つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

人を傷つける笑いは淘汰される~ブスいじり・デブいじり・ハゲいじり~

誰もが不愉快ではなく、優しい社会って理想的なのかしら🤔。久しぶりに「アメトーク」を見て、そう思ったよ。

 

女芸人の特集だった。

そこで気になったのが「見た目インパクト芸人」という言葉。「ブス」の言い換えであるそうだ🤔。

 

また、今までなら「ブス」とか「デブ」といじられるのに、最近は「カワイイ」と言われるそうだ🙄。

 

確かに私も「ブス」や「デブ」といういじりは、好きではないわ✋😔。

 

でも、それを「見た目インパクト」とか「カワイイ」と言い替えるのにも違和感があるのよね😌。

 

笑いって、どこか「ブラック」な部分が入るのよ。そのブラックな部分がドンドンと削ぎ落とされ、マイルドになったものが楽しいのかしら🙄

 

結局は言葉狩りなのよね。次には「見た目インパクト」とか「カワイイ」が言葉狩りに合うかもしれないわね😨。

 

と考える一方で、テレビって公共の電波なのよね。

 

「なら、見なければよい。」等とほざく毒舌芸能人がいる。

 

民放も公共の電波よ。

 

公共って公(みんな)のものとして共有することよね。それで「見なければよい」って言うのは、その「公共」に反するのよね。公共物は「目や耳に入ってきて不愉快なものは見なければよい」ではなく「不愉快なものは目や耳に入らないように配慮する」ことが優先されると私は思うのよ🙄。

 

「ブス」と言われて喜ぶ人はいない。喜ぶ人がいるとすれば、それが金になるからだ。金にならなくて「ブス」と言われて喜ぶ人はごく少数だろう。マゾっけが強い人かしら😅。「デブ」だって「ハゲ」だって、言われて喜ぶ言葉ではない。

 

テレビは公共性の高いからコンプライアンスが厳しいのだろう。だから、それが緩いYouTubeに芸能人が流れていくのかもしれない。

 

しかしなぁ🤔。

テレビに規制をかけ誰も傷つけないものにしていくのなら、政界も経済界も教育界も弱者に優しく、傷をつけないものにしていかなくちゃいけないんじゃないのかなぁ。結局はこんな話になってしまうんだけど😌。

 

世間は人に優しくと言いう。

 

一方で、モリカケは解決したことと言い張る政治家。

パワハラをした部活の顧問や指導者は、不問とされたり、パワハラはなかったことにされたり。部員に暴力行為を教唆した疑惑は有耶無耶よ😥。

 

「言葉」の取り締まりをするのなら、こう言った、いわゆるお偉いさんの行為も厳しく取り締まってほしいわ~😣。

 

「ブス」や「デブ」いじりで笑いを取るのは、私も反対よ✋😔。

 

でも、考えちゃうのよね🤔。

 

やはり、人に好かれる顔や容姿と、好かれない顔や容姿ってあるのよね。話し方も考え方も、好かれるものと好かれないものがある。

 

頼まれてもいないのに、それを指摘する必要はないということかしら🤔。

 

あぁ、そうか☝️😄。

「ブスだなぁ」ってみんなが思っていそうでも、口に出してはいけないということね。「あいつ、腹が出ていて健康管理ができていないなぁ」と皆が思っていそうでも、それを指摘しちゃダメなのね。

 

弱いもの、醜いものは淘汰されるのは自然の摂理。人間は、その摂理に理性で抗っているのね。

 

そうか💡✴️🤔。

 

ブス(男女問わない)を見て、からかったり、蔑んだりするのは、人間の動物としての本能なのよ。

 

暴言だけれど、「ブス」とか「バカ」とか「デブ」って自分と異質な者に対する言葉よね。少なくとも、そう思っている人にとっては異質なのよ😔。

 

同質なものに人は笑わないわ。異質なものを笑うのよ。デフォルメすると笑いが起きるのは、その異質性が原因かも🤔。さらに考えると、その異質性に、共感したり、同一性を見いだしたりすると笑いとなる。

 

たとえば、ものまねよ🤔。

 

あまりにも似すぎると笑いにはならない。ものまねで笑いにするには、似ているが似ていないという微妙なバランスが必要だ。

 

自分にとって異質だと感じたものに優しい心を持つには、理性が必要だ。

 

理性とは、素直な気持ちを押さえる働きを持つものなのだろう。

 

「権力を持ちたい」「金がほしい」「良い女を抱きたい」、と言うと、眉をひそめるだろう。でも、それが動物としての人間の欲に素直であるとも言える🤔。

 

「お前はブス(ゲス)だ。」「お前はデブだ。」「お前はバカだ」と言うと、それは誹謗中傷となるだろう。しかし、この発言はその人の主観に素直なものだとも言える。

 

そうか😔。

この「ブス」や「デブ」いじりは、誹謗中傷であり、いじめや差別に繋がるのか🙄。これは不味いだろう。

 

理性で考えなくて、人間としての感情で、「ブス」や「デブ」や「ハゲ」といった身体的特徴を揶揄することに嫌悪感を持たねばならない。これは理性ではなく、人間としての感情でも拒絶せねばならないものだろう😔。

 

誰もが不愉快ではなく、優しい社会は理想的だが、それは実現しないであろう。劣るもの、異質なものを小バカにし、ときには排除しようとするのも人間社会だから。

 

だから、小バカにしたり、排除しようとしたりする者が目の前に現れたら、拒絶しなくてはならない。

 

結論にいたるのに、なんか遠回りしたなぁ😅