つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

中学校に通わないと宣言をした不登校革命家ゆたぼん~卒業証書を破り尾崎豊の「卒業」を歌うとは🤔~

尾崎豊の歌が好きだった。高校生の頃、よく聞いた。

 

二十代になっても聞いたなぁ😄。

 

15の夜、十七歳の地図、卒業、僕が僕であるために、I LOVE YOU…。

 

私が好きな歌は、Forget-me-notよ😳。私の結婚式で、友達にピアノで演奏してもらって、もう1人の友達には歌ってもらったわ😳。

 

これらの歌のタイトルを見ただけで、当時の若者、特にティーンエイジャーが共感する歌だということが分かるわよね。

 

行儀よくまじめなんて出来やしなかった

 

夜の校舎 窓ガラス 壊して回った

~卒業~

 

喧嘩にナンパ 愚痴でもこぼせば 皆同じさ

 

うずうずした気持ちで汗まみれになれ

 

くわえ煙草のSeventeen's map

~十七歳の地図~

 

盗んだバイクで走り出す いきさきも解らぬまま

 

暗い夜の帳の中へ

~15の夜~

 

大人は眉をひそめた。しかし、当時の若者の心をつかんだ。

 

当時この歌に共感した若者は皆、今でもこの歌に共感するのだろうか🤔。

 

例えば結婚をして子どもが生まれて父親になった人は、自分の子どもが、この歌詞に書かれてあるような子どもになってほしいだろうか。郷愁はあっても、ほとんどの人がそうは思わないと思う🙄。

 

若い尾崎豊が若者に訴えたから共感が広まったわけで🤔。

 

当時、中年が歌っても若者の共感を得なかっただろうし、ヒットしなかっただろう😌。

 

尾崎豊も二十歳をこえて、子どもから大人になった。しかし、26歳で不慮の事故で亡くなるのよね😔。大人といえども、まだ若かった。尾崎豊自身も、自分が作る歌と自分の年齢が解離し始めたことに悩んでいたとも聞いたことがある。だって三十路や四十路をこえたおっちゃんが、彼のような歌を新曲で出したら滑稽でしょ🤣。昔だした歌を歌うのなら、郷愁があって良いが。

 

さて、学校なんていらないと言って、小学生の頃から自分の意思で学校に行っていないというゆたぼんさん。彼は三十路や四十路をこえても同じ調子で同じ主張をするのかしら🤔。

 

これから書くことの前提は、こちらのブログね👋😔。2年前に書いたブログよ。最近、少し考えが変わってきたわ。

 

権利って放棄することを前提にしていないのよね🤔。

 

多様性を是とする社会では、学校ではないところでも、学ぶ機会を保障しなくてはならないということかもしれないなぁ🙄。

 

それにね。ゆたぼんさんを批判している人たちって、選挙に行っているのかしら?

棄権してはいないのかしら?🙄

 

政治になんて興味がないとか、予定があるので選挙に行かないなんて、テレビのインタビューに答えている人もいるわよね。投票率を見ると、半分に満たない選挙なんて山ほどあるわ😱。

 

選挙って、この民主主義の世の中を成立させる制度なのよ。唯一最高の制度だとは言えず、欠陥も沢山ある。

 

しかし、現代の民主主義の世の土台となる制度である。だから、選挙を棄権する人たちは、民主主義の土台を揺るがしていると考える。そして、その民主主義の土台を揺るがしている人たちは、ほぼ全員日本の学校制度の中で学び育ってきたものである😨。

 

「ゆたぼんが不登校を主張するのはけしからん」とか「不登校が増えると治安が悪くなる」と言う人たちは、選挙を棄権することも認めるなと言いたい。

 

そして、こんなにも選挙権を捨てる人がいるのなら、勉強する権利を捨てる人もいてもいいんじゃないかしら🤔。

 

どちらも良くないのは分かっているのよ。

 

ゆたぼんさんは「教育を受ける権利を捨てる」とは言っていないんだよなぁ。そう言っていたらごめんなさい🙇。「学校に行かない」と言っているんだけなんだよなぁ🙄。その点からすると、選挙を棄権する人よりはマシかも😌。

 

あっ、この主張は飛躍よ😎。でも、筋は通っているように感じるでしょ😉✨

 

ゆたぼんさんに関する記事を見る限りはね。

 

ゆたぼんのYouTubeはどうも見る気がしない😣。ホントはこれではダメなんだろうけれど。

 

どうもね…。これ以上書くと、問題だから書かないわ🙇。

 

学校に行かない=学習をしない

ではないわよね🤔。

 

それにね、自分が彼の父親だったら、どうするだろうか。

 

以前、ブログにこんなことを書いたわ👋

私があなたの父親だったら、


「そうか~。ロボットに見えたか~。あなたすごい視点を持っているよ。」


「学校は行っておいた方が良いよ。あなたが心の病を抱えていないのなら。」


「学校に行かないという選択肢もあるけれど、学校に行ってロボットにされないようにするにはどうすれば良いんだろう。」


「そもそもどんな宿題だったの?」

→ここでやるべき宿題だったら、叱り飛ばして終わりだな😎。

 

私から見ても、あなたがやる必要のない宿題だったら

 

「これを一律に機械的にやらされるのは、そりゃロボットだよ。じゃあ、パパと一緒に先生に聞きに行こうか?」

 

だよなぁ🤔。トコトン理詰めで先生を問い詰めるなぁ。それで埒が明かなかったら、宣戦布告だよ👊。だって、そんな宿題ごときで、自分の子どもの学校で学ぶ権利を奪われたらたまったものではない😒💢。YouTubeを使うよ。

 

親は葛藤があったかもしれない。

 

どうしても行きたくないのを無理やり行かせるか😣。学校に行かせようとはするだろう。それでも学校に行かないという決意が強かったら…。家で引きこもるよりは、YouTubeで活躍させる方が良いかもしれない。

 

でもなぁ🤔。

 

具体的にはわからないが、宿題による教師とのトラブルで、学校は必要がないと言う主張になるのは飛躍がある。ゆたぼんさんはYouTubeで「学校に行くな」とか「ロボットになるな」という発言を繰り返しているそうだ。

 

学校に行かなかった先を考えずに発言しているのなら、アジテーターに近い。

 

革命家を名乗り、学校に行くなと主張しているのだから、今の日本の学校体制を覆そうとしているのだろう。

 

「マルクスは破壊の天才ではあったが、建設の天才ではなかった。」という評価がある。「労働者よ団結せよ」とは言ったが、破壊した後、どうすべきかが漠然としていたため、その後の社会主義国は凄惨なものとなり、無惨な結果となった。

 

実際に彼のYouTubeを見ていないが、記事を読む限りでは、ゆたぼんさんは、「学校は意味がない」「学校に行くな」「ロボットになるな」と刺激的な言葉を発し、学校に行かなかった後を具体的に語っていないと思う。彼の父親もそれを示せていない。だからいまになってフリースクール何て言う話が出てくるのだ。

 

お粗末だよなぁ😣。

 

ゆたぼんがじゃないわよ、その保護者や東大出の脳科学者のことよ。そんな話は、彼が不登校になった時点で考えないと😓。

 

まぁ、究極的には私の子どもでないからどうでも良いが、彼の保護者は本当に彼の学力のことを心配しているのかしらと疑いたくなる。

 

私は、チューの課題を、まだ彼が一歳にならないうちに気づいた。

当然妻は反発した。そんなことを言う私はチューを愛していないんだと。

 

それは当然だろう。そんなことに気づく私がおかしいのだ。

 

しかし愛しているからこそ、気付き早めに対策を立て実行するのだ。四谷学院の学習セットで妻や私が教えたり、デイ・ケアや発達の塾に通わせたり、スペシャルオリンピックスに加入したりした。休みの日は私が教え、妻も日頃から彼の学習の面倒を見ている。小5のときには、すでに高校進学のことを考えていた。

 

ゆたぼんさんの保護者は、彼が不登校になって、その後のことを考え、具体的な手を打っているのなら、私がとやかく言う必要はない。どのような具体的な手を打っているのか興味があるが。

 

ユーチューブが具体的な手だと言うのなら、それは短慮だなぁ。私からしたら夢のような登録者数だが、これだけ有名になって登録者数が10万人だと言われている。

 

学校は行きたくないならいかなくても良い。でも、学んだ方が良い。自分の国のことを語れないと世界のそれなりの人とは渡り合えないぞ😄。

 

そうそう、ゆたぼんさん。YouTubeで卒業証書を破って、尾崎豊の卒業を熱唱したんだって🤣。よく歌詞を聴いてほしいなぁ。

 

あなたがYouTubeで卒業証書を破りながら歌う歌じゃないわよ。尾崎豊ファンの私からしたら尾崎を冒涜しているわ😓。まぁ、中学生に目くじらを立てないけれど、その背後にいる大人が浅はかよね。

 

尾崎豊の卒業の歌詞の意味、分かっていないじゃない。それとも尾崎豊を揶揄するために歌ったのかしら、それとも歌わせたのかしら🤔。

 

尾崎豊を揶揄する意味がないし、ほんと浅はかよね。

 

歌詞の解釈は余談だから詳しくは書かないわよ。

 

尾崎豊は学校に通ったのよ。

 

卒業の歌詞も、学校に通っていることが前提なのよ。

 

窓ガラスを割ったのは夜の校舎なのよ。

 

「人は誰も縛られた かよわき子羊ならば。先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか。」って意味分かるかしら🙄。その疑問の結果「俺達の怒り どこへ向うべきなのか。」という疑問にたどり着く。

 

この迷い。学校に通わなくてはたどり着かない人の境地を歌っているのよ。

 

あぁ、語りすぎた😜。

 

学校に通って精神を病むのなら通う必要はない。そして学びの場は小学校や中学校だけではなく、フリースクールや通信もあった方が良いし、学校以外の選択肢を増やす必要がある。

 

しかし、学校に行かないことを勧め、学校に行く人を小バカにしているのなら、それは改めた方が良い。

 

それと同様に、学校に通っていたり通っていた者が、学校に通えない人を見下すのもなくさなくてはならないと思う。

 

ゆたぼんさんは問題提起としては良い。

 

ゆたぼんさんやその親を批判するのも簡単だが、その葛藤を思いやると、何だか悲しくなる気持ちもあるわ。