つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

小中学生の保護者の方々へ「自立の道は一本道ではない😄」~子育てと教育と🤔~

今までためていたストックブログを継ぎ合わせてみたよ😄。私の主観的な考えも入っているから、「あぁ、そんな考えもあるのね~」くらいに読んでもらえたら嬉しいわね😆

 

 

現在の日本の教育制度について考えてみる🤔

 

①学年制

まず、学年制よね🙄。

 

ある年齢になれば、この単元を理解できるはずということでカリキュラムが組まれる。

 

また、4月2日生まれから翌年の4月1日生まれまでの1年間をひと括りにする。

 

これって無理があるわよね🤔

 

まぁ、制度にすれば必ず欠点ができる。その欠点を補うだけのメリットがあれば良いのよ。

 

この学年制のデメリットは言うまでもないんだけれど、書いちゃうね😌。

 

発達は子どもによって様々。同じ日に生れた子どもであっても発達の仕方は異なる。それに子ども自身の中の発達も、凸凹しているはずなのよ。

 

言葉の覚えは早いが、運動関係の発達は遅いとか。1人で行動するのが得意だが、集団行動が苦手だとか。発達は凸凹して当然なものなのよ😄。

 

これを、その年度にこの年齢になる生徒は、その単元を、その授業で理解しなくてはならないって無理があるわ😣。

 

例えば算数の引き算を小1の6月に習うとしよう☝️😔

 

その6月にすでに7才になった子どももいれば、3月に6才になったばかりの子どももいる。50才と51才の1年の違いは大したことはないが、6才と7才の違いは大きいわよ😨。だって現実的に4月1日に生まれた子は1学年上になり小学校でカリキュラムに沿って学習し、4月2日生まれの子は幼稚園でお遊戯をしているのよね😱。

 

1日の差が1年の差となるって理屈で考えたらおかしいし、1学年上のことをしている子どもは無理をしているとも言える😣。

 

また、学年制は同世代の人の世界で育つことになり、異なる世代の人との付き合いが少なくなる。1年~3年の違いは、学ぶ面では大きな違いだが、社会生活においては同世代と私は考える🙄。

 

昔は3世代同居で大家族であった。学校は同世代だけのコミュニティーであっても、プライベートでは異なる世代の家族が同居していた。いや、家族だけではなく、隣近所との付き合いが異なる世代とのコミュニケーションを養っていた。それが現代では希薄だ。

 

学校も部活も放課後も同じ世代や同じ年齢でつるむ。自分の世代の価値観が絶対であると言う中で育つ。これは大人社会でも言えることなんだが😌。

 

学年制には、そういったデメリットがある。そのデメリットを補うだけのメリットは何か❓🤔

 

それは、「効率化」「規格人大量生産」よ☝️😔。

 

この「効率化」と「規格人大量生産」は、学ぶ人のことは考えていない。あくまで教える側とお国にとって都合のよいだけ。

 

えっ❗️❓。

 

大学入試に向けて、効率的に学ぶのは本人のためだって😅。

 

いえいえ、本人のためではない。もっと厳密にいうと子ども個々の発達と理解に配慮したものではない。大学入試改革をして、高校の勉強も改革して、そうしたら、中学も小学も改革しなくてはならぬ。

 

これって、私はおかしいと思う。

 

だって大学に進学しなくても良いと考えている子やその保護者もいるわけで。

 

猫も杓子も頭が良い子もそうでない子も大学に進学するようになった弊害は、どんな子も希望をしていなくても難しい内容を学ばなくてはならなくなったということよ。どうしても理解が追い付かない子は、そこで劣等感を持ってしまう。いや「なにくそ」とそれをバネにする子ならよい。しかし、そんな子ばかりではない。

 

簡単なことだけをやれば良いと言っているわけではない。負担を強いすぎるなと言うことよ。

 

いえね。伸び伸びとした教育の中で、難しいことを難しく感じさせない工夫をする教育だったら、子どもにドンドン難しいことをさせれば良い。

 

しかし、日本の教育は重箱の墨を突っつく、減点教育。そんな害悪教師はいたるところにいらっしゃる😥

 

日本の重箱の隅を突っつく、減点方式の教育に、さらに負荷をかけたら、こどもの心はストレスでズタズタになる。
 
だって、今回の中1の期末テストで、「N」の字が少し斜になっているということで、バツなのよ。バツ。
 
この採点をした先生は頭がおかしいんじゃね。私がその解答用紙を見ても、これはバツじゃないよ。これは相手の粗探しをするコミュニケーションに難あり教師。そんな教師に、英語でのコミュニケーションを学ぶという非条理😱。

 

これじゃ、精神的に病む子どもが多くなる。韓国や日本で自殺する若者が多いのは、歪んだ教育制度であると考える。

 

2つ例を挙げよう☝️😔

 

1つは、私が住む県公立高校の高校入試について。

 

国語の問題の文字数は私の頃は5000字程度だった。それが今は11000字よ😱。書く文字数も私の頃は作文を抜いて100字弱だったのが、今は200字を越えるのよ。読む量も書く量も倍よ倍😱。内容も高3生でも難しいものよ。哲学や経済学、芸術論が出題されるのだから。

 

これを偏差値70を越える高校も偏差値30台の高校も同じ問題である。そして、問題のレベルは上に合わせている。

 

偏差値30台の子どもを持つ保護者は、お金を出しただけ成績(偏差値)が上がると信じている。

 

ビリギャルがいる。

偏差値30台から逆転した者もいる。

 

しかし、そういう人がもてはやされるのは、そういう逆転することが稀なケースだからであると思わない。

 

塾なんてイメージ商売よ😥。保護者や生徒はうまく利用すれば良いのであって、何から何までお任せとするのは親の教育放棄であると私は考える。

 

良い先生に巡り会えた。

それはラッキーよ。

 

だってそのよい先生が、他の人にとっては良い先生ではないことは多いのよ。

 

話がそれたわ🙇。

 

2つ目は私の住む県内の私立高校について。昔は多種多様であった。

 

洋裁学校もあれば自動車学校もあった。スポーツが盛んな高校もあれば調理学校もあった。偏差値が低い生徒を受け入れて、のどかに育てる高校もあった。

 

それが全て進学重視の高校となり、猫も杓子も附属の中学校を作った。学校名を変えてイメージをかえて、入学の基準を高くしたわ😌。偏差値50未満はなかなか入学出来なくなった。

 

そうそう。埼玉の私立高入試って北辰という一業者の模試の偏差値が合否の基準になるというおかしな入試制度なのよ。

 

業者側は入試の基準になっているとは公式に認めてはいない。高校側も公にはしない。これ以上書くのはよしておこう😌。

 

高等教育って本来選ばれた子どもが行くところだから、学力の低い生徒は行けないのが本来の姿かもしれないんだけれど、多様性を求める教育が、社会のニーズによって没個性になってしまったなぁって思うのよ🙄。

 

②普通科教育

現状の教育についての課題を書いたブログはこちら👋😔。

何度も私のブログに出てくる私の主張。このブログは何度もリンクさせているわ。普通科教育に関するところを抜粋するわね。

そういう大量規格品生産工場型教育を、普通科教育の教育方法に採用しているのが日本だと理解している。(普通科教育の厳密な定義は置いておく)。この「普通」という言葉のチョイスが良くない。普通とは広く通用する状態のこと。日本人は「普通」≒「みんな」ととらえ、普通でないと異常とらえる。没個性、みんな一緒でなければならないと思ってしまう。普通科教育を「普通の子が学ぶ教育」と誤解し、普通科にいないとダメだと親は判断する。普通科教育は「広く通用する科目」を教えるという意味であり、決して普通の子が受ける教育ではない。ここを親が誤解すると子どもに悲劇が生まれる。だって普通の子って、私はよく分からない🤷‍♂️

(つれづれなるままに「普通に拘らない」)

 

そうなのよ👋😔。

普通教育を普通の子どもが受ける教育と勘違いしている保護者はかなりいるのよ。

 

ホント、この考えが子どもを追い詰めるし、保護者自身も追い詰める😣。

 

教育の目的は「自立」だ。社会に出る(自立への)道は一本道ではない。子どもと親は別人各である。

 

確かに親の価値観でどの道を選ぶかを判断するであろう。しかし、その判断は、自分の価値観での判断であることを認識し、本当にその子のためになるのかという、自分の価値観から離れて考える必要があるわ😄。

 

私のチューへの接し方も、そうだ。

 

チューがまだ1才にもならないときに、かれの課題に気づいたのは私だ。妻には「あなたは自分の子を愛していないから、そんなことが言えるんだ」と言われた。しかし、「愛しているからこそ、耳に痛いことを言うんだ」と私は言い、大喧嘩になった。

 

チューが2才のとき、発達の検査をさせた。漢方の病院にも通院させた。四谷学院の通信教育もさせた。休みの日は色々なところにつれ回した。スイミングは続けられなかった。幼稚園は年少で退園した。

 

幼稚園ではすったもんだがあったわ。イベントのある日になると、登園後「熱があるので迎えに来てください」と言われるようになった。

 

面倒を見きれなかったのだろう。

 

妻が気に病んでいたので、私が園長にかけあった。「早退を促される日とイベントの日が常に一致している。私どもも補助の先生をつけていただいていて迷惑をかけている。手に負えないのならおっしゃってください。」

 

園長先生は「そんなことはない」と否定した。

 

その日、妻がチューを迎えに行くと、学年主任の先生が妻を「心外です。」と他の保護者がいる前で詰った。

 

私は次の日、「妻が思い詰めているので相談しにいった。その保護者に対して多数の人の前で『心外です』と詰られることが心外です。」というような内容の手紙を出した。その日の内に謝罪に行くという電話をいただいたが、妻に「分かっていただければ、来ていただく必要はないと断れ」と伝えた。

 

課題がある子を育てるのも、色々と軋轢があったのよ😌。

 

年中から療育の保育園に行かせた。それを園長先生に伝えたとき、「3年間お預かりするつもりでいました」と言われた。話を聞くと、社交辞令ではなく本気だったようだ。

 

しかし、丁重に断った。

あわよくば幼稚園は卒園させたかったけれど、どう考えても当時のチューには負担が大きかった。また、課題を抱える子への理解が職員に乏しいし、保護者は理解がない。

 

いや、私は彼らに強制的に理解してもらおうとは思わない😔。だって、普通級ってそういう場所なんだもの。普通級に通って、特別支援を受けようとは思わない。支援を受けるなら、特別支援学級か特別支援学校に入れる。

 

さっきの私の話を納得いただけたかしら😎

大量規格品生産工場型教育を、普通科教育の教育方法に採用しているのが日本だと理解している。

もう少し引用するね😅

工場では
生産工程に従って、ベルトコンベアで運ばれてきたものに手を加えていき、規格品が大量生産される。

 

学校では

カリキュラムをもとにシラバスを作り、そのシラバス通りに授業を受ければ「規格人」が大量生産される仕組みだ。ベルトコンベア式の教育と呼べる。

 

私は、チューが「大量規格品生産工場」に入れたら耐えられないと判断した。

 

彼が大人になったとき、この判断を恨むかもしれない。その恨みを他人のせいにしたくはない。「先生が勧めたから」とか「専門家に言われたから」ではない。私が親として腹を括って決断したのよ。

 

そんな規格品生産工場に入れて、オーダーメイドにしてくれって言うのは、自分勝手なんじゃないかと私は思うのよ。そこに入れたのなら、カリキュラムというベルトコンベアに理解が追い付かなければ、保護者がなんとかするべきなのよ。

 

塾にも頼れないわよ。

大手の集団塾は当然ながら、大手の個人塾もそういう子に対応できないもの😔。

 

チューは支援級に入れて良かったと思っている。なぜなら、そういう課題を持った人たちとのコミュニティーに入れたから。

 

「支援級だとつきあいの範囲が狭まるから、社会に出てから大変にならないか。」と知り合いに聞かれたことがある。

 

私は笑って答えた😄。

 

「うちの子が普通級に通ったら、いわゆる普通の子達のコミュニティーには入れないだろう。また、カリキュラム通りに理解が進まないから、劣等感を持っただろう。普通級という選択を保護者がしたのだから、その普通級の中で支援を受けるという考えは私にはない。普通級を選択したら付き合う人がおらず、かえって付き合いの範囲が狭まっただろうなぁ。」ってね😅

 

それにこうも付け加えた。

「私立の学校に通う子も付き合いの範囲は狭いよ。同じような家庭環境で育った同年代の子どもとしか付き合っていないんだもの。それでも社会の中で生きていける。支援級に通ったから社会に出て困るということはあるだろうが、人との付き合いにおいてはないと思うなぁ。」

 

これから、チューがどうなるかは分からない😌。

 

しかし、今はうまくいっている。

 

保育園に通っている頃のチューを知っている人達が、皆、驚くのよ。「あの子が本当にチューちゃんなのかしら」と。

 

それに私よりチューの方が顔が広い。下は小1から上は高校生まで。同じような課題を抱える子達だが、付き合いの範囲は私より広い😄。

 

 

とね…。

自分の子育て自慢と教育について親バカに書いてきたけれど、皆さんの感想は如何かしらね🤔。

 

これは、「私の育て方が1番良い」と言っているわけではないのよ👋😅。色々な育て方や選択があって良いのよ。そして、子育ての中で、親はその時その時で、その時に子どもにとってベストではなくベターな選択をしても良いもいうことなの。ベストに越したことはないが、ベターで良い。間違っていたと気づいたら、修正すれば良いのよ。

 

私はチューの性格や課題、普段の様子を踏まえて決断したまでで、チューでなかったら違う判断をしていたかもしれない🤔

 

ただし、私はこの3つは正しいと言える。

 

1.自立の道は一本道ではない。

 

2.保護者は子育てを他責にしてはならぬ。

 

3.親自身の価値観にとらわれず、その子にとってその時に何が最善かを考える。

 

この3点を押さえておけば、その子育て選択を他人にとやかく言われる筋合いはないわよね😎。

 

そして、最後に。

たくさん日本の教育の問題点を挙げてきたわ。いや、ここに書ききれてはいない😔。

 

昔、知り合いに、こんな日本の教育の問題点を話したところ、「じゃぁ、どうすれば良いのか」と私に尋ねた。「結局現実がそうなんだから、どうしようもないじゃないか」と言った。

 

「そうだよ。力のない僕にとっては言っても仕方のないことなのかもしれない。しかし、少しでも多くの大人が、そういった現実を知れば、その息苦しい現実の中で生きている子どもに対して投げ掛ける言葉が変わってくるんじゃないのかなぁ。」

 

「『何でできないの。』『こんなミスをして。』『いくらお金をかけたと思っているの。』『お兄ちゃんはあんなにできたのに。』『(70点をとった子に)ぜんぜんできていないじゃないか。』何て言う言葉を子どもに投げつけることが少なくなるんじゃないかなぁ。」😅