無人島に誰をどんな人を連れていきますかと問われて~優しさは長所か?~
ツイッターで私は質問を受けていた。「無人島に連れていくならどんな人ですか」と。ちょっと反響があった私の答えは、「かわいそうで誘えない…。」だった。
この私の答えに対して、女性のフォロワーさんから、私のことを「優しい」とか「良い人」というリプライをいただいた😁。
いや~、そのときはとても照れてしまった😅。
しかし、ちょっと待てよ🤔。
私は率直な気持ちを答えて、その答えに対する反応が「優しい」とか「いい人」なのだ。この「優しい」とか「いい人」と言うのは、私の特性だと考えてもよいのかもしれない。
冷静に考えてみると、この優しさは相手から見たら素敵なものだが、私にとってはデメリットも大きいのではないかと思ったのよ😔。
優しさは社会の中ではつけ込まれて舐められる。
夫婦関係や親子関係、恋人関係、友人関係なら、私の優しさは素晴らしいものなのだろう。
この質問に関して言えば、自分が無人島に行く羽目になっても、他人を誘わず、自分だけが犠牲になると言っているのだから。
しかし、これを別の視点で見てみると、私には次の3つの欠点があるとも考えられる。
1.自分が窮地に陥っても助けを呼べない。もしくは、助けてくれる人が周りにいない。
2.人情に流されてしまう
3.決断力に欠ける
これまで私が会社の中で働いてきて、私が大きく飛躍できなかった原因は、この3つに集約されるのではないかと思ったのよ😱。
私の周りには人がいない。いや、あえてつるまなかった。現社長からは「貴方は才能があるのだから仲間を作りなさい」と言われたことを思い出した。慧眼である。
人情にも流れやすい。これは愚痴になるので書かない。
周りからは私には才能があると言われる。リアルな社会でもSNSでも言われているのだから、実際にあるのだろう😅。
しかし、決断が出来ない。目先の幸福が優先し、また、家族に迷惑がかけられない、妻を説得できる力がないから独立も出来ないわけで。腹が括れないのだろう。
そうか、腹が括れないのよ😲。
会社の中で厳しく言わなければならない人がいる。こんなにやっているのに、私の言葉を悪く解釈するとは何事だと。心外であると。私のいうことは聞かないのに、周りの言うことをきく職員に「それなないだろう」と諭すこともしない。
昔、こんなことがあった。
新しい体制となり職員を大幅に削られ大変忙しかった。しかし受付の職員が優秀で、事務仕事をその人に任せておけば何とか一年持つと考えた。
年度の途中の6月で退職すると言われた。資格がとれて、就職先も決まったとのこと。
「それはない」という気持ちをグッと抑え、「それはおめでとう」と伝えた。
その後、1ヶ月の有給休暇を消化するのだが、その仕事の最後の日、彼女は私に「(仕事は)大丈夫ですか」と聞いてきた。
さすがにいらっときた。
「貴女の仕事を全て私がするんだぞ。授業もして、保護者対応として、生徒指導もして。大丈夫ではないと言ったらやめないのかい。」と思ったが、「気にするな」とだけ伝えた。
専任の社会人講師は保護者や生徒からクレームの多い人だった。大学生講師も「他のバイトが忙しい」という理由で年度の途中でやめる子もいた。新しい受付も講師も来ない。
私が集団の授業をしながら、個別指導もして、高校生の面談をして、自立型の管理もして、来訪者対応をした。
これ同時によ😱。同時って同じ時間によ。
朝早く家を出て、夜は遅い。専任講師のクレームを受けながら不馴れな事務仕事をこなし、集客活動も行った。新体制で右も左も分からない。そんな中で地区長もやっている。私の教室も私の地区も業績トップ。
しかし、流石に半年後、体を壊した。血圧が250/200。でも会社は私の体調管理不足と言いたげだった。その教室は崩壊よ。
とね😅。
「優しさ」は漬け込まれる。私の優しさには頼るが、私には優しくしない。「立場が違うじゃない」と一蹴されたこともある。
「かわいそうで無人島に誰も連れていけない」と答える私の優しさは、社会不適応なのかもしれないと思った。そしてその優しさが、私の周りに人がいない原因ともなっているのだろう。
人をドライに扱う人の方が出世して、周りには人もいる。確かに会社という背景がなくなれば人がいなくなるのかもしれないが、認め合う間柄の人もできる。
社畜の生涯を送るか。
それとも一旗揚げるか。
何かを捨てなければ、何かを得られない。
私は家族には恵まれている。チューの課題は不安だが、子どもを持てば誰しも不安があるものと思う。家族に恵まれた分、会社や社会では得られなかったのかもしれないなぁ🙄。
女性のフォロワーさんから「優しい」「いい人」と褒められてしばらくの間体が火照ったが、その火照りに水を浴びせてみたよ😅。
140文字と1000文字の違いは~字数が違うと言わないで😅~
昼過ぎ、出勤するため家を出て、バスに乗る。
いつもの通り、私は後ろから2番目のシートに座る。
前のシートに座らないのは、後ろの席に行くには段差があり、お年寄りや体の悪い人に席を譲る可能性が低いから。
「席を譲りたくないなぁ」という気持ちを持つくらいは許してほしいわ😅。
後部座席は2人席。その2人席にみんな一人ずつ座っている。
パーソナルスペースの問題もあり、コロナ感染防止のためにも、今では仕方がないんだろうなぁなんて思いながらスマホをしている。私も隣に座ってほしくはないから、人のことは言えないよなぁ🙄。
停留所でバスが停まると、赤ん坊をだっこして幼子の手を繋いだ母親がバスに乗車してくる。
前の1人席は全て埋っている。後ろの2人席はみんな1人ずつ座っている。
私が席を譲っても良いのだが、私は前から3つ目の席に座っており、そこまでその母子が来るのは段差があり危ないだろう。それは席を譲りたくない言い訳かしら😅。
2人席の1番前に座っている人が席を譲り、他の席に移動すると思っている。しかし、誰も譲ろうとしない。
その母親は、2人席の1番前の席に幼子を座らせる。その幼子の隣の女性が母親に席を譲れば良いのになぁと思ったが譲らない。彼女も私と同じように座りたい気持ちなんだろう。
その気持ちも分かる。
見た目は健康そうだが、体が悪いのかもしれない。
だから彼女に「席を譲れ」とは言えない。
なんだか心が悶々としてくる。
バスの1番前の席は、運転手へのコロナ感染防止という建前で、座るのを禁止されている。
そこの席を空けておくなよ~。コロナが収まっているのだから。
禁止するのは運転手の本音があると私は推測している。その私の推測はこちら👋😄
https://yujisyuji.hatenablog.com/entry/2020/06/27/200000
そんなモヤモヤを抱えながら、終点まで言った。
私は席を譲らない人を責められない。責めるんであれば、その場で「席を譲りなよ」って言えば良いんだから。それをしない私も席を譲らない人と同じよね。
人は他人の辛さは分からない。他人が辛くても自分が良ければそれで良い。そういう考えで、少なくとも資本主義社会は成り立っていると考えた方が良いだろう。
えっ!?。
ゆうさんは人間不信だって😲。
そういう考えで成り立っていると思うからこそ、人から親切にされたら「有り難い(その親切はこの世に有るのが難しい)」と思って、「ありがとう」という感謝の気持ちになれると私は思う。
これで約1000字😄
この内容をツイートすると次のようになる。
幼子の手を引き幼児をだっこしている母親が乗ってきたのに、誰も席を譲らない
— ゆう (@turezureyu) 2021年12月10日
2人席に1人で座っている
席を移動すればよいのに…
体調は見た目では分からないからやたらに注意できないが、コロナ感染の予防としても、皆で2人席を1人で座っているのもなぁ…
席を譲るように促さない私も同罪か…
このツイートに対して、こんなリプライをいただいた😄
色んな事情が絡み合って複雑ですね…それを140字で表現する文章力…‼︎
— 武田塾 石垣校【公式】 (@takeda_ishigaki) 2021年12月10日
改行するのにも文字数使いますから140字でストーリーは結構難しいですよ( ;∀;)
— 武田塾 石垣校【公式】 (@takeda_ishigaki) 2021年12月10日
ここでふと思ったのよ🙄。
1000文字の文章と140文字の文章の違いは何かと🤔
1000文字(ブログ)の方は、詳細に書いている。修飾語句や節が多用され、臨場感が出るような細かなテクニックもある。
140文字(ツイート)の方は、簡潔である。修飾語句や節は極力なくし、読む時間がかからない。
どちらも長短両面ある。また状況や目的でその利用は変わるだろう。長短についての言及は別の機会に書こうかしら🤔。
何となく言えることは、ブログにツイートを出せばブロガーさんに読んでいただけるが、ツイッターにブログを紹介してもなかなか読んでもらえない。著名人だったら読んでもらえるのだろうが、素人オヤジではそれはなかなか難しい。
良いツイッタラーが良いブロガーになるとは限らないし、良いブロガーが良いツイッタラーになるとも限らない。
その中で、固定ツイートとはいえ、このツイートに42も良いねがつき、リンククリック数が74ということは、弱小ブロガーながら、それなりの才能があるのかも😄
2年前はあるフォロワーさんから「ナイスツイ廃」の称号をいただくくらいツイッターにはまっていました😅。
— ゆう (@turezureyu) 2021年10月21日
今回はマイルドにツイートします。
現在はアクティブにブログをやっています。時事、教育、子育て、歴史、心理などなど、雑記型つれづれブログです👋😄https://t.co/ssNs5jrwB3
それにこんな風に褒められちゃ、ブタもおだてりゃ木登るでしょ🐷
]スゴ過ぎます‼️凄過ぎます‼️
— ほめられ伸び子 (@ponponky_) 2021年12月13日
歯科医院の待合室で「まだ呼ばないで🙏💦」と祈りながら拝読。中断するも、いつもは産婦人科より苦手な歯の治療もウキウキしちゃいました😍
これ、ブログに留めておくのは勿体無くないですか⁉️
ブログは表現力
ツイッターは要約力
そんな違いがあるのかしらね🤔
約2週間ほどブログをサボっていたけれど、毎日50近くのアクセスがありました。更新していないのに訪問していただいてありがとうございます😄
5分待てずに先発電車に飛び乗る方へ
私は始発電車に乗り換える。
乗り換えなくて良いのだが、乗り換えた方が座れるのだ。
その始発電車のプラットホームには、先発と次発の電車がホームを挟んで並んでいる🚉🚊。
次発は先発の5分から10分後に出発する。私は次発か、さらにもう一つ後の電車に乗る。そして、エスカレーターに近い1番前の車両の後ろの席に座ることが多い。
この電車で、私がよく遭遇することを書くわね😅。
次発の電車に乗っていると、先発が発車して、その後、私が乗っている電車の次の電車がホームに入ってきた。
私の電車が出て7分後に出発する電車だ。
しばらくすると私が乗っている電車が出発する合図がなりだした。そのときに飛び乗りしてくる人がいる。
若い人だけではなく、お年寄りもいる。ベビーカーを持った女性もいる。就学前の子どもを2人連れた夫婦もいる。
そしてこの人たちは、飛び乗るなり車内をキョロキョロと見回す。
えっ、座りたいの?😲
5分後に出発する電車がそこに来ているじゃない。その5分を惜しんだ理由は何かしら🙄。
飛び乗りは誰がやっても危険だが、お年寄りや幼い子にはさらに危険だ😣。お年寄りがはぁはぁしていても、席を譲ろうとは思わない。だって飛び乗るだけ元気なんでしょ。この次の電車が30分後であれば譲るけれど、5分後ならばそちらに乗りなさい。
リスクをおかしてまで数分を惜しむって割に合わないんじゃないかしら🤔。
いや、知り合いが危篤状態だとさっき聞いて、急いで病院に行くのなら別よ。見た目では分からないと言うけれど、どう見てもそうは見えない。赤ちゃんをだっこして飛び乗るなんて考えられない。
5分待てないのなら、5分早く家を出れば良い。いや、もっと早く出れば良いのよ。
いや~、嫌な思い出があった。
始発電車でも、混むのよ😣。
ホーム両サイド始発電車が来ているのに、それに乗らずさらに後の電車を待つために並んでいる人が大勢いた。ホームは人だかり。
私は3本後の電車に乗った。待ち時間は20分ほど。
でも、乗ったら1時間半もかかるんだもの。それに前日は遅くまで仕事して、疲れていた。少しでも眠りたかった。
お目当ての電車が来たので、乗り込んで座った。すぐに席が埋まった。
すると女性から声をかけられた。
「この人に席を譲ってください。足が悪いので。」
その女性は介助の女性だった。
さすがに私は言ってしまった。
「私は座りたくて3本待ったのです。申し訳ないが、そちらも電車を待つか、他を当たってください。もしくはこの電車に乗らなくてはならない事情を教えてください。」と。
介助の女性はムッとした。
「普段なら譲りますが、こちらにも事情があるんです。」
女性と足の悪い男性は電車を降りようとした。私は居心地が悪くなり、こういった。
「足が悪いのに、電車を待てませんよね。どうぞ。」と言い捨てて、私が電車を降りた。そして1本後の電車に乗り、立って目的地まで行った。
まだ若かった私はとっさに障がいを持つ人の気持ちになれなかった。
しかし、介助の人が「申し訳ございませんが」の一言はあっても良い。
でも、自分の意に反してハンディを抱えた人には、この「申し訳ございませんが」と言うことも嫌だと聞いたことがある。
今ならすぐに譲るわよ。
話がそれそうだ。
ここで、私ってスゴいと思わないかなぁ😅。自画自賛。
だって4本後の電車でも余裕で間に合う時刻に家を出ているということよ。時間がもったいないとも言えるけれど、あくせくしたくないのよね。
たかたが5分待てず電車に飛び乗る人を見ると、時間をけちって心をなくし、損をしているんじゃないかなぁって私は思う。
ツイッターでフォロワー1万とは?🙄~ブログとツイッター~
インプットせずに、アウトプットばかりしていたこの2年10ヶ月。
ブログは1000を越えたが、まぁ、いわゆるネタ切れ😅。
いやストックブログはあるのだが、公開するには躊躇うものばかり😅。
ツイート脳とブログ脳は異なる気がする🤔。うまく表現できないんだけれど…。今の私はツイッター脳になっている😄。
いや~、先週はかなり凹んでいたの😣。
ツイッターなら細切れに公開できるので、内容はさほど重くならない。ライトなツイートも混ぜられるので、こちらも相手も心の負担になっていない。いや、なっていないと思う😉。
しかしブログだと、私の気持ちが入り込んじゃうのよね。内容が一旦重くなると、心の闇の沼にはまってしまう😱。
なぜかしら🤔
ツイッターだとツイートする度に反応がある。「良いね❤️」もそうだし、「リプライ」も「リツイート」もそう。
呟いて、反応があると、そのときに冷静になったり思考を切り替えたりできる。
ブログだと私はそれが出来ないのよね😅。書いているうちにドンドン深みにはまり、モヤモヤが晴れない。
と、最近の私のブログは、ツイッターとブログの比較論が多いわね😅。
そうなのよ☝️😔
最近1つのことを掘り下げると疲れるのよね。
では、あまりツイートできない話を1つ。
ツイッターのフォロワーさんが、ツイッター再開1ヶ月で230名を越えたのよ😄✌️。そしてフォロー数を上回った😲。
1万名のフォロワーを抱える素人さんもいる。しかし、その方のアカウントに入ると、ツイートに良いねもリプライもない方もいるのよね🤔。
1万名のフォロワーさんがいて、ツイートに反応がないのってどういうことなのかしらって思ってしまったの🙄。私のフォロワーさんにはそういう方はいないけれど😄。
著名人なら分かるけれど、一般の方でフォロー数が数百名でフォロワーが何万名もいる方もいる。どうしたらそうなるのかしらと不思議なのよね🙄。
ブログなら相互扶助があるけれど、フォロー数が数百名でフォロワー数が数万名だと、それには当てはまらないし。
ツイッターも奥が深いわ。
こちらはあくまでも私のツイッターに関する印象よ😄。ツイートもしたわ。
フォロー数百未満
フォロワー数1万以上
だと著名人という感じがする🙄
フォロー数1万以上
フォロワー数1万以上
だと頑張っているなぁと思う🤔
フォロー数0名
フォロワー数1万以上
だと聞く耳がある人なのかなぁって疑問に感じる😅。
最近はまっているアカウントはこちらは👋😁
コンビニに行きたいならね、ここをまっすぐ行った先のセブンイレブンの角を右に曲がって、50メートル先に交番があるから、そこで聞いたらいいですよ。 pic.twitter.com/2NaSGdwXdh
— 進次郎放送局 (@ShinjiroTwit) 2021年3月13日
進次郎放送局にたまに遊びに行く。
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月22日
真面目な話とお笑いの緩急がある。どちらもセンスがある。
ホンモノの進次郎もこうだったら支持するのになぁ。
挨拶・議論・対話
挨拶→議論→対話
と右に進むにつれて、コミュニケーションのレベルが上がるそうだ🤔。
挨拶は形式的なものよね。コミュニケーションの初歩であり、とても大切なものだということは、多くの人は納得するだろう。
コミュニティーの中で挨拶をしなければ、人間関係がギクシャクしてくる。裏を返せば、挨拶すると人間関係がスムーズになる。挨拶はコミュニケーションの潤滑油だとも言える😄。
議論は主張のし合うことだ。そしてどうしても結論を導きだそうとする。
結論なき議論は不毛だ。
会話に結論を求めたがる人もいる。私もそうだ。相談事を受けるとどうしてもアドバイスをして、解決しようとしてしまう😅。
塾の講師をしていて、ある意味、職業病でもあるのだが、解決型の脳は男脳とも言われる。アドバイスし、理屈で解決法したがる😅。
とても良いことに見えるが、コミュニケーションのレベルとしたら対話よりも低いそうだ。私もなるほどなぁと思った🙄。
幼子は対話はしない。一方的に自分の言いたいことを言う。主張して、解決しようとするのである。
相手が相談しにきた。
相談をしに来たのだから、当然その相談事を解決してもらいにきたのだろうと、私なんかは考える。だからアドバイスをする。しかし相談者はアドバイスしてほしいのでなく聞いてほしいことも多い。
私の場合、妻への対応がなかなかうまくいかなかった😅。妻が私に相談しに来ると、私はどうしてもその相談事を解決しようもしてしまう。だからアドバイスをするのだが、どうも噛み合わないということがよくあった。いや、今でもある。
話に解決や結論を求めたがったりアドバイスをしたりする傾向が強い人は、独善に陥りやすいのではないかと考えるようなった。自分がそうだから、反省の意味を込めてね😔
ツイート散歩~チューパパの黄昏日記令和3年11月14日~
今日もチューと一緒に長距離散歩。
自宅~神社~お墓~アイスショップ~公園~ラーメン屋~自宅と3時間半、1万5000歩の散歩よ。チューの就学する前からの定番のコース。今や中2。私よりも健脚だ😄
今回の試みは、久しぶりにツイートしながら散歩すること。ツイートする際は立ち止まっているわよ。念のため😅
チューはネコ好き。私もネコ好き。そう言えば前日ツイッターでこんな話をした。
そうよね😅。
ネコは臆病。だから、相手が何もしていなくても、ネコ自身が「こいつ何かをやるかもしれない」と思ったら、相手にネコパンチをしたり威嚇したりするんだって😁。
恋人にするなら楽しいかもしれないが、パートナーは感情の起伏が激しく気分屋なのはちょっと困る😅。
そう言えばウサギはかまってちゃんなんだって。それも困るわね。
てくてく歩いていると、あるポスターに目が行き一言👋
耳障りの良い言葉は悪魔のささやき
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
まあ、これね。「耳障り」は悪いときに使うことは承知の上よ😎。何を見てこのツイートをしたかは内緒🤫。だって問題になるから😅。
歩いていると、色々なことが思い付く。こんなツイートもしたわ。
受験と恋愛は似ている
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
就活と恋愛も似ている
でも、どちらも主導権は相手にある
私のツイッターは塾アカ。だから私のツイートも自然と教育に関するとが多くなる。
私のそばを速いスピードで車が通り過ぎた。そのときのツイートがこちら👋😄
弱者に優しくというが
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
道路一つとっても強い自動車が優先されて、弱い歩行者は端に追いやられ、車を避ける。
それを疑問に感じないこと自体、人は弱肉強食で経済的な効率重視を証明しているのかも🤔
人に優しくは意識が必要ななか#性善説or性悪説
これは次のこちらのツイートに繋がる。
「主権在民」の思想はルソーの社会契約にたどり着く。
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
ホッブズは国家は神が作ったものではなく、人造であると定義したことは大転換だが、国が主、民が従であった。
ルソーの偉大なところは、民が主、国が従としたところ。
しかし彼が考える人の自然な状態は性善説なのよね🤔#性善説or性善説 https://t.co/ZiESuVLuD2
インプレッションが200もいかない、○そツイート😅。
でも、私はこちらの方が言いたかったのよね🤔。前にブログにした内容だけれど。それをさらに飛躍させよう。
自然状態では人は助け合うとか平等だとか、性善だとか性悪だというけれど、自然状態では「生き延びる」ことが優先課題。というか、それしかないと私は考える。
だから、そこに性善と性悪もない。生き延びるために助け合えば、生き延びるために騙すこともある。そこに悪も善もない。善悪があるなら、善悪どちらか一方ではなく、両面あるのよ。
もうスピードで横切っていく自動車を見てそう思ったのよ。そこで自分自身に対してこう思ったのよね。
やはり私は感性の人ではなく思考の人なんだなぁ。
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
散歩中でもこんなことを考えるなんて😅
立ち止まるから、チューがかなり先に行っちゃったよ。 https://t.co/Yo0YT1nRtB
これをヒントにしたブログがこちら👋😄
SNSの内容を「共感系」と「同意系」に分けたのよね。私はどちらかというと後者なんだけれど、同意も必要ないとも思っている。
同意も共感もあったら嬉しいが、同意や共感を得るというよりも、こんなことを考えているよと知って欲しい欲求の方が強い。だからツイートでイイねがなくても、ブログで星が1つでも、「あぁ、そうなんだ」ぐらいにしか思わないようにしている。
「思わないようにしている」と書いたところがポイントよ。「~しないようにしている」は、意識しないと「~してしまう」ということで、相当気にシーなのよね😁。
デッカイ家を見ると、ご先祖さんも含めてどんなあこぎなことをしたんだろうと思う、ひねくれ者は私です。#偏見
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
ホント、広い家ばかり。田舎だから何だろうけれど、こんなに広い土地をどのようにして自分の物にしたのかしらって思ってしまう😅。
だって人間が出現する前から土地があるとしたら、元々土地は誰のものでもないはず。自分が生活する分だけの土地があれば良いはずで、必要以上の土地があるということは何かしらの悪どいことをしたんじゃないかしらって思ってしまう😅。
偏見です🙇。
藤原氏が祖先にいる人には申し訳ないけれど、藤原氏が祖先って自慢にならないかも🤔。
だって三世一身法や墾田永年私財法で公地公民制を骨抜きにして、荘園という脱税システムを合法化した。
税は藤原氏の懐へ、国庫には税が入ってこない。
政治は儀式中心で、権力争いに明け暮れて、世は末法の世にした。
脱税システムを合法化し私腹を肥やし国庫は空で民を苦しめた張本人かも😱。
自分は極楽浄土に行けるように私財で平等院鳳凰堂を建てたが、京都も地方も治安が最悪。その治安維持と権力争いに、自分達が差別している武士を起用した。自分達の手は染めない。
現代の感覚で考えると、藤原氏を筆頭に貴族って最低よね😱。
でも、その貴族のおかげで国風文化が花開く。今使っている平仮名、片仮名はこの頃に作られた。この仮名は日本人の文の表現力を広大にした。
文化って不労所得層や財力が集中する者がいると発展しやすい。でも、貴族が存在するには虐げられている民もいるはずだから、民のおかげともいえるかな🙄。
歴史の評価は二面性があり、私のように現代の常識に当て嵌めてはいけないところもあるわ。
「今日のパパは立ち止まってばかりで遅いなぁ」とチューは思っているはず😁
お墓に花を供えて、水をかけ、拝んだら、アイスを食べにGo❗️
散歩して墓参りしてアイスを食べて、帰宅途中でラーメン食べて、妻が車で合流して温泉へ pic.twitter.com/NfWkAXHFrS
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
ママは1時にパートが終わると言う。時間はまだある。公園にでもよろうかしら🤔
何でもきれいに見える pic.twitter.com/kssRZ69aJn
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
雑草なんだけれど、日射しでキラキラと輝いているのよね。
「雑草という草はない」とは昭和天皇のお言葉。
そうよね🤔。
生きとし生けるもの、一括りにするのはおかしいわよね。それにこんなに綺麗だ。
人工の滝でも水の音は癒される pic.twitter.com/J4xfMbbgFn
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
このツイート、突っ込みどころがあるわよ😅。分かるかしら。
それは「人工の滝でも」というところ。「人工の滝でも水の音は癒される」という考えの根底には、人工物で癒されることに違和感があるという感情がある。
しかし、人工物で癒されるのなんて沢山あるわよね。田園風景、石油化学コンビナート、AIBO、集まれどうぶつの森、プラネタリウム…、挙げていったらキリがない。と分かった方がいるかしらね😁。
散歩の後は、炭酸と塩気を欲する pic.twitter.com/alcUvkqe44
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
ツイッターでは30年と書いたけれど、実際は40年だった。スープに出汁の味がして、濃くなく、とても食べやすくクセになるラーメンよ。この後、家族3人で温泉に行ったわ。
ツイッター散歩、いかがでしたか😄。
前回のチューパパの黄昏日記はこちら👋😄
ツイッターとブログのルール
土曜日の夜(日曜日の午前)は夜更かしをしてしまう😅。日月とに連休だからだ。
だから晩酌弾む😁。
今日の晩酌 pic.twitter.com/UgVUNIxMXP
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月13日
ツイートも弾む😄。
土曜の夜は寝たくなくなる
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月13日
お子ちゃまよね😅。
ブログだと、一旦そのブログを開けてコメントをし合う。ツイッターだとTLを見てコメントし合う。
ブログはじっくり1対1のトーク。時間をかける。
ツイッターは複数のチャット。反応がは早い。こんな交流も成り立つ。
ツイッターでの返信や引用ツイートも、ブログでのコメントもルールがあるようだ。
ツイッターの返信に関して「巻き込み」というものがある。
「巻き込み」とは、返信ツイート(「@ユーザー名のツイート」にリプライすること)でやり取りするときに、元のツイートに含まれるメンション先へ不本意に返信ツイートが届いてしまうことよ。ツイートでの会話から、関係のない人を外すというのは当然か🤔
ブログのコメントは1コメント1人だそうだ🙄。
以前、ある方のブログに1コメント2人分のコメントをした。そのコメントは承認されず、私のブログに注意のコメントが入った。
う~ん🤔。そんなものなのかと思ったけれど、そのコメントとは関係のない私のブログに注意のコメントを入れるのは失礼だなぁと思ったわ😅。
ブログの場合、コメントした人どうしの交流がないような気がする。ブログを書いた人がメインで、そのブログにコメントしたものがお互いにコメントし合うことはないんじゃないかな🙄
迷惑よね😅。例えば私の書いたブログにAさんとBさんがコメントした。そしたらAさんとBさんの話が盛り上がり、私をそっち抜けでコメントし合うようになったら…。「他でやってくれ~」となるだろう。しかし、ツイッターだったら、メンション先を外せばよいのよ。
さて素人が趣味でSNSを使うとき、共感系か同意系かに分かれると思う。
こちらがどちらかというと共感系👋
散歩の後は、炭酸と塩気を欲する pic.twitter.com/alcUvkqe44
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
人工の滝でも水の音は癒される pic.twitter.com/J4xfMbbgFn
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月14日
こちらが同意系👋
無料のフォローが横行している
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月13日
映像を安価な値段で売ったり無料にしたりしている
○○のように異業種に乗り込みその業界を荒らすのなら、それも資本主義
でも、その業界で食べている人が、自分の労働の価値を落としてどうするんだろう
むやみやたらな無料は自分達の首を絞めるんだけれどなぁ🤔
入塾したら絶対に成績が上がりますか
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月13日
成績が絶対に上がる塾があったら塾がこんなに乱立しません
「成績保証制度」のようなものがあるが、色々と規定があるし、最終的には現場の講師に皺寄せが来ることが多い
私はツイートもブログも思いつきが基本よ。これまでも書いてきたけれど、ブログは私の脳ミソの中身なのよ。ツイートも同じ。
そういえば、最近の私のブログは、私のツイートの紹介が多い😅。それは、ブログの文字数稼ぎのため。でも、ツイートの貼り付けは文字数にならないからなぁ🙄。
最近のツイートに関するブログはこちら👋
本屋が潰れる~アナログの良さもあるのよね~
本屋がつぶれている。
幼い頃、よく行っていた本屋はすでにない。三件とも20年近く前につぶれた。
チューが生まれてからできた本屋も10年たたずに飲食店になった。
今、近所にはショッピングモールの本屋しかない。
本を買わずに、立読みをする人が多いのよね。近年は座り読みをするようになった。いや、店側が客に迎合して、椅子を用意しているところもある。
そんな話がこちら👋😊
ツイートはこちら👋😄
本屋がつぶれている
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月12日
子どもの頃に通った本屋は3つともない
働いた2つの本屋も潰れた
10年前に出来た本屋は今は飲食店
ネットの普及が原因だが立ち読みも原因だろうか
椅子を用意し座り読みを推奨する店もある
客に迎合し過ぎ
ただ読みのし過ぎは盗みに等しい
店にとっても
筆者にとっても
そうそう。今、挙げたブログとツイートについて。ツイートがブログのダイジェスト版になっているのよ😄。
読み手にとっては、ツイートはブログよりも時間をかけずに読める。書き手にとっては要約力が求められる。
そしてこんなこともふと思ったのよ👋
Twitterとblogの違いを一つ気付いた
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月13日
同じ内容でも、Twitterのインプレやエンゲーは容易く伸びるが、blogのアクセスは中々伸びない
blogはタイトルが大切
blogはパンフ
Twitterはチラシ
という分類が出来るか
blogは自らアクセスする
Twitterは目に飛び込む
blog×Twitter×HPで上手くいくかもな🤔
日々気付きよねね。
話を戻すわ😅
今はネットで本を購入できる。いや、購入しなくてもネットで調べられる。
本屋にも行かず、図書館にも行かない。
大学生は、家でネットで調べて、レポートや論文を書く。
でも、ネットじゃ内容が浅いんじゃないかしら🤔。
だって検索ワードに引っ掛かったものしか出てこない。検索ワードに引っ掛かり、画面に出てきた2~3行を読んで、自分の目当てのものだと判断してクリックをする。そして、コピペする。それを何度か繰り返し、レポートの一丁上がり😅。
これじゃ内容が薄いわよ😑。
ネットは便利なんだけれど、本屋や図書館で本を捜すのも大切なことだと思う。
自分の調べたい本を探していると、「あれ、この本も面白そう」と関係のない本に手が行くことがある。それでその本と自分が書こうとしていたテーマと有機的な結びつくことだってある。
資本主義や共産主義のことを調べようと図書館で本を探していたら、儒学、朱子学の本に興味を持って読んでしまった。
あぁ、どちらも理想というフィクションを作って、それを理想として現実世界に当てはめようとしているところが似ているなぁ。
というようにに繋がることは、ネット検索ではない。
不便さって悪じゃない。不便さの中から新しいことが生まれることはある。
アナログな書店が次々となくなっていくのは、インターネットという便利さに負けているのだろう。
でもアナログにはアナログの良さがあるんだよ。
効率化・便利さ・素早さを追い求めた結果を発展とするが、退化するものもたくさんあると思うんだよなぁ🤔
つれづれなるままに国語を語る⑬~「私はひこうき雲」解説~
作文・作詞講座(上級編)
(1)テクニックとは
みなさん、「テクニック(技術)」にはどういう印象を持つかなぁ?🤔。
受験テクニックに恋愛テクニック。心がこもっていない、表面的なことと思う人も多い。
テクニックだけ使いこなそうとするから、表面的になるのよね😔。土台があってのテクニックなのよ😉。
受験テクニックであれば、しっかりとした学力が土台、恋愛テクニックであれば愛情が土台であることが前提だわ😊。私は今でも懸命に学んでいるし、家族愛はしっかりのしたものだわ😁。
ブログだって、私の心情をいかに皆さんに伝えるか、皆さんの心に訴えることが出来るかがテクニックとなるの。心を込めてテクニックを使うのよ。だから、テクニックを使うには、伝えたいという熱い気持ちが必要なのね😊。
(2)作文講座
私のこのブログを引用して解説するわ😅。この後の内容は、こちらのブログを読んでからにした方が分かりやすいわよ😉。お時間があったら、先に読んでね。
①書き出し
ひこうき雲に、どのようなイメージがあるかな?私は、「ひこうき雲」というと、松任谷由実の歌詞が頭によぎる。
ひこうき雲 荒井由実 - 歌詞タイム
主張したいことを読み手に納得してもらうには、一般論、もしくは多くの人が知っていることを使うのよ👨🏫。
今回は情緒的で繊細な「死」を扱う随筆文。であれば、その「死」という世界に誘う情緒的なものを引用するの。
後で語るけれど、作詞、作曲、作文って似ているのよ。この部分は曲で言えば「イントロ」ってところね😄。
空に一直線に横たわる雲。
松任谷由実のYouTubeや歌詞を貼っておいたのだけど、見ない人もいるわよね。本当は聴覚と視覚で訴えた方が良いのだけど。視覚でも、この随筆の世界に引き込もうと考えてのものなの。西陽であるところもポイントよ。
②展開
その先の遠くの世界に誘ってくれるように思える。その世界が外国なのか、希望なのか、それとも異次元の世界なのか。私は、ひこうき雲を見ると、ちょっと物悲しく感じる。
この部分が、大いなる飛躍よ。どの文章にも飛躍が入ると、「つれ国」の中で伝えてきたの。飛躍に感じさせないように、ここまでテクニックを使って来たのよ。
何が飛躍かって。それは「ひこうき雲を見ると物悲しくなる」ってところ😔。ひこうき雲を見て、明るい未来を感じても良い。希望を感じても良い。あの雲を見て、物悲しくなるなんて、いきなり言われても共感する方はほとんどいないわよ。
では、何でスルッと共感してしまうのか🤔。
それは、そういう引用をしたから。そして、「その先の遠くの世界に誘ってくれるように思える。その世界が外国なのか、希望なのか、それとも異次元の世界なのか」というフレーズ。
「ひこうき雲を見て、色々と感じて良いのよ。でも、私は物悲しくなるの。」という、ここにも一般論と主張の論理構造を施しているの👨🏫。
③体験で主張の根拠付け
その物悲しくなる根拠付けとしての私の体験が次に書かれる。
大学時代の親友の死、そして、私とは面識のない同学年の女子生徒の死を思い出すの。大学時代の親友は過労死、そして、女子生徒は自死だった。当時、ニュースにもなり、どこから飛び降りたのかも知っている。隣のクラスだったが、ショックだった。良い子だったそうだ。毎朝、ラジオ英会話を聴いてから朝練に来ていたそうだ。
人の死を扱う場合は配慮が必要だ。不謹慎と言われかねない。不謹慎と言われても書きたいという気持ち、伝わったかな。
この体験、直接的にはひこうき雲と関係がないわよ。でも、間接的には関連があるわね。松任谷由実の「ひこうき雲」は飛び降り自殺をした少年の気持ちがテーマなのよ😔。
松任谷由実は
あまりにも若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせと歌う。
ここが、今回の私のテーマ。自死は幸せなのか。私の答えは「分からない。だけど悲しい。」なの。
彼女は「自死はしあわせ」と歌う。明るい曲にのせて。それが彼女の凄いところ😱。
「しあわせだ」と言い切って、その飛躍を調べでカモフラージュして、聞き手に納得させてしまう。
だから、音楽って使い方によっては👼にも😈にもなるの。この歌詞は、現在の「不謹慎社会」の中では炎上してもおかしくないくらいきわどいものなのよ。でもね。こういうものを「不謹慎」にしたら、文学・文芸・芸術作品がなくなるね。あの世界的長編小説「源氏物語」だって不謹慎の極みよ~😔
自死はなぜ悪いのか。周りが悲しむから悪いのか?では、周りに悲しむ人がいなければ、自死は肯定されるのか?生死には自己決定権がない理由は?生まれてくるのも死んでいくのも、自分で決定できない。でも、死は幸せなのか?私は自分自身の死を経験していないから、死が幸せかどうかは分からないよ。
でも・・・、生きてほしい。
でも・・・、死を選ぶかもしれない。
これだけは言える。死を選んでも幸せかどうかは分からないということ。
自問自答の形も大切。
自分の思考をより深めることにもなり、また、相手も一緒に考えてもらえる。相反する気持ち、葛藤。随筆文は、明らかな答えは必要ないものでもあるの。私はこのあと、情緒的に、自作の詩を載せたの。
(2)作詞講座
①リズムと展開
詩ってリズムなの。リズムを作るものの1つが、音数。拗音は1音にしても2音にしても良いわよ。例えば「ひこうきぐも」。6音だけど「ひこーきぐも」と読ませて5音にしてもよいわ😊。
「あなたはひこうき雲」
(作詞)ゆう
黄昏時のひこうき雲
遠く彼方に
彼方にのびる
この坂道を越えていく
ひこうき雲に
手が届くかな
あなたはひこうき雲
僕も見てみたい
あなたが見た景色
最初で最後の
あなたの決断
僕にはあなたの苦しさ分からない
ゴメン分からない
最初で最後の
あなたの決断
僕にはそれが正しいか分からない
ゴメン分からない
そう
あなたは良い子
良い子を演じ
疲れていたの
あなたはひこうき雲となり
遠く彼方へと
彼方へと
彼方へと
②解説
黄昏時の(7音)
ひこうき雲(5音)
遠く彼方に(7音)
彼方にのびる(7音)
最初は情景描写。
黄昏時という時間から、「希望」や「明るい未来」ではなく、「寂しさ」や「切なさ」を連想させる効果を狙っている。また、「遠く」と「彼方に」という似た意味の言葉を重ね、さらに「彼方に」と反復させることによって、途方もなく遠くまで延びていることを印象づける。
この坂道を(7音)
越えていく(5音)
ひこうき雲に(7音)
手が届くかな(7音)
情景から心情へ。
「あなたはひこうき雲」という題から、筆者はひこうき雲と誰かをダブらせていることは読み取れる。
ひこうき雲は遠く彼方にある。そんなものには手は届かない。でも、手を届かせたい。誰か大切な人と会えないけれど会いたいという心情とも解釈できる。
歌でいうとAメロの部分ね。ここは、サビで語る主張をスムーズに共感させる大事な部分なの。私のテクニックとしては、この部分は、日本人の琴線に触れる七五長にするの。
7577って、上に5音に入れれば短歌になるわ😊
あなたはひこうき雲(9)
僕も見てみたい(8)
あなたが見た景色(9)
9音→8音+9音。
まず、題名にもなっているこの詩のキーワードを叫び、そして、またリズムを俳句のリズムに戻す。9音+8音って俳句では破調というのよ。
歌でいうとBメロね。Aメロのリズムを変えるの。そして、サビ(主張)へと持っていく。ここまでで、聞き手(読み手)にサビを受け入れる気持ちを作らせるのよ。
主張へ。
最初で(4音)
最後の(4音)
あなたの(4音)
決断(4音)
僕には(4音)
あなたの(4音)
苦しさ(4音)
分からない(5音)
ゴメン(3音)
分からない(5音)
最初で最後の
あなたの決断
僕にはそれが正しいか分からない
ゴメン分からない
文節で分けると4音を畳み掛けているの。そして、最後に「分からない」をリフレインさせただけではなく、リズムを少し崩して、私の言いたいことを印象づけたの。最後5音・3音・5音にリズムを崩したの。
そう(2音)
あなたは良い子(7音)
良い子を演じ(7音)
疲れていたの(7音)
日本人って、5音と7音って、スーッと頭に入ってくる音数なの。だから、セールストークに気を付けてね。
「そう」と、感嘆詞を入れているところもポイントね。
ここの内容は、ひこうき雲になった子の性格とその原因が語られているわ。
余韻で閉める
あなたは(4音)
ひこうき雲となり(8音)
遠く(3音)彼方へと(5音)
彼方へと(5音)
彼方へと(5音)
最後は余韻を残すのよテクニックの1つよ。
最後に、自分の気持ちを相手に伝え、共感を得るには、「カタルシス」というものを表現技法に取り込むと効果的なのよ。
(3)終わりに
今回のブログを読んで、「つれづれなるままに国語を語る」に興味をお持ちになった方は、ぜひ、こちらをお読みください。後ろの回から前の回に読み戻っていく形になりますが。
こういう解説というか、種明かしをしちゃったから、ゆうのブログを興ざめなんて言わないでね😭。ってね😝。
みなさん!ゆうの塾に入ってちょうだい😁。いくらでも教えて差し上げますわよ😆
~~~~~~~~~
2019年4月4日に書いたブログ。ブログを始めた当初は、こんな教務的な内容が多かったわ。
つれづれなるままに国語を語る
つれづれなるままに歴史を語る
つれづれなるままに心理を語る
というシリーズものがあった。
あんまり日の目を見ていないのよね。当時は今ほどアクセス数がなかったし😅
ブログの読者さんとツイッターのフォロワーさん~またツイッターにはまっちゃったわ😅~
私のフォロワー数からしたら、プチBuzzりよね🤔
絶対に100点を取らせないという中学の数学教師
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月10日
定期試験の意義は?と尋ねたくなる
勝負する相手を間違ってはいませんか?
平均点が30点台の社会科のテスト
それってあなたの授業の生徒の理解度と考えませんか
そんなテストの対策には付き合っていられないというのが、私の本音😅
生徒が辞めない塾は良い塾のされる。しかし、生徒が辞めず友達を紹介してもらえない塾は、「塾に満足しているが紹介しるほどではない」というレベルか🙄
— ゆう (@turezureyu) 2021年11月7日
もともとツイッターから始めて、フェイスブックをやり、それからブログを書くようになったのよ😄。
1年半ほどやって、不正アクセス疑惑があって、ツイッターとフェイスブックを辞めたのが2年ほど前。約2年間ブログ1本でやってきた。
ブログには言いたいことが言い切れる利点がある。ブログを辞めようとは思わない👋😲。
ツイッターはフットワークが軽いのよね🙄。
ツイッターの良いね100って、無料はてなスターの300~500の価値があるんじゃないかしら🤔。
いや、価値の基準が違うか😅。
相互扶助的なものでなければ、あの長いブログを読んでくださった上でのスターよ😔。最大140文字程度のツイートとブログでは、その内容にも労力にも大きな差がある。
ブログのスター1個とツイッターの良いね1つの価値は
スター⭐️>良いね❤️
かしらね🙄。
ツイッターをやっていると会話を楽しんでいるようで面白いのよね😄。久しぶりにツイッターを再開して、それがまた新鮮な感じがした😁。
フォロワーが、前回よりも驚異的に増えている😲。約20日で175名。前回だと3ヶ月以上かかったら人数よ。前回は最終的には300名に届かなかった。今後、頭打ちになるんだろうけれど…。
この20日間で3回、これと同じくらいの反響を得たツイートをしたわ😄。
140字程度のつぶやきを1万人近くの人が読んで、その1割弱の方が反応した。
私のつぶやきの視点は、基本はてなブログに書いたものと同じよ。物事を私が見聞きして、それを140字にするか、2000字にするかが違うだけ。
人に見てもらうということのみを重視すれば、断然ツイッターの方が良いだろう。
しかし、ツイッターにはないブログのよさもあるのよね🤔。
ツイッターは単なるつぶやき。そのつぶやきを後で読み返すってあまりない。それに言いたいことを全て言いきれない。
ブログはWeblog。ウェブに記録を残すことが大きな目的の1つだ。それも魅力的だ😄。
いや~、毎日ブログを更新することを目標にしていたら、途絶えた時点でブログを辞めていただろう😅。
いや、辞めませんよ😁。
以前よりも更新頻度、新しいブログの投稿頻度は落ちるけれど😅。
ツイートは1日30ツイートくらいしている。ツイ廃かしらと呟いたら、そんなの普通ですよと返信があったわ😅。
1ツイート平均50字としても1500字。1ブログ分の文字数か🤔。
以前、はてなブロガーさんで、私のツイッターもフォローしてくれた方が何人かいたんだけれど、すぐにフォロー解除されちゃったのよね。「なんかブログと違う~」って思われたようなのよ😅。今回は、ブログのツイッター版だから、安心してフォローしてね😄。
お一人、もうフォローしてくださった方もいらっしゃるわ。この場を借りて「ありがとうございます」と申し上げます🙇。
と書き綴ったけれど、最近、集中力が途切れるのよね😣。長い文章を書くのも読むのも疲れちゃうのよ。今年の9月にその兆候が出て、実はその苦肉の策がリトライだったのよ。
でもSNSは続けたいから、短文のやり取りのツイッターを再開したのよね😅。