また会えるよね、きっと。~あの日は忘れられない~
私にとって忘れられない日は沢山あるわ😄
その忘れられない日の中で、「日付まで覚えている日トップファイブ」を挙げるとしたら
①妻と初デート(8月18日)
②結婚記念日(10月23日)
③息子の誕生(10月5日)
④父の死(4月20日)
と、あと1つ、このブログに書き残す日よ☝️😔。
前にブログに書いたが、今日は詳しく書き残しておこうと思う。
それは、今から30年近く前の1月4日の夜だった。
塾の正社員講師になって5年。この5年間ガムシャラに仕事をしてきた。会社の私に対する評価がとても良かったわ。
しかし、ガムシャラに仕事をした分、大学以前の友人とは疎遠になっていたの😅。
この忘れられない日の2年前の夏、私はお盆休みを使って、西日本を1週間旅行した。
O駅に着くと、そこに住む大学時代に大親友だった北畑(仮名)に電話をした。
「遊ばないか」とね😅。
関東にいるはずの私からの急な電話で彼は驚いていたが、快く会ってくれた。
彼は「ぼのぼの」という漫画に出てくるスナドリネコのような顔をしていた。
この右のキャラクターね😄。彼は小太りで猫みたいな顔をしていたのよ。イケメンだったわ。
性格が温厚で、大学時代、彼がいると人が自然と集まってきた。彼と一緒にいるだけで楽しかった。
会って話を聞くと、大学卒業後、ある資格の勉強をしていたが合格できず、就職することになったそうだ。翌年の4月から働くとのこと。
一日中彼と話をして、私は次の目的地に向かった。
その翌年の3月に、彼は東京に来ることになった。4月から公務員として働くことになるので、その前に大学時代の友達と就職祝いをするためだ。
しかし、私は仕事で彼に会いに行けなかった。
そして、その年の冬。
仕事納めをした12月30日の夜に、なぜか彼に電話をしようと思ったのよ😔。無性に彼と話がしたくなったのだが、仕事が終わった後、職場の仲間と飲みに行き、電話をすることを忘れてしまった。
年明けた1月4日。
仕事初めで、午前は小5と小6、午後は中1と中3の冬期講習会の授業があった。授業が終わり、教室を出て携帯電話を見ると、着信があった。
携帯電話に「北畑」の表示があった。
おぉ、そうだ、そうだ。昨年末、彼と話したい気持ちになっていたんだ。以心伝心ってやつかな~😁。
って、とても嬉しかったのよ。
直ぐに電話をした。
電話の向こうで「はい」と言う声がした。
私は「おぉ、どうしたい。またこっちに来てくれるのか。」と一方的に聞いた。北畑も私からの電話だと分かっているだろう。
「弟の健太(仮名)です。」
「えっ?」
「突然お電話して申し訳ございません。」
「えっ?そう言えば健太さんは東京で就職していたんですよね。どうしました?。」
「誠に申し上げにくいのですが…。」
健太は泣いている。
私の頭は混乱している。状況が全くつかめない。
「兄は昨日亡くなりました。」
「えっ…。」
「兄が生前お世話になった方々に電話をしています。」
「何て言ったら言いのか…。どうして❗️」
私は「御愁傷様です」なんていう形式的な言葉が出なかった。絶句だった。
「脳溢血でした。昨年末から、何か頭が痛い、痛いと言っていて…。」
悲しかった。
いや、悲しいというありきたりな言葉では言い表せない感情だった。
彼の葬式には行けなかったが、1ヶ月後に新幹線で彼の実家に行った。あの世にいる彼に書いた手紙を仏壇に置いて、手を合わせた。
彼にとって、私は沢山いる友人のうちの1人だろう。
私にとっては、数少ない友人の1人だ。それも大学時代の大親友だ。喪失感は大きい。
彼の父母の喪失感はもっと大きいだろう。
彼の父母に聞くと、彼の葬式には沢山の友人が集まったそうだ。それに驚いたそうだ。「こんなに慕われていたなんて」と。
卒業後の友人や、大学時代の友人が関東や九州など各地から沢山来たそうだ。就職先以外の友人が数百名、葬式に来たとのことだった。
母親が私に「わざわざこんな田舎に…。」と言うので、私は「いえいえ、こちらに出張があったもので」と、とっさに嘘をついてしまった。
もう20年が過ぎた。それでも私が1月4日を忘れないのは、悔いがあるからだ。
12月30日に電話をしていればよかったと。そうしたら彼の近況を聞いていただろう。体調も聞いていただろう。
「ここ1ヶ月頭が痛いんだが、頭を両手でギュット押さえると治るんよ。」
「それは不味いよ。医者に行けよ。」
「でも、正月だしなぁ。」
彼がヘビースモーカーだったことを知っている。それに入庁してハードな仕事だと聞かされたら、なおさら医者に行くように勧めただろう。
しかし、その様子は父母や帰省していた弟が見ていたはず。それで何も出来なかったのだから、私も何も出来なかっただろう。「気を付けろよ」と言うだけであったろう。
あのとき電話をしておきたかった。
大学時代に、彼のアパートによく泊まった。いつも汚くて私が少し掃除していた。家の中は無頓着だった。
その無頓着さが居心地良かった。彼の部屋で、万年ごたつを囲んで麻雀したり、鍋を突っつきあったり、お好み焼きを作って食べたりした。
妻の実家に車で行くときに、彼のアパートの最寄りの駅の前をいつも通る。大学生の私や彼が歩いた道をいつも通る。
私が彼に恋心があったわけでないだろう。
でも、彼が好きだったんだろう。
いや、これはある種の恋心だったのかもしれない。一緒にいて顔を赤らめるような恋ではないが、男が男に恋をしていたのかもしれない。だから喪失感が大きいんだ。
一緒にいるだけで楽しい奴だった。
私には後悔したことが沢山あるが、この電話一本をしなかったことが、最も大きな後悔だった。
友の死を題材にして、懸賞に応募するということに罪悪感がある。こんな懸賞に送らずに、自分のブログに残しておくか、心にしまっておくべきたと思う自分もいる。
「記憶に残っている、あの日」というテーマを見て、思い起こされたのが、友の死だった。
父の死が衝撃的なのは当然だが、自分より先に親が死ぬのは当然な気もする。
しかし、友が若くして先に死ぬのは…。
うまい言葉が見つからない。
親の死は時間とともに受け止めていったが、友の死はいまだに受け止めきれていないところがある。
この「記憶に残っている、あの日」という題を見て、1時間ほどで一気に書き上げた。
友よ。
あなたがいる場所はここから遠くて行けないが、このブログが表彰されたら、ここで2人で飲もう。あなたなら、笑って許してくれるよね。
そうか、あなたのあの出来事を、2年前にも1年前にもブログにしていたよ。
1年に1回、あなたのことをブログに綴っていたんだね。あなたと楽しい思い出が沢山あるはずなのに、思い出すのはあなたの死の連絡を受けた日のことだよ。
それが悲しい。