つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

愛犬をペットロスの知人に譲ったというGacktさんのYouTubeが炎上しているようだけれど🙄~Gacktさんでも炎上するんだ😌~

Gacktさんの炎上しているYouTubeはこちら👋😓

 

 

ペットって家族なのかしら❓🤔

 

いや、家族と思うことは構わない。というか、私もペットを飼っていたときは、家族のように思っていた😔。

 

しかし、「ペットは家族である」ということを全ての人に押し付ける風潮に違和感を持つのよね🤔。

 

いや、ペットを飼ったら、大事にするのは当然だと思うわ😄。そして家族のように、子どものように慈しむのもよいと思う。でも、「ペットは家族と同じ」とか「ペットは子どもと同じ」という考えを、相手に押し付けるのはどうなのかなぁって思うのよ🤔。それはおかしいような気がするの。

 

今回のGacktさんが愛犬をペットロスの知人に譲り、その様子をYouTubeにアップして炎上している。

 

炎上することは理解できるが、「ペットは家族と同じ」という考えをGacktさんに押し付けていることが腑に落ちないのよね😔。

 

「炎上することは理解できる」とは、Gacktさんの今回の動画をYouTubeにアップすれば、「ペットは家族と同じだ。」「あなたのやっていることはおかしい。」と非難囂々となることは予測がつくということよ。

 

私は、「ペットは家族と同じように慈しまなければならない。」と押し付けることに違和感があるのよね🙄

 

うまく言えないんだけれど…。

 

家族、ここでは子どもとしよう。

 

「子どもを亡くして悲しみにくれている人に自分の子どもをあげますか。あげないでしょ。だから、自分が可愛がっている犬をペットロスの人にあげるのもおかしい。」というような意見を読んだ。

 

う~ん🤔

ペットの犬と自分の子どもって同列に扱えるのかしら❓

 

ペットを自分の子どもだと思うのは構わない。そう「思う」んだから、それはその人の主観であり、他人が立ち入るところではないわ😄。

 

でも、他人から見たら、飼い主の子どもではないよ。犬は犬よ。犬を子どもであると個人的に思うのは構わないが、それを事実とするのはいきすぎかも😔。いや、それを他人に押し付けるのは良くない。

 

飼い犬に対して飼い主がどう思おうとも構わないが、他人も自分と同じように飼い犬を子どもと思えというのは、自分の考えというか、感情の押し付けだろうなぁ。

 

ペットと子どもが同列ならば、子どもって愛玩なのかしら🤔。

 

ペットは愛玩を目的として飼育される動物よね。愛玩とは、大切にし、かわいがり、いつくしみ楽しむことなのよね🤔。それが目的で育てるのよ。

 

子どもは、大切にし、可愛がり、慈しみ、可愛がり、楽しむことを目的として育てるのかしら❓🤔。

 

いや、それは大切なことだけれど、それが目的じゃないような気もする。

 

可愛がることを目的として子どもを生むのかしら❓🙄。じゃぁ、子どもはペットであると言ってよいの❓🤔。

 

「ペットは子どもと同じ」と言えるけれど、「子どもはペットと同じ」と言えないわよね。ここにペットと子ども(家族)との違いがあるわ☝️😔。

 

ここで「同じとは言っていない」という反論もあるかも🙄。じゃぁ、言い換えるわ😅。

 

「ペットを子どもと同じように育てる」とは言えそうね。でも、「子どもをペットと同じように育てる」と言ったら、その意見に賛成の人はほとんどいないんじゃないかしら😌。

 

そう☝️😔

 

「ペットの家族化」って、「人間とその他の動物は平等である」という平等思想の行き着く先だと考えるの。

 

家族とは、夫婦やその夫婦と血縁関係のある人々の集まりのことよ。今は家族の定義が多様化して、精神的なものや感情的な家族もあるわ。このペットを家族として扱うのは感情的な家族になるかしら🙄。感情的な、言い換えると情緒的なものは相手に押し付けるものではないわよね。

 

人間と動物は平等ではない。動物愛護の精神と家族愛は別物だと私は考えるわ。だから、「ペットを子どものように育てる」は問題がないが、「子どもをペットのように育てる」には問題があるのよね。

 

ペットに対してはいつまでも子ども扱いできるが、自分の子どもをいつまでも子ども扱いするのは問題がある。

 

それに動物は売買できるが、人は売買できないわ。

 

Gacktさんの行為が許されないのなら、ブリーダーも許されなくなるのではと、ふと思った🙄。

 

いや飼い主とブリーダーは違うわね👋😅。

 

何が違うのか。

 

それは、飼い主は飼い犬に愛着を持つが、ブリーダーは売り物になる犬に愛着を持たないように、そして犬がブリーダーに愛着を持たせないように配慮しているだろう。

 

Gacktさんが生後5か月の飼い犬をペットロスの知人に譲ることの何が不味いのかしら🤔。

 

いや、私も感情的には受け付けない。でも、それは私の感情であって、Gacktさんの感情ではない。自分の主観を相手に押し付けてはならない。また、今回のGacktさんの行為は、非難轟々となる行為なのかしら❓🙄

 

犬を家族として扱うか、犬を犬として扱うかは人それぞれ。

 

それに彼は違法なことをしていない。彼は動物を虐待したわけでもない。彼は動物を捨てたわけでもない。

 

彼は自分の犬を自分と同じように育ててくれるであろう知人に譲ったのだ。「犬の気持ちを考えろ」とか、「犬を買って与えることだってできる」という人もいるそうだが、Gacktさんは「これは自分のエゴだ」と言い切っている。

 

さて、考えてみる🤔。

 

例えば、ペットに服を着せている人がいる。それはペットの気持ちを考えていないと非難轟々とはならないわよね🙄。これは飼い主のエゴかもしれない。服を着るのをペットが嫌がっているかもしれない😅。

 

そのエゴは許せて、Gacktさんのエゴは許せないというのは、私はそれこそエゴだなぁって思ってしまう。

 

違法でなければ、それが自分の倫理と相反しても、相手のその行為を承認するのが道理じゃないかしら😄。承諾しなければ良いのよ。違法じゃなければ何でもしてよいというわけではないけれど、なんだかGacktさんを叩きすぎているような気がしたの。

 

Gacktさんにとっては、悲しんでいる友人のために、庭の花を渡すくらいの感覚だったのかしらね🙄。愛犬と別れて悲しいねとは言っているけれど。

 

植物には感情はないが、動物には感情があるからなぁ🤔。ペットロスの人の気持ちには寄り添えても、ペットの気持ちには寄り添えない方なのかもしれない。

 

それならそれで良いんだけれどね😔。

 

いや、それは私の一方的な見方である。里子に出しても良いような飼い方をGacktさんはしていたかもしれないし。

 

音楽など演出して、自分の飼い犬をペットロスの友人に与えるのをYouTubeにアップするのが気持ち悪いと言った芸人がいた。

 

SNSを利用する人は、私も含めて承認欲求の塊である人が多いんじゃないのかしら🤔。それに広告収入があれば、なおさら演出もするだろうし、こんなことをする俺って素晴らしいでしょってネットに投稿するんじゃないかしら🙄。

 

あの行為が気持ち悪いのなら、ブログやツイッター、Tik Tok、YouTube、全て気持ち悪くなっちゃうかもしれないわね😅。

 

Gacktさんの気持ちを推し量ると、「俺ってマジ良いことをした。みんな、見て!見て!」って、思いながら、動画を編集し、選曲しYouTubeにアップしたのかもしれないわ😌。だって、badがほしくてYouTubeにアップしたようには思えないから。

 

想定外にバシバシ非難が殺到し、炎上して、Gackt様は、「売られた喧嘩は買ってやるぜ~💢」となっちゃったのかしらね😱。

 

私は喧嘩を売っていないわよ~😅。

 

YouTubeの内容が悪ければ、「👎bad」をみんなで押しておけば良いだけの話なんじゃないかしらね。

 

でも、SNSやYouTubeをしたり見たりする人は、私も含めて言いたがりだからなぁ😅。