つれづれなるままに

教育や家族に関することを中心に書いていきます。

カウンセリング力は質問力②(つれづれなるままに心理を語る③)

前回のお話はこちら👋😄


カウンセリングは質問力(つれづれなるままに心理を語る②) - つれづれなるままに

 

【誤った信念を変えるには】

前回のブログで書いたカウンセリング面談を使って伝えるね😉

 

生徒「ぼく、バカなんです。」

信念ってどのように形成されるか?🤔

 

その一つをざっくりと紹介すると、環境があり、その環境に沿った行動を取った結果能力となり、そして、その能力が信念となっていくの😌。

 

例えば「僕は集中力がない」という信念があるとすると、その子の勉強する環境には、マンガ📚があったり、スマホ📱があったり、ベッド🛏️があったりするの。

漫画があれば、漫画に手を伸ばすという行動を取り、その結果、「僕は集中力がないという」信念となる。私はその子に問う。

①漫画を読むときは集中していないか

→あなたは集中力がないわけではなく、勉強するときに集中力を欠けているだけである。

②何が集中力を欠けさせるのか→その集中力を欠けさせるものを、まず取り払おう。

 

人の相談に乗る者は、論理を学ぶとよいわよ😉。「ある」の反対は「ない」ではなく、「ないこともある」である。だから、「ない」のではなく、「ないこともあるんだね」、つまり「欠けてしまったんだね」と私は捉えるの😊。

 

これは「部活が忙しくて、勉強が出来なかった。」とか「時間がなくて宿題が出来なかった。」という子に対してよく使う。結論を言うと「『出来なかった』ではなく『しなかった』」、「時間はある」と言うことなの。

 

そういう諸々の事を頭に入れて、生徒に投げ掛ける質問は

「何があなたにそう思わせるのか?」

を基本としている。私は「なぜ」を極力避ける。「何」とする。「なぜ」は答えにくい。

 

「なぜあなたはバカだと思うのか」よりも、「あなたにバカと思わせる原因は何か」と質問した方が答えやすいのよ。

 

それはね☝️😄

 

「なぜ」は喧嘩でよく使う言葉よ。

 

「なぜ愛してくれないの」

「なんで勉強しないの」

「なんでそんなことするの」😅。

 

ほぼ全て、こう尋ねた人は、理由を知ることを求めていない。「なぜ愛してくれないの」と彼女に問い詰められて、その理由を言ってしまったら・・・😎。「なんで勉強をしないの」とかあちゃん言われて、その理由を言おうものなら😱。

 

それにね。「何」の方が答えやすいでしょ。答える言葉の品詞は名詞に限られるから、考えやすい。

 

私「えっ?何があなたをバカだと思わせるの?」


 生徒「だってテストが全然できなくて、親からお前はバカだと言われるから。」

 

そう❗️

 

何がと聞かれると

「テストが出来ないこと」

「バカだと言われること」

と「~すること」と、名詞的にまとめやすいと私は考えるの🤔

 

私「1つ目の質問。テストが全然できなかったというけれど、0点だったということかな。」

これは、相手の信念を壊すときのテクニック。反対の極論をぶちこむの😎。だって、生徒も「全然出来なかった」極論を言っているんだから、「じゃぁ、0点なんだね」って、屁理屈じゃないでしょ。「先生へ理屈だよ」って言われたら、「あなたの方こそ屁理屈よ。だって全然出来なかった訳じゃないんだから。そこをキチンと理解しないと次に進めないわよ~」って諭すの😊

 

生徒「いえ、62点でした。」

 

 私「それなら62点分は丸だったということだよね。」

 

ここ大切☝️😄。

 

キチンと承認するのよ。

えっ?これって承認なの❓と思う方はいるかなぁ❓😊

 

生徒「はい。」


 私「先生の財布の中には6200円入っている。でも、先生が『お金が全然なくて』と言ったら、おかしくないかなぁ🤔。だってお金があるじゃない。」

ここはちょっと難しいところ😣。似た構造で、異なるケースを提示するの。ここでは、「ある」のに「ない」と言い張るのはおかしいんじゃないのということを伝えたくて、お金の例を出したの。

 

生徒「そうですね。」
私「あなたや親に目標点があるのだろう。それに及ばなかったという意味で『全然できなかった』と言っているんだろうけれど、全然できなかった訳ではないよね。」

 ここは譲歩のテクニック😄。相手に逃げ道をこちらが作ってやるの。「あなたは~という意味だったんだよね。分かるよ、分かる。でも、・・・という意味にもとれるよね。そうだとおかしいよね」と言う論法。これは、論説文でよく使われる「譲歩構文」なのよ👨‍🏫。「確かに~だが、しかし・・・だ。」というもの。あなたの考えもわかった上で、私は話しているんだよって言うと納得しやすいのよ。でも、高圧的になってはダメよ😅

 

生徒「はい。でも、母がお前はバカだというんです。」 

ここもポイント。

信念には、「削除」「歪曲」「一般化」が付き物なのよ。

 

今回の「僕、バカなんです」という信念を壊すには

「誰が言うのか」

「何を基準にしているのか」

「バカの定義は何か」

「何と比較してバカなのか」

「バカと言える根拠は何か」

など、情報が削除されているたくさんの事柄を質問で明らかにしていくの。

 

「僕はバカだ」という信念に対して「全然出来なかったわけではないよね」と言ったら、沢山の「でも母はぼくをバカだと言うんです」と返した。この話の流れからすると、「僕はバカだ」という信念になった根拠の1つは、「母がバカだと言ったこと」となる😒。つまり「母がバカだというから、僕はバカなんだ」となるのよ。だから私はこう質問する

私「では、母親が『バカだ』と言えばあなたは『バカ』となるんだね。」

こう聞かれたら、たいていの人が「そうではない。」と答えるであろう。信念って因果関係が歪曲していることも多いのよ。

今回のケースの信念を破壊する決定打を行う前に、いったん承認を間に挟む😊。

私「そうだよね。母親が言うかどうかは問題ではないんだよ。分かっているじゃない。」

 

そして、最後の質問😄

私「では、あなたは最低何点取れば満足なんだい。」

この質問。

「最低」と限定するところがミソ。「100点」の言うのを防ぐ意図があるの。

この質問をすることによって、この生徒の「バカ」と「バカではない」と思えるラインを明確にさせる。すると、

 生徒「この科目なら80点は取りたい。」


 私「じゃあ、あと何点だい?」


 生徒「18点です。」


 私「配点は、1問3点から4点だよね。では、あと何問正解すればよいのかな?」


 生徒「う~ん。5問くらい。」
 私「オッケー。『~くらい』とおおよそで答えたところがグッド。5問丸にするのって程遠いかなぁ?」


 生徒「遠くないと思います。」

この生徒が思うバカとバカでないの境目は、現状の点数からすると、さほど遠くないということを理解させる目的があるのよ😊。

 

子どもに結果が全てと言う保護者がいる。結果が悪ければ「バカ」と罵る大人がいる。これを突き詰めて考えると、不正をしてでもよい結果なら許されるということになるのよ。

ワークの提出日に間に合わなくて、答えを書き込むだとか、塾で配られた定期試験の過去問を解いて良い点数を取るとか、カンニングするとか、「期日に間に合えば」良いとか、「点数が良ければ」良いってことはないでしょう。

でもね、大人である私は、子どもに毅然のした指導をすることに躊躇することが多いのよ😔。だって不正が世の中に多いから・・・。