つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

紙と鉛筆~物がない中で楽しさを作る~

なんかリアルすぎるのよね、最近のゲームは🤔。

 

私が35年前にはまったパソコンゲームは「信長の野望」。



初代『信長の野望』で上洛目指して奮闘中!【うどんの野望】 - YouTube


これよこれ😆。

 

尾張の一大名の信長になり、国を経営しながら、他国を攻めて、領国を広げ、天下を統一するというゲーム。初代は機内から関東までの17ヶ国しかなかった。

 

ゲーム画面は、きれいなグラフィックがなく、主に地図と数値データだった。

 

開墾したり、町を作ったり、兵を雇ったりしても、いや、戦闘シーンも、リアルな画像にはならず、数値が増えたり減ったりするだけであった。

 

しかし、そこが奥が深かったのよ。その不自由さがよかった。想像力も掻き立てられた。

 

今のゲームはリアルすぎる🤔。

 

リアルを追求するのは良いことという常識が今の世の中にあるけれど、粗さも良いのよね😄。

 

だって、この信長の野望は、私の一人遊びがゲームになったのよ。

 

どういうことかと言うと😅。

紙に日本地図を書く。

そこに戦国大名の名前を書く。

そして頭の中で、大名同士を戦争させる。

負けた大名の名前を消して、勝った大名の領地にする。

自分の名前もその地図に書いて、結局最後は私が天下統一をする💪😎。

 

いや、この妄想一人遊びを、小学4年生頃にしていたのよ😁。

 

今思うと、すごいでしょ😉。

 

ポイントは、頭の中だけではなく、地図を書いて自分の領土が広がっていくのが視覚で分かるところ😄。

 

その妄想遊びが、初代信長の野望では、地図のグラフィックあり、開墾や城下町の発展や戦力、忠誠心、能力が数値化されているものだから 、興奮したわ😆。

 

いや、この妄想遊びだけでも興奮したのに、それがテレビゲームになっているんだから、興奮マックスだった😁。

 

こういう一人妄想遊びって結構してわ。

これから紹介する相撲遊びもその一つ☝️😄。

 

大相撲の番付を紙に書く。

東横綱             西横綱

東大関             西大関

東関脇             西関脇

東小結             西小結

東前頭一枚目 西前頭一枚目

 

前頭は十五枚目~十七枚目ぐらいまである。

その下が十両。その下が幕下、三段目、序二段、最も下なのがち序ノ口。

 

物事の始まったばかりのことを序の口という。

「この練習は序ノ口だよ。これからが本番だ。」というのは、この相撲用語が語源だわ😄。

 

算数や国語のドリルの問題を7問、もしくは15問ずつに分ける。自分は序二段15枚目から始める。

 

7問全問正解すると、十両西15枚目に昇進する。そこから15問ずつにする。

 

勝ち越すと西15枚目なら東15枚目、東15枚目なら西14枚目と一つ番付を上げる。勝ち越した分だけ番付が上がり、13問正解以上だと私の独断で「優勝」とすることが出来、勝ち越し数の3倍まで番付を上げることができる。

 

例えば前頭で全問正解すると、8問勝ち越しているので、8×3の24ランクを上げることができる。

 

西前頭15枚目だと西前頭2枚目まで番付を上げることは可能だ。どこまで上げるかは私の気分による😁。

 

しかし、小結に上がるには、東前頭一枚目にならなければならないという制約を設けた。西前頭一枚目で全勝優勝しても、翌場所は東前頭一枚目である。

 

小結から関脇への昇進は13問以上、関脇から大関は3回連続13問以上の正解が条件である。大関から横綱は3回連続14問以上正解か2回連続全問正解が条件という厳しいものである。

 

負け越しすと、負け越した分だけ番付が下がる。大関は2回連続で正解数が10問以下だと関脇に下がる。横綱は2回連続で正解数が12問以下だと引退。東の正横綱で3回連続で15問全問正解をしてゴールとなる。

 

なんていう妄想ゲームをしながら、勉強をしていた😅。これがマラソンバージョンや野球バージョンもあるのよ。すごいでしょ😁。

 

今の子どもはある意味可哀想。

 

昔であれば、紙と鉛筆さえあれば、お金をかけず遊べた。

 

紙と鉛筆で「インベーダーゲーム」「陣取りゲーム」「戦争ゲーム」等々。自分でルールを作って一人遊ぶことも、複数で遊ぶこともできる。

 

外で遊ぶなら、広場さえあれば、色々なゲームをした。ボールがあれば無敵だ。

 

「ドロケイ」「色おに」「缶けり」「回り鬼ごっこ」「デメ」…。挙げていったらキリがない。

 

今の子どもの方が、ハイテクで昔の子どもよりも刺激的なことができる。

 

でも、昔の子どもの方が、ハイテクで刺激的なものがない分、紙や鉛筆、ボールや捨てた缶などを使って、創意工夫して遊んでいたんじゃないかなぁ🤔。

 

物がない中で楽しさを作る。それが生きることの喜びとなる。

 

与えられた楽しさに使っている子は、生きる力が弱いのかもしれない😔。

 

いや、この恵まれた環境の中で、創意工夫すれば、新たな楽しい世界を作ることができるわね😄。

 

しかし、それには恵まれた環境が必要だ。

 

昔なら紙と鉛筆があれば良い。

 

今はパソコン、タブレット、スマホ、Wi-Fi、といった高額な機器が必要だ。親が裕福ではないと手に入れられない😥。

 

子どもの世界を資本主義的食いもにしたものは何だろう❓️

 

超合金?

 

戦隊ドラマとおもちゃのタイアップ?

 

ゲームウオッチ?

 

ファミリーコンピュータ?

 

ゲームウォッチの登場がターニングポイントで、ファミリーコンピュータが、子どもの世界の資本主義化を加速させたと思う🤔。

 

ゲームウォッチは一人遊びが基本の電子ゲーム。それまで家でやるゲームはボードやカードが主流で複数でやるものだった。

 

ファミリーコンピュータはゲームセンターでやるゲームを家の中に持ち込んだ。そして、ハイテクを使って、リアルさを追求し出した。ドンドンドンドン刺激度を増した。

 

子どもは刺激のお化けと化した。

 

ネットに刺激され続けた子どもの話はこちら👋。

 

 

リアルなゲームを作った大人は、昔は私と同じように遊んだのかもしれない。それをグラフィックで仮想世界を作ったのよ。

 

それは素晴らしい。

しかし、その大人の作った世界で遊び続ける多くの子どもは、想像力に欠けてしまうのかもしれない。

 

想像力も創造力も😔。

 

ファミリーコンピュータは、私が小学高学年のときに登場した。

 

昭和は遠くなりにけり。遊びもお笑いも人情も。