つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

歩きスマホはバカがする🐴🦌~そんな認識が常識になれば悲惨な事故はなくなるかも~

なぜかしらね🤔

歩きスマホは危険な行為だと分かっていながら、歩きスマホをする人がいなくならない。というか、スマホ所有者の8割は歩きスマホをしているんじゃないかしら🙄。

 

だって、駅構内で歩きスマホをしている人をよくみかけるのよ😣。

 

なんで、私がぶつからないように注意しながらよけて歩かなくてはならないの❓️。

 

危険な行為をしている人が優先なの❓️。

 

歩きスマホをしている人とぶつかったら、私も不注意だったということにされてしまうのよ。

 

何か腑に落ちないわ😣。

 

事故直前、警報音が鳴る中、スマホを操作しながら、踏切内に入ってきた女性。

 

遮断機が下りてきても、女性はそのまま、踏切の出口付近でスマホの操作を続けていたという。

 

そこで走ってきた電車にはねられた。

 

まだ警察が捜査中であるとのことだ。だから確定した事実ではないかもしれないが、ほぼ事実だろう。痛ましい事故ではあるが、歩きスマホをしていたんじゃなぁ…😣。

 

遺族の方に同情する😣。最愛の人を亡くしたんだから。亡くなった本人には、なんでそんなところで歩きスマホをしているんだよという怒りが先に来る😣。

 

どうしても、そこでスマホをしなくてはならない緊急の事情があったのかもしれない。

 

しかし、歩きスマホしながら踏切に入るなんて😱。

 

そして線路内で立ち止まってスマホをするなんて😱😱😱。

 

遮断機が降りて、自分は踏切の手前で立ち止まったと思っていたそうだ。

 

周りの状況を知りたい。

周りの人は気づかなかったのだろうか。

だって遮断機が降りて、電車が通過するまで数秒のタイムラグがあるはずだ。でも、線路に入って線路の真ん中で立っている人を救うなんていう度胸は私にはない😣。

 

これは不注意なの❓️。

いや無防備じゃないの❓️。

 

外を歩くときは、人が通れば車も通る。小さい子どもが横切ることもあれば、自転車が向かってくることもある。段差もあれば、溝もある。危険だらけなのよ。

 

裸でジャングルを歩いていて野獣に襲われたら、その野獣に襲われた人に同情するのかしら。それはバカだろう。

 

スマホに集中しながら外を歩くだけでも危ないのに、電車が止まらず突っ込んでくる踏切内の線路に入り、そこでスマホに夢中になって電車に跳ねられた人には、口では「お悔やみ申し上げます」と言うが、みんな心の中ではどう思っているかしらね😣。

 

これって不謹慎❓️。

 

不謹慎であろう。

 

不慮の事故にあった方にそう思うのは不謹慎であろう。

 

不謹慎だけれど、そう思ってしまう人がいるだろう。私はそう思ってしまう感情を、理性で抑えている。歩きスマホをしながら歩いて、線路に入って遮断機が鳴り、彼女は立ち止まった。自分は踏切の外にいて電車の通過を待っていると思い込んでいたのだろう。

 

コントだよ😣。

そういう風に思う人がいるのなら、なおさら、その遺族の方々に同情する。

 

通夜や告別式で

「私の娘はスマホに夢中で、踏切の外と勘違いして線路内で立ち止まり、電車に轢かれました。」

とは言えないだろう。

 

遺族は最愛の人を亡くした悲しみと、その亡くなり方の恥ずかしさでいたたまれない。

 

この記事によると、事故があった踏切で、スマホを見ながら踏切を渡る人が1時間で6人いたんだって😱。

 

不慮の事故でなくなった方に鞭を打ってはいけない。それは分かっている。私も気分の良いものではないわ😔。

 

でも、歩きスマホを厳しく注意しないからこうなるわけで。私は歩きスマホを取り締まって欲しいとまで思っている。だって危ないんだもの。

 

誰でもミスはする。そのミスで亡くなったのは痛ましい。でも、歩きスマホはミスなのかしら🤔。ミスではなく故意よね🙄。

 

危険だという認識はないのかしら。でも、駅を歩くと「歩きながらのスマホが危険だ」と耳にタコが出来るほどアナウンスしている。

 

この亡くなった女性が、そういうアナウンスを聞いたこともなく、歩きスマホの危険性を認識できないほどの能力の方なら、私はお亡くなりになったことに同情する。

 

しかし、うちのチューでさえ道を歩くときは注意して歩く。

 

躾けたのよ。

課題のある子だから。

 

4km先の小学校まで歩いて通った。特に小2~小4まではほぼ毎日歩いて通った。ワタシの仕事が忙しくなり、仕事に支障を来たすようになって、歩いて通うのが少なくなった。

 

なぜ歩いたのか。

体力作り、父子のコミュニケーションも目的であったが、交通ルールを教え込むためでもあった。また、危険を教えるためでもあった。

 

右端を歩く。交差する道は車や自転車が来ていないか確認する。車や自転車などの物音を意識する。等々。

 

体力もついたし、コミュニケーションも取れたし、注意して歩くことも覚えた。今では、信号が点滅したら横断歩道を渡らなくなったわ。だから、私が運転する車の助手席で、「信号が点滅してますよ」とか「黄色信号でよ」と指摘するのよ😅。

 

課題のある子だからここまで徹底したが、そこまでとは言わないけれど、踏切で歩きスマホをしないのは当然であろう。いや、どこでも歩きスマホをしないのは当然だろう。

 

これこそ「私だけは大丈夫信仰」だろう。そして歩きスマホは「衝動」ではないだろう。

 

歩きスマホで「私だけは大丈夫信仰」が横行するのは、歩きスマホに寛容だからよ。

 

歩きスマホをしている人にぶつかったら、どちらも悪いということになる。

 

歩きスマホをしている人がホームから線路に落ちたら、落ちないように駅側が対策を立てる。まぁ、これは駅も対策を立てないと、事故が起きて、駅に損害が発生するからでもあるのだが🤔。

 

何かね🙄。

 

歩きスマホに規制をかけたら、自由を侵害されるという考えもあるようだが、自由って自律心とセットなわけで。自律できないのなら、強権を発動しなくてはならないわよね。

 

亡くなった方には申し訳ないんだけれど、「歩きスマホはバカがする」という認識が常識になれば、こんな悲惨な事故はなくなるのかもしれないなぁ。

 

私はブログで歩きスマホに結構言及している。前は○○と伏せ字にした。しかしこのような他人に大きな迷惑をかける事故が起きるから、ハッキリと書くわ。「歩きスマホをする奴はバカだ」と。

 

今回は

電車の運転手は人が跳ねられるところを見ている。見たくもなかったろう。

 

踏切の周りにいた者も人が跳ねられるところを見ている。

 

人が跳ねられたところを見たら、夜も寝られなくなるだろう。

 

電車の利用客や踏切を利用する人たちは、この人身事故で予定が狂ったであろう。

 

凄惨な現場を清掃する人も大変であろう。

 

遺族や友達は、悲しみにくれるだろう。

 

そして本人は亡くなってしまったのよ。

 

亡くなった人含め、こんなに多くの人に迷惑をかけたという事実を、誰も指摘しない。

 

少なくとも、こんなにも多くの人に迷惑をかけたということをニュースで聞いたり記事で読んだりしていない。

 

「痛ましい事故」という言葉でお茶を濁す。

 

みんな好い人でいたいのよ。みんな好い人だから、危険な行為を見逃すの。いや、余計なトラブルを起こしたくないから、私も歩きスマホをしている人を注意しない😣。

 

このブログを読んだ方だけでも、歩きスマホをしなくなれば嬉しいなぁ。