大切な夏~日本人にとっては暑い夏以外あり得ないのかも~
風が涼しい。肌で秋を感じる。
そうだよ。暦の上では立秋だよ。若い頃は、8月上旬に秋を感じることはなかった。それだけ年を取ったということだろうか。昔の日本人の感覚に近くなったということだろうか。
暑さの中に、涼しさを感じる。日本人の四季感覚はここに象徴されていると私は思う。
春の暖かさの中に夏を感じ、秋の涼しさの中に冬を感じる。そして、冬の寒さの中に、ほらもう春だよと思う。気が早くせっかちにも見える。しかし、これは日本人の五感の鋭さなのだろう。
夏に涼を求める道具は、五感に訴えている。
【視覚】
金魚を飼うというのも、夏に涼を求めてだろう。夏祭りで金魚すくいが出店される。水の中に網を入れるという行為も涼しいが、小さなビニール袋に水と金魚を持ちかえり、家の水槽に入れて金魚を眺めるのも涼しく感じる。
【聴覚】
風鈴や虫の音が当てはまる。風鈴のチリンチリンという音を聞いて、風を感じる。風の涼しさを感じるのは、肌だけではないのだ。そよそよとした、肌で感じにくい風を音で聞くのだ。考えてみると、とても鋭い感性である。
あれ 松虫が鳴いている
ちんちろちんちろ ちんちろりん
あれ 鈴虫も鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああ おもしろい虫のこえ
きりきりきりきり こおろぎや
がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああ おもしろい虫のこえ
ちんちろちんちろ ちんちろりん
りんりんりんりん りいんりん
きりきりきりきり
がちゃがちゃがちゃがちゃ
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
虫の音は異文化の人にとっては騒音でしかない。いや~、私もこのような虫の音がしていたら、寝られないかもしれない。
【味覚・触覚】
かき氷やスイカなど、夏の食べ物がそうよね。「冷やし中華始めました🎵」と冷やし中華を始めるのは夏よね。団扇や扇子、扇風機、クーラーと直接体を冷すものがこれに当たるわね。
この立秋の頃、日本人にとって暑い夏である。
8月6日
広島に原爆投下
8月8日
ソ連が日ソ中立条約破棄
8月9日
ソ連が対日参戦開始
8月9日
長崎に原爆投下
8月14日
御前会議
8月15日
玉音放送→日本武装解除
8月18日
ソ連が千島列島に侵攻
9月2日
日本降伏文書調印→日本の敗戦
9月3日
ソ連が北方領土を占拠
戦争で得た領土は不当だと考えるのなら、北方領土にロシアは千島列島も含めて返還せねばならぬ。平和にロシアと日本の国境を決めたのは、明治に結ばれた「樺太千島交換条約」まで遡る。
しかし、9月2日までは、日本は国際的に降伏をしていない。だから、9月2日までソ連が得た千島列島は、ソ連のものとしよう。丸腰の日本の領土を掠め取った反倫理的な行動は承諾しよう。
9月2日まで、日本は戦争を続けていたのだよ。でも、逆に考えれば、日本は9月2日で正式に降伏したんだ。北方領土を奪ったのは、降伏後である。
この事実をどれだけの日本人が知っているんだろうか🤔。これから日本を背負う若者の何人が知っているのだろうか🙄。知っていても、その重要性は分かっていない人もいると思う。
8月15日は日本人にとって重要な日だけれど、世界から見たら、9月2日が大切な日。だって戦争相手国が武装解除したって、降伏文書を調印しなくては戦争は終わらない。
8月15日を大きく取り扱い、9月2日は大きく取り扱わない。私はこの日を高校生のときに知ったが、その重要性に気づいたのは大人になってからだ。
君が代流れる海辺
終戦の日
2年前の8月15日、君津の海岸でチューと海に入っていた。
正午になると、海岸のスピーカーから君が代が流れてきた。チューを海に入れていて、「あぁ、今日は終戦の日だったんだなぁ」と改めて思ったのよ。今は平和だなぁとね。そのときの俳句なのよね。ツイートしたら、まずまず良いねがついた。
私は8月15日は終戦の日で良いと思う。日本が武装解除したのだから。そして敗戦の日が9月2日。そして、ソ連が北方領土に侵攻したのが9月3日。
ソ連や中国はこの日を戦勝記念日にしているとも。立場が変われば視点が変わる。視点が変われば考え方も変わる。だからって、相手の考え方に合わせる必要がないこともある。日本は日本の立場と考え方を大いに主張しなくてはならない。「外交の安倍」の成果はあったのだろうか🤔。
そういえば、この前、女生徒が「歴史なんて必要ない。過去に起こったことを覚えてどうするの?」と言われた。
前にも書いたけれど、塾に求めらる授業が、子どもたちを競争させたりお笑い芸人のように笑わせたりするものだとしたら、こういうことを子どもに理解させる人は誰なのだろうと暗くなる。公教育の教師は、教科学習をする前に、なぜ学ぶのかということを子どもに教えなくてはならない。
しかし、「学ぶ理由を教える」って平和ボケなのよね。発展途上の国の子どもたちは学びに餓えている。先進国、特に日本の子どもたちは、笑いだのゲームだの刺激ばかり受けすぎて、刺激バカになっているというのが私の持論。じっくり考えるよりも、享楽的な刺激ばかり求め、その享楽的なものを与える大人を慕い、尊敬する。
ほら、日本の夏の風物詩を思い出してごらんよ。風鈴や虫の音という微かな刺激に夏の暑い中、涼しさを感じる心が大切なんだよ。
無知で刺激ばかり求める若者と、それを食い物にしている大人が、その国を滅ぼすことになるのかもしれないなぁ。そして、こういう思考が…。
来賓のあいさつで森会長は「もし来年コロナが収束しないで、五輪ができなくなったら、会長どうされるかと必ず聞かれる。私はそういう想定を考えてない。必ず21年、オリンピックができる」とあらためて強調した。
森会長「五輪中止の想定ない」
(スポニチアネックス) - auヘッドライン
総理大臣まで務めた方が、こう言うことを言えちゃうのよね🤔。まぁ、「想定にない」と言いつつ、想定していれば大したものだけれど😥。本当に想定していないようで不安になる。必ずオリンピックができるという根拠を示してほしい。
1%でも悪い結果をもたらす可能性があるのなら、その可能性が現実にならないように考えて行動するのがリスクマネジメントなのよね。