなく、思っているの。頭の中で思い描いているの。

 

歌の解釈も変わってくる。

 

「この世の中は一家三立后を叶えた私にとっては私の言いなりの世である。いわば欠けたところのない満月だ。そう、満月の欠けているところがないと思えば(目が見えなくても構わない)」

 

という強がりにも思えるか😔。あくまでも(  )の中は僕の解釈ね😌。

 

あの道長さえ、欠けたところがあって苦しんだのよ。凡人の僕は欠けたところばかりさ。

 

月の話で広げると、本能寺の変が起きたの新月の日。月は出ていなかったの。1日(ついたち)は必ず新月なのね。昔の月は、今より明るかった。だって、ネオンがないのだもの。だから、夜陰に紛れる新月の日を狙ったとも。

 

そう。新月は欠けた状態ではなく、見えないの。欠けているということは、欠けていないところもあるということなの。三日月🌙も上弦の月🌓も下弦の月🌗も、欠けたところがあるから、光るところが美しく見えるの。

 

満月は、美しい。

しかし、人間味のある美しさは、満月以外の月だと私は思う。

 

今日の月は満月だろうか。いや、満月の3日前の月なんだって。この美しい月も、どこか欠けているんだって😊。

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妻よ。今日の月も、とてもきれいだよ。理屈屋さんの長い能書きに興ざめかな❓写真では美しさが伝わらないね😅。

 

貴女なら僕の気持ち、分かるよね😳。