私は塾で働くペーペーの正社員。
私の上司は女性の部長だ。少しクセがあるけれど、周りが言うほど嫌な人ではないと私は思っている🙄。
私がメインで担当しているのはA教室。もう1つ、運営者に任せて、時々私が行くBの教室がある。A教室もB教室も私が教室の責任者だ。
その日はA教室に出社して、授業するために電車に乗ってC教室に行き、そのあと保護者面談をするために電車を乗り継ぎB教室に行った🚉🏃♂️🚃。
部長への報告と相談があったため、B教室から部長に電話をかけた。
部長は開口一番
「あら、あなたに話すことがあってA教室に電話をしたところなのよ。そしたらB教室に行っているとのことだったから、今、電話をしようとしたところなのよ。以心伝心ね。」
とおっしゃった。
「そりゃ~◯◯先生と私ですから。」と言い返した😁。
さて、この会話から、私が何を考えたか🤔。
昭和臭が漂う会話よね😅。今じゃ、こんな言葉のやり取りも、「セクハラ」と言われてしまうんじゃないかしら🤔。
だって、これで私はセクハラなんて言われたこともあるのよ👋😲
教室で「バタン❗️」という物を落とした音がして、「キャッ❗️」という主婦講師の声がした😌。
その教室を覗きこんで、私は「か弱い悲鳴が聞こえたので」と言ったら、その主婦講師に「それ、セクハラですよ。」と言われたの😱。
普段、気安く会話をしている方だったので、この言葉にはショックだった😣。
異性に対して「以心伝心」😍。
私は、妻から「以心伝心」なんて言われたことがない😅。
それが畏れ多い上司の女性から「以心伝心ね」などと言われたら、勘違いしちゃうじゃない🤣。
って私は勘違いなどしないが、際どい言葉よね😁。
だって「以心伝心」って、心で以て、心に伝えるのよ。
ハート♥️とハート❤️よ☺️。絵文字にしたら「💞」となるわ。チャンと私が意図した絵文字が出ているかしら😁。
真面目に意味を書くと「文字や言葉を使わなくても、お互いの心と心で通じ合っているということ」よね。
「目と目で通じ合う~♪そうゆう仲になりたいわ♪無言♪いくじなしね~♪無言♪寂しがりね♪」
と言う歌があるが、「以心伝心」は目ではなく、心なんだもの。会っていなくても心で分かるってことよ😅
そりゃ、どんな異性からでも「心と心が通じ合っているね」と言われたら、アホな男は嬉しいだろう🙂🙃🙂🙃。いや、男同士だって嫌な気持ちにはならない😄。
でも女性はそうはならないのよね🤔。
「男性は~」とか「女性は~」という性差論を言うと、特に女性側から怒りの声があがりそうだけれど😅。でも、性による傾向はあると私は考える。
女性がキムタクから「キミとは以心伝心だね」と言われたらキャー😆だが、アンガールズ田中から「キミとは以心伝心だね」と言われたらギャー😱となろう。
この記述だって、問題があるのよ☝️😤。でも、それが分からない女性の方が多いんじゃないかしら🤔。では、次のように書き直してみよう。
男性が吉岡里帆から「あなたとは以心伝心だね」と言われたら嬉しいのは当然だが、◯◯◯の◯◯◯から「あなたとは以心伝心だね」と言われても嫌な気持ちにはならないだろう。
伏せ字にしたのは、書くと嫌な気持ちになる女性がいるから。
アンガールズの田中さんに対して「気持ち悪い」とうような表現には無頓着で、◯◯◯の◯◯◯さんに対しては敏感になる。
田中さんはそれを売りにしているからなぁ🤔。
でも、◯◯◯さんも、出始めはそのインパクトを利用していただろう🙄。だって両親からはブスと全く言われていなかったのに、NECで講師から「そのブスを利用した方が良い」と言われて自分がブスだと意識したというようなエピソードをテレビで話していたんだから😅。
あっ❗️特定しちゃったわね。
男性に対してよりも、女性に対してネガティブなことをいうことは配慮が必要だということよ。と言うことは、そこに性差があるってことじゃない😐️。
なんでもかんでも、~ハラという風潮が人を分断する。
パワハラについてはこちらのブログに書いたわ👋😤。食事会で「パワハラ」を連呼して、会の雰囲気を台無しにした、少しコミュニケーションに難のある大学生講師の話よ。
私の斜め前に座った職員が、隣の職員と話していて、その発言をパワハラ、パワハラってわめいていた。
「あなた、『パワハラ』の定義分かる?」ってたしなめようとしたが、言われていた方が大人の対応をしていて事なきを得ていた😁。
彼が考えるパワハラで言えば、他のいる人の前で、「パワハラ、パワハラ」言う方が「パワハラ」だろうと思って聞いていた😎。
職場から出た後の食事会で、「パワハラ」を連呼するのは無粋だなぁ😌。
確かに彼が言うように、そう感じたら、それがハラスメントになるという面もあるが、仕事が終わった後の食事会では、コミュニケーションで補わなければならない面もあろうになぁ😔。
昔だったら、その場で諌めていたのだろうが、諌めても、食事会の雰囲気が悪くなるからなぁ。周りが苦笑いしているのを気づいていないのか、彼の心には届いていない😣。
昭和はハラスメントに無頓着すぎたが、平成末から令和は、なんでもかんでもハラスメントにして、ギスギスしている。なんでもハラスメントにして、肝心なことには口をつぐむ。
飛躍するが聞いてね。これから書くことは、あくまでも「思索」であると念を押しておくわ。
人の性格は顔を見れば分かるよ。だから人相学なんていうものもある。人の顔や見た目を言ってはならないと言うが、その人の顔を見れば、悪いことをしたかどうかは、何となく分かるのよ。その上、あんな事情も抱えている。
もっと際どいことを書いたが消したわ。
ハラスメントが悪いのは大前提よ。でもハラスメントの線引きが難しい😣。ハラスメントかそうではないかの境界線って、結局ハラスメントを受けた側の主観なのよ。その主観は許される。
しかし、「疑惑ではなく事実だということはあの顔が物語っている」とは言えないんだよなぁ🙄。
まぁ、それは当然だが、疑問を持つのは良いわよね。常識を疑うのは大切よ😉。
セクハラの判定は主観が許されるのに、偏見という主観は許されない。
しかし、理性よりも経験則の方が正しいってことがあるのよね🤔。その経験則が主観とされて偏見と言われてしまう。
えっ❗️誰のことか教えてほしいだって😅。教えないわよ、そんなこと😐️。今の世の中では問題発言になっちゃうもの。
でも薄々「あぁ、あのことだな」って分かった人もいると思う。
と、何のことだか分かった人は、私と同じ偏見思考の持ち主よ。現代では偏見とされてしまうからね。注意してね。
当然、あの発言は偏見だと分かっているわよ😔。
私が言いたいのは、どんなに疑惑があろうとも見た目という主観では判断してはならないのに、ハラスメントはハラスメントをされたという主観が優先されるということに疑問を持ったということよ。
理性で考えると、人の顔で判断することは偏見になって不味いということね。
あの女性上司と私は相性が良いのかも。まぁ、あちらはそんなことは全く思っていないだろうが😅。
どうせガミガミ言われるから、彼女に判断を仰がずに自分の判断でやれば良いのに、私は電話で確認してしまうのよ😅。今までは勝手にやってきたけれど、今はあまり許されないから。
そんなことを話したら、同僚から「ゆう先生はマゾだなぁ」だってさ😅。
そうかもしれない。
昔、お偉いさんからも言われたことがないあるわ。
性差はある。その性差を語ると偏見だとか差別となる。性差をつけるのは主観であり、ジェンダーに引っ掛かる。
ハラスメントの境目は主観である。あくまでも「境目」よ。でも、この場合は主観の方が正しいとされる。
人を見た目で判断するのは偏見でありよくない。主観が否定されるのよね🤔。でも、人相学があるように、ある程度、経験則に沿ったものでもあるのよね🙄。
ここで、ふと思ったのは、「自分」じゃないかと🤔。
「自分の心が傷つくかどうか」が主観が認められる基準じゃないかということだ。
セクハラと訴えるのは被害者側だ。偏見を持つのは加害者側だ。
実際に性差はあるのに、少なくとも私はこの世に性差は存在するのに、その存在があるという見方を、ジェンダーという理性で否定する。性差があるという認識があることで苦しんでいる人がいるから。ここでは理性を優先する。
ジェンダーフリーとジェンダーレスの違いよね。私はジェンダーフリーは賛成なのだが、ジェンダーレスには違和感がある。理性の行き過ぎのように感じるの。
アメリカには、「オールジェンダー・トイレ」があるそうだ。性別に関係なく誰でも利用できるんだって。理性よね~🤔。