つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

生活の中の心理学⑤~怒りの分析②~(つれづれなるままに心理を語る⑭)

小雨の降る中、私が掛かり付けにしている町の診療所に行った。途中で靴紐が解けた。雨の中でしゃがんで靴紐を結ぶのが手間だったので、紐を靴の中に押し込んだ。

 

診療所に到着すると、老人、老人、老人…。診療所の開始時刻10分過ぎよ。この時点でもうこんなに混んでいるの❓😱。

 

それに、多くの老人は、1人で2人分、2人であれば3人分の席をとっている。つまり、1人分余計に席を陣取っているのね😒。その余計に1人分陣取ったところには、荷物を置いていたり、マフラーや上着を置いていたり。大きな荷物であれば百歩譲る。仕方がない。しかし、そのマフラー、膝の上に置けませんか❓😑。

 

まだ、立って待っている人がいないから、そこに置いても構わないのかもしれないが、これから混んできたときに、そこに座りたい人が恐縮しながら「そこに座らせてください」というのは、私には何だか理不尽に感じるの😣。荷物は基本膝の上か席の後ろに置くと躾けられなかったのかしら、このご老人たち。これって、私がモラルハラスメント❓🤔。

 

とイラつきながら、家に電話した。今日は妻のパートの日。だから、母が電話に出た。

「診察が終わったらチューを連れて出る約束をしたけれど、遅くなる。チューに伝えといてください。」📱😓

 

電話を切って、診察券を出し、座る席を探していると、3席陣取って2人で談笑しているお婆ちゃんが、大きな声で私に「靴紐がほどけてますよ」と私の靴を指差して言った。

 

イラッ💢

「ありがとうございます。分かっています。」

とお婆ちゃんに言った。

 

とっさに「ありがとうございます」と言ったのは、私の理性が働いたからか😅。

 

まぁ、お婆ちゃんは親切心から言ったのだろう。だから、イラつくことも、「分かっています」と言うことも、私の心が曲がっているからかもしれない🤔。でも、「ありがとうございます。」の後にでかかった言葉があるのよ😌。それは、「荷物は膝の上か、後ろに置くものですよ。」😱。

 

これは、この場で絶対に言っちゃダメ🙅‍♂️。瞬時に私の理性が働いた。何と言っても、彼女は親切心から、私は当てつけ、この差は大きい。それに、私は私自身のモラル。まだ座る席があるのだから、彼女は私のモラルに反しただけで、世間のモラルには反していないわ。

 

と、ブログを書いていたら、診察室に呼ばれた。血圧は138/86。

👨‍⚕️「体調は悪くないですね。薬(降圧剤)は3ヶ月分出しておきます。今後、コロナウイルスの感染が拡大する可能性があるので、緊急を要しない健康な人には来てほしくないんですよ。また、薬の供給がどうなるかも不透明ですので、3ヶ月分出しておきます。キチンと薬を飲んでもらえれば、次回来るのは5月下旬から6月上旬ですね。」

 

文にすると、ひどい言いように見えるが、悪く言えばズケズケ、よく言えばハキハキとした快活なお医者さんなので、私には心地よく聞こえた😄。

 

「『来てほしくない』はないだろう。」となるかもしれないが、それが本心であろう。いや、私も本心から、このように言われた方が気持ちが良い。

 

ここでふと、頭の中で比較と飛躍があった🙄。

 

先程のお婆ちゃんは、親切心から私の靴紐が解けていることを指摘した。親切心ではなく、自分が気になったからかもしれないが、私にとっては有り難いことだ。それでも私はイラッとした。

診療所の先生は、私に「診療所に来てほしくない」と言った。先生は月1回来診するように私にきつく言った人である。事情が変わったのだろうが、言い方もあろう。「来てほしくない」ではなく「来診を控えてもらいたい」であろう。しかし、私はイラつくことはなかった。言葉が気になる質なので、その言葉に引っ掛かったが、負の感情はない。

 

親切心に負の感情を抱き、ズケズケとした物言いに負の感情を抱かない。これっておかしくないかなぁ🤔。

 

お婆ちゃんは赤の他人。

診療所の先生はかかりつけ医。

 

負の感情を抱く原因がこの違いだけだとしたら、赤の他人に何かしてあげるとき、それが親切心から出たものであったとしても、細心の注意が必要だと言うことだろうか❓🙄。

 

しかし、待てよ🤔。

先生だから負の感情を抱かなかったわけではないだろう。先生に対してでも負の感情は湧く。

赤の他人だから負の感情を抱くわけでもなかろう。赤の他人に対してでも負の感情が湧かないことだってあり得る。

 

とすると、私があのお婆ちゃんに抱いた嫌悪の気持ちは何だろう。

 

う~ん😣。

そうか❗️😅

靴紐が解けていたことは、私は百も承知であった。自分が気づいていて、放っておいたことを指摘されたから、イラついたのか😌。これは、お婆ちゃんではなく、私の問題である。これが原因でお婆ちゃんにイラつくのは、理不尽であろう。だって靴紐が解けていることに私が気づいていることを、彼女は知ららなかったのだから。

 

そうか❗️😌

お婆ちゃんは2人で3席陣取って、談笑していた。そして、大きな声で、私の欠けたところを指摘した。彼女の私に対する親切心よりも、彼女の無配慮、無神経な態度に腹をたてたのかもしれない。しかし、彼女の親切心から出た行動と、無配慮で無神経な態度とは別物である。彼女のその態度に腹をたてれば良い。彼女の親切心を無下にしてはならないと私は考える。

 

と考えていくと、靴紐が解けていることを指摘されたときに「ありがとうございます」だけでよかったのよ😅。

 

これを一般化すると、「相手から自分の欠けたところを指摘されたときは、それがどんな状況であっても、感謝の気持ちだけを伝えれば良い」ということか🤔。

 

さらに一般化すると、「」怒りの感情の多くは、自分にある」ということだろうか🙄。いや、相手に原因があることも多いわ。でも、突き詰めていくと、「あれ❓自分に原因があるんじゃないか❓」となることも多いと思う。今回のお婆ちゃんに対する私の怒りの感情の主たる原因は、私の心の持ちようにあったんだもの。

 

心理学って、学びよりも、普段の自分の心の動きを客観的に考えるものなのかもしれないわ😄

 

前回のお話はこちら👋😊


生活の中の心理学④~腹が立ったら深呼吸~「つれづれなるままに心理を語る⑬」 - つれづれなるままに